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第十七話「香坂結を知っていた人」
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その連絡は、授業が終わってスマホを確認したときに届いていた。
差出人:加納(事務所マネージャー)
「今日、ちょっとだけ話したいことがある。電話できる?」
休み時間、人気のない階段の踊り場で、紬はイヤホンをつけた。
「……はい。どうしたんですか?」
『ああ、悪い。驚かせるつもりはなかったんだけど――
この前のドラマのオーディションの件でね』
少し間を置いて、加納は続けた。
『審査員の一人が、君のことを“どこかで見た気がする”って言っててさ。
で、その人、香坂結のファンだったらしい』
「……!」
(来た……)
内心で、音のない動揺が胸の奥に波打つ。
『名前までは出さなかったけど、“目の奥の雰囲気とか、声のトーンが似てる”って。
まあ、芸能界には似た雰囲気の人も多いし、よくある話ではあるんだけどさ』
加納の声はどこか軽くしていた。
あくまで雑談として。深刻にならないように。
(でも、それだけじゃない。
……このまま何も言わなければ、本当に“偶然の一致”で済まされる)
でも、もしも――。
もしもこの先、誰かが「それでも気づいてしまったら」。
「……それ、誰ですか? 言ってたの」
『脚本家の早川茜(はやかわ・あかね)って人。
結構有名だよ。演技力にすごく敏感なタイプでさ、昔から“この子は面白い”って見抜く目がある。
君のことも、印象的だったって言ってたよ』
(早川茜……)
(――知ってる。前世の私、香坂結が新人の頃に出た深夜ドラマ。あのときの脚本を書いてた人)
(控え室で「あなたの目は、嘘をつけないのね」って言われたの、今でも覚えてる)
『でさ、君にぜひ会ってみたいって言ってて……。
一度、“新人発掘”って名目で面談してみないかって』
「……会って、何を話せばいいんでしょうか」
『いや、無理に話すことはないよ。ただ、素の君を見たいってさ。
“あの子は芝居をしてないときのほうが、きっと深い表現ができる”って、なんか妙に詩的なこと言ってた』
「……そうですか」
静かに、呼吸をひとつ。
(“香坂結”じゃなくて、“私”を見に来るって言うなら――)
「分かりました。行きます。面談、受けます」
『よし。じゃあ日取りだけこっちで押さえて、また連絡するよ』
通話を切ったあと、しばらくスマホを握りしめたまま、階段の窓から外を見ていた。
(怖い。……バレるのが怖いんじゃない。
バレてないふりをして、“忘れられてること”が怖いんだ)
それは、香坂結としての想い。
ほんの3年前まで生きて、ステージに立ち、レンズの向こうで笑っていた“誰か”の名残。
(私だけが、あの人生を覚えている)
(でも、こうやって――思い出してくれる人が、まだいるんだ)
◆◇◆
その週の土曜日、都内の小さな喫茶店。
貸し切られた奥の席に通されると、そこには想像よりも柔らかい空気をまとう女性が座っていた。
「初めまして、小森紬さん。……こんにちは」
「こんにちは。お時間、ありがとうございます」
早川茜。
落ち着いた茶色のニットと、知性を感じさせるメガネ。
目元には微かに笑いじわがあるが、眼差しはまっすぐで鋭い。
(……やっぱり、変わってない)
「あなたのこと、オーディションで見てから、ずっと気になってたの。
一言のセリフで、どうしてあんなに“胸が痛くなる目”ができるのかって」
「……ありがとうございます」
「演技って、不思議よね。どんなにテクニックがあっても、
“伝わる人”と“上手い人”は、まったく別の存在なの。
あなたは、どちらかというと――“伝えてしまう人”なのね。本人が意図せずとも」
「……」
(それは、香坂結だった頃、ずっと言われていたこと)
「……すみません。ひとつだけ、お聞きしてもいいですか」
「ええ、どうぞ」
「――私に、“香坂結さんの面影”を感じたって、思われましたか?」
一瞬、空気が止まった。
早川は驚いたように眉を上げて、それから小さく笑った。
「……やっぱり、自覚があったのね。
ああ、やっぱり似てるわ、彼女と」
「でも、私は……香坂結さんとは、何の関係もありません。
ネットで映像を見たことがあるくらいで。直接のつながりもありません」
それは、“嘘”ではない。
“表向きの真実”だった。
早川は、その言葉を否定もしなかった。
「そう……でも、だからこそ不思議なの。
あの目。あの声の震え方。あの、感情の出し方。
すべてが、忘れられない女優に似ていた。偶然とは思えないくらいに」
「……」
「でもね。私はそれを“偶然”だと信じることにする。
それがたとえ、運命だったとしても。
あなたが“今を生きている”以上、過去の名前で縛るのは、ナンセンスだから」
早川の言葉は、やさしくも断定的だった。
「小森紬さん。あなたには、あなたの“物語”がある。
それを、香坂結という名前の残像ではなく、あなた自身の声で語ってほしい」
紬は、喉の奥に何かが詰まったような感覚を覚えながら、ゆっくり頷いた。
「……ありがとうございます。
その言葉、とても救われました」
「いいのよ。いつか、もしも――語りたくなったら、話して。
私はそれを、“物語”として書き残せる人間だから」
◆◇◆
帰り道、空にはすでに秋の雲が広がっていた。
スマホを開くと、沙月からメッセージが届いていた。
面談ってどうだった?
ちゃんと“17歳のふり”できた?笑
ていうか、そろそろ“自称25歳”ってネタ、浸透してきてるからね?
あんまり年上ぶると私が後輩になるからやめろ♡
紬は笑って、こう返した。
今日はちょっと、前の誰かを思い出しただけ。
でも、私は紬。ちゃんと今を生きてる。
大丈夫。うしろは見てないよ。
部屋に戻り、ノートを開く。
「誰かが、かつての“私”を思い出してくれた。
でも、それは私の過去じゃない。“今の私”が見られたということ。
なら、このまま進める。香坂結としてではなく、小森紬として――。」
ページを閉じ、窓を開ける。
外の空気が、少し冷たくて心地よかった。
(まだ、私のことを知らない世界が、こんなにたくさんある)
(だったら、届けに行こう)
差出人:加納(事務所マネージャー)
「今日、ちょっとだけ話したいことがある。電話できる?」
休み時間、人気のない階段の踊り場で、紬はイヤホンをつけた。
「……はい。どうしたんですか?」
『ああ、悪い。驚かせるつもりはなかったんだけど――
この前のドラマのオーディションの件でね』
少し間を置いて、加納は続けた。
『審査員の一人が、君のことを“どこかで見た気がする”って言っててさ。
で、その人、香坂結のファンだったらしい』
「……!」
(来た……)
内心で、音のない動揺が胸の奥に波打つ。
『名前までは出さなかったけど、“目の奥の雰囲気とか、声のトーンが似てる”って。
まあ、芸能界には似た雰囲気の人も多いし、よくある話ではあるんだけどさ』
加納の声はどこか軽くしていた。
あくまで雑談として。深刻にならないように。
(でも、それだけじゃない。
……このまま何も言わなければ、本当に“偶然の一致”で済まされる)
でも、もしも――。
もしもこの先、誰かが「それでも気づいてしまったら」。
「……それ、誰ですか? 言ってたの」
『脚本家の早川茜(はやかわ・あかね)って人。
結構有名だよ。演技力にすごく敏感なタイプでさ、昔から“この子は面白い”って見抜く目がある。
君のことも、印象的だったって言ってたよ』
(早川茜……)
(――知ってる。前世の私、香坂結が新人の頃に出た深夜ドラマ。あのときの脚本を書いてた人)
(控え室で「あなたの目は、嘘をつけないのね」って言われたの、今でも覚えてる)
『でさ、君にぜひ会ってみたいって言ってて……。
一度、“新人発掘”って名目で面談してみないかって』
「……会って、何を話せばいいんでしょうか」
『いや、無理に話すことはないよ。ただ、素の君を見たいってさ。
“あの子は芝居をしてないときのほうが、きっと深い表現ができる”って、なんか妙に詩的なこと言ってた』
「……そうですか」
静かに、呼吸をひとつ。
(“香坂結”じゃなくて、“私”を見に来るって言うなら――)
「分かりました。行きます。面談、受けます」
『よし。じゃあ日取りだけこっちで押さえて、また連絡するよ』
通話を切ったあと、しばらくスマホを握りしめたまま、階段の窓から外を見ていた。
(怖い。……バレるのが怖いんじゃない。
バレてないふりをして、“忘れられてること”が怖いんだ)
それは、香坂結としての想い。
ほんの3年前まで生きて、ステージに立ち、レンズの向こうで笑っていた“誰か”の名残。
(私だけが、あの人生を覚えている)
(でも、こうやって――思い出してくれる人が、まだいるんだ)
◆◇◆
その週の土曜日、都内の小さな喫茶店。
貸し切られた奥の席に通されると、そこには想像よりも柔らかい空気をまとう女性が座っていた。
「初めまして、小森紬さん。……こんにちは」
「こんにちは。お時間、ありがとうございます」
早川茜。
落ち着いた茶色のニットと、知性を感じさせるメガネ。
目元には微かに笑いじわがあるが、眼差しはまっすぐで鋭い。
(……やっぱり、変わってない)
「あなたのこと、オーディションで見てから、ずっと気になってたの。
一言のセリフで、どうしてあんなに“胸が痛くなる目”ができるのかって」
「……ありがとうございます」
「演技って、不思議よね。どんなにテクニックがあっても、
“伝わる人”と“上手い人”は、まったく別の存在なの。
あなたは、どちらかというと――“伝えてしまう人”なのね。本人が意図せずとも」
「……」
(それは、香坂結だった頃、ずっと言われていたこと)
「……すみません。ひとつだけ、お聞きしてもいいですか」
「ええ、どうぞ」
「――私に、“香坂結さんの面影”を感じたって、思われましたか?」
一瞬、空気が止まった。
早川は驚いたように眉を上げて、それから小さく笑った。
「……やっぱり、自覚があったのね。
ああ、やっぱり似てるわ、彼女と」
「でも、私は……香坂結さんとは、何の関係もありません。
ネットで映像を見たことがあるくらいで。直接のつながりもありません」
それは、“嘘”ではない。
“表向きの真実”だった。
早川は、その言葉を否定もしなかった。
「そう……でも、だからこそ不思議なの。
あの目。あの声の震え方。あの、感情の出し方。
すべてが、忘れられない女優に似ていた。偶然とは思えないくらいに」
「……」
「でもね。私はそれを“偶然”だと信じることにする。
それがたとえ、運命だったとしても。
あなたが“今を生きている”以上、過去の名前で縛るのは、ナンセンスだから」
早川の言葉は、やさしくも断定的だった。
「小森紬さん。あなたには、あなたの“物語”がある。
それを、香坂結という名前の残像ではなく、あなた自身の声で語ってほしい」
紬は、喉の奥に何かが詰まったような感覚を覚えながら、ゆっくり頷いた。
「……ありがとうございます。
その言葉、とても救われました」
「いいのよ。いつか、もしも――語りたくなったら、話して。
私はそれを、“物語”として書き残せる人間だから」
◆◇◆
帰り道、空にはすでに秋の雲が広がっていた。
スマホを開くと、沙月からメッセージが届いていた。
面談ってどうだった?
ちゃんと“17歳のふり”できた?笑
ていうか、そろそろ“自称25歳”ってネタ、浸透してきてるからね?
あんまり年上ぶると私が後輩になるからやめろ♡
紬は笑って、こう返した。
今日はちょっと、前の誰かを思い出しただけ。
でも、私は紬。ちゃんと今を生きてる。
大丈夫。うしろは見てないよ。
部屋に戻り、ノートを開く。
「誰かが、かつての“私”を思い出してくれた。
でも、それは私の過去じゃない。“今の私”が見られたということ。
なら、このまま進める。香坂結としてではなく、小森紬として――。」
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