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第八話 舞の間の女たち
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澪のもとに、篠原家からの使いが届いたのは、松庵のもとへ向かう前日のことだった。
文は丁寧で、しかし一行たりとも無駄がなく、読み手の心をそっと縛りつけるような筆致だった。
「追憶の舞にて、皆様の御笑顔を賜りたく――」
「御寮人様の美しき所作、拝見叶いましたら幸甚に存じます」
篠原志乃からの招待状。
雅な言葉に包まれていても、その裏にある意図は澪にもわかっていた。
(――呼び出し、だ)
結城家の御寮人である自分が、あの場に「出る」ということは、
宗真がいま“いない”ことを女たちに公に示すという意味を持つ。
◇ ◇ ◇
舞の会は、芝の大名屋敷を借りて開かれた。
江戸でも名のある舞師を招き、奥方たちが日頃の稽古を披露する格式ある集まり。だがその実体は、家と家、女と女の“力量”を見せ合う戦場だった。
澪は墨染めの小袖に銀糸の帯を締め、ひときわ静かな装いで現れた。
装いに派手さはない。けれどその静けさが、かえって人目を惹く。
「まぁ、結城家の御寮人様。ご機嫌麗しゅう」
志乃は人々の輪からすっと抜け、澪のもとへと歩み寄った。
今日の彼女は、牡丹色の小袖に金の簪。春の陽を受けて華やかに輝いている。
だがその笑顔の奥にある瞳は、変わらず冷たいままだ。
「ご多忙の中、お越しくださり、まことに……」
「……お招きいただき、光栄でございます」
二人のやり取りは、舞台の上のように淀みない。
だが、視線の交錯にだけは、濃密な緊張が走っていた。
◇ ◇ ◇
舞が始まる。
襖が静かに開かれ、白い畳の間に琴の音が流れた。
舞うのは、志乃。その所作は見事で、指先の揺れひとつにまで品が宿っている。
男たちの目を意識しすぎず、女たちの嫉妬をかわす“均衡”。
まさに、完璧な奥向きの女。
(……舞で、語る)
それは、権力も感情も声に出せぬ女たちが持つ、唯一の“言語”だった。
志乃は踊りながら、澪に言っていた。
「あなたには、この間合いが保てますか?」
舞が終わり、膝を折る志乃の頬には、わずかに紅が差していた。
しかしそれは、努力の証ではなく、勝者の余裕に見えた。
「さすがに、名家の奥方と噂されるだけはございますね」
澪がそう言うと、志乃は微笑んだ。
「あなたも、“名を残す”方。けれど――」
「けれど?」
「名は、美しくあるうちに消えるのが理想でございますわ」
その言葉には、明確な“追放”の意志が込められていた。
宗真がいないいま、澪は“空の御寮人”でしかないと、周囲に示していたのだ。
◇ ◇ ◇
舞会が終わり、帰り支度をする澪に、年配の奥方がそっと近づいた。
「……あなたの旦那様、消されたのでしょう?」
囁くような声。その唇には、ほのかに白粉の香り。
「誰も口に出さぬけれど、篠原の御台様と、大石様はお近いとか……」
「……何を、仰るのです?」
「奥方、あなたはきれい。だけど、きれいなだけでは家は守れぬのよ」
澪は、その奥方の視線の奥にあった“哀れみ”に、むしろ怒りを覚えた。
(私は、美しく在りたいのではない)
(宗真様の真実を、守る。それが私の立つ理由)
◇ ◇ ◇
帰路の駕籠の中、澪はふと、志乃の舞う姿を思い出した。
しなやかで、美しい。だが、そこには“空虚”もあった。
完璧さの中に、自らの情を切り捨てている女の姿。
澪は、そこにかつての自分を重ねた。
だがいま、自分の中に芽生えているものは、確かに違う。
感情を殺すのではなく、感情をもって立ち向かう強さ。
(……松庵。あなたが知っているものを、私が受け取りに行きます)
椿の花びらが、駕籠の窓から舞い込んだ。
その紅は、澪の膝の上に落ち、静かにそこへ染み込んでいった。
文は丁寧で、しかし一行たりとも無駄がなく、読み手の心をそっと縛りつけるような筆致だった。
「追憶の舞にて、皆様の御笑顔を賜りたく――」
「御寮人様の美しき所作、拝見叶いましたら幸甚に存じます」
篠原志乃からの招待状。
雅な言葉に包まれていても、その裏にある意図は澪にもわかっていた。
(――呼び出し、だ)
結城家の御寮人である自分が、あの場に「出る」ということは、
宗真がいま“いない”ことを女たちに公に示すという意味を持つ。
◇ ◇ ◇
舞の会は、芝の大名屋敷を借りて開かれた。
江戸でも名のある舞師を招き、奥方たちが日頃の稽古を披露する格式ある集まり。だがその実体は、家と家、女と女の“力量”を見せ合う戦場だった。
澪は墨染めの小袖に銀糸の帯を締め、ひときわ静かな装いで現れた。
装いに派手さはない。けれどその静けさが、かえって人目を惹く。
「まぁ、結城家の御寮人様。ご機嫌麗しゅう」
志乃は人々の輪からすっと抜け、澪のもとへと歩み寄った。
今日の彼女は、牡丹色の小袖に金の簪。春の陽を受けて華やかに輝いている。
だがその笑顔の奥にある瞳は、変わらず冷たいままだ。
「ご多忙の中、お越しくださり、まことに……」
「……お招きいただき、光栄でございます」
二人のやり取りは、舞台の上のように淀みない。
だが、視線の交錯にだけは、濃密な緊張が走っていた。
◇ ◇ ◇
舞が始まる。
襖が静かに開かれ、白い畳の間に琴の音が流れた。
舞うのは、志乃。その所作は見事で、指先の揺れひとつにまで品が宿っている。
男たちの目を意識しすぎず、女たちの嫉妬をかわす“均衡”。
まさに、完璧な奥向きの女。
(……舞で、語る)
それは、権力も感情も声に出せぬ女たちが持つ、唯一の“言語”だった。
志乃は踊りながら、澪に言っていた。
「あなたには、この間合いが保てますか?」
舞が終わり、膝を折る志乃の頬には、わずかに紅が差していた。
しかしそれは、努力の証ではなく、勝者の余裕に見えた。
「さすがに、名家の奥方と噂されるだけはございますね」
澪がそう言うと、志乃は微笑んだ。
「あなたも、“名を残す”方。けれど――」
「けれど?」
「名は、美しくあるうちに消えるのが理想でございますわ」
その言葉には、明確な“追放”の意志が込められていた。
宗真がいないいま、澪は“空の御寮人”でしかないと、周囲に示していたのだ。
◇ ◇ ◇
舞会が終わり、帰り支度をする澪に、年配の奥方がそっと近づいた。
「……あなたの旦那様、消されたのでしょう?」
囁くような声。その唇には、ほのかに白粉の香り。
「誰も口に出さぬけれど、篠原の御台様と、大石様はお近いとか……」
「……何を、仰るのです?」
「奥方、あなたはきれい。だけど、きれいなだけでは家は守れぬのよ」
澪は、その奥方の視線の奥にあった“哀れみ”に、むしろ怒りを覚えた。
(私は、美しく在りたいのではない)
(宗真様の真実を、守る。それが私の立つ理由)
◇ ◇ ◇
帰路の駕籠の中、澪はふと、志乃の舞う姿を思い出した。
しなやかで、美しい。だが、そこには“空虚”もあった。
完璧さの中に、自らの情を切り捨てている女の姿。
澪は、そこにかつての自分を重ねた。
だがいま、自分の中に芽生えているものは、確かに違う。
感情を殺すのではなく、感情をもって立ち向かう強さ。
(……松庵。あなたが知っているものを、私が受け取りに行きます)
椿の花びらが、駕籠の窓から舞い込んだ。
その紅は、澪の膝の上に落ち、静かにそこへ染み込んでいった。
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