唐紅の風 ~平安の女流歌人の一生

naomikoryo

文字の大きさ
8 / 31

第八話「贄(にえ)としての歌」

しおりを挟む
白河院との対面から数日後、高子のもとに、一本の御使いが届けられた。

「今夜、御前にて歌を賜りたいとの仰せにございます」

夜の御所――再び、あの場所へ。
月の下で詠んだあの一首が、どれほどの響きを持ったのか、高子にはわからなかった。
だが、呼ばれた以上、それはもはや偶然ではない。

「……やがて、これは習い事になるのかもしれないわね」

装束を整えながら、高子は皮肉まじりに呟いた。
薄紅の小袿に、紫の襲(かさね)。香は桜ではなく、白檀に近い落ち着いた香を選んだ。

「習い事で済めば、きっと楽ですよ」

いとは柔らかく言った。

「習い事の歌と、命を削る歌は、違いますもの」

高子はふと黙りこくった。
いとの言葉には、ある種の予感が含まれていた。それは、主を案じる気持ちでもあり、どこか女同士としての哀しみの共有でもあった。

 

今夜の御所は、初回の訪問とは異なり、より整えられていた。
控えの女房が三人、香を絶やさず、庭先にはわざわざ花の枝が生けられていた。
それは“迎える”というより、“設えられた場”であることを示していた。

白河院は、変わらぬ狩衣姿で座していたが、その隣には、もうひとり、男がいた。

「高子殿、こちらは源成親。御前の事務を取り仕切る人物にて、文の道にも明るい」

成親は三十代半ば。浅黒い肌と切れ長の目。
武人のように見えながら、どこか学者の冷静さも宿していた。

「姫君の歌は、すでに公卿方の間でも話題でございます。
とくにあの『さやけき月』の一首は、院が直々に筆写を命じられ、数通の贈答に用いられました」

「……贈答に、ですか?」

「はい。陸奥守への返書、そして鳥羽殿への書状の結びに。
それが“今の都を象徴する歌”だと、院は仰せでした」

高子の胸に、冷たいものが落ちた。
それは誇りでも、喜びでもなかった。

彼女の中で歌は、私的なものであり、自身の心のかたちだった。
だが今、それは“贈り物”として――いや、“贄”として、差し出されていたのだ。

「姫君。次の祝宴には、四首の春の歌をお選びいただきたい。
そのうち二首は、院からの御書状に添えられます」

成親の声は淡々としていたが、そこには“選択の余地”がなかった。
高子は頷いた。それ以外の答えが、見つからなかった。

 

御所を出た帰り道、風が吹いた。
春の夜の風――それは、かつて恋の始まりを運んできた優しい風だった。

「……わたしの歌が、誰かの手紙に添えられている」

高子は呟いた。

「それは、きっと“名誉”と呼ばれるものです」

いとは応えるが、そこにはどこか哀しげな色があった。

「でも、香のない花のようでもありますね」

「……香のない花」

高子は、その言葉に目を伏せた。
たしかに――それは、美しく整えられていても、自分の手から香りが失われてゆく感覚だった。

 

その夜、高子は再び筆を取った。
だが、どの歌も、どこか“自分のものではない”ように感じた。

心の底から湧いてくるはずの言葉が、どこか外側をなぞっている。

選ばれるための歌。使われるための言葉。
そんな“用途ありき”の和歌に、高子は少しずつ自分を見失い始めていた。

春はゆく ことばのあとの 香のごとく
のこらぬままに 咲きて消ゆらむ

 

翌朝、彼女の和歌は二首、院の書状に添えられ、東国と内裏へと送られた。
その和紙に残るのは、墨の香と、誰のものでもない栄誉の匂い。

だがそこに、“高子の心”はなかった。

 

午後、いとはそっと耳打ちした。

「姫様の歌が、再び院のもとで“好色の女房”と評されたようです」

「……やはり」

「歌があまりに美しければ、それだけで“身体を差し出した女”と噂される。それが宮中です」

「わたしはまだ……誰にも身体など差し出していない」

「それでも、“差し出したように見せかけられる”のが、この世界です」

高子は、ゆっくりと息を吸い込んだ。

そして静かに答えた。

「ならば、言葉で抗ってみせましょう。
この歌が、誰のためでもなく、わたし自身のものであると――わたし自身が、証明しなければ」

いとは頷いた。

「それが、姫様にしかできないことです」

 

その夜、高子は誰にも見せぬ一首を記した。
それは、どこにも送らず、誰にも読ませぬ、たったひとつの“私の歌”。

 

よそほひの 紅の衣 脱ぎすてて
わがことばのみ 香と咲かせむ

 

今、自分にできることは、ただ――「詠み続ける」こと。

誰に使われても、誰に誤解されても、
自分の言葉の根を、どこまでも深く掘ってゆくこと。

それだけが、贄としてではなく、「わたし自身」であるという証になる。

 

(続く)

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

 【最新版】  日月神示

蔵屋
歴史・時代
 最近日月神示の予言本に不安を抱いている方もあると思うがまったく心配いらない。  何故なら日月神示では「取り越し苦労や過ぎ越し苦労はするな!」 「今に生きよ!」  「善一筋で生きよ!」  「身魂磨きをせよ!」  「人間の正しい生き方」  「人間の正しい食生活」  「人間の正しい夫婦のあり方」  「身も心も神さまからお借りしているのじゃから夜になって寝る前に神さまに一旦お返しするのじゃ。そうしたら身と心をどのようにしたらよいか、分かるじゃろ!」  たったのこれだけを守れば良いということだ。  根拠のない書籍や情報源等に惑わされてはダメだ。  日月神示も出口王仁三郎もそのようなことは一切言っていない。  これらの書籍や情報源は「日月神示」が警告する「臣民を惑わすものが出てくるから気をつけよ!」 という言葉に注目して欲しい。  今回、私は読者の皆さんに間違った解釈をされている日月神示を分かりやすく解説していくことにしました。  どうか、最後までお読み下さい。  日月神示の予言については、私が執筆中の「神典日月神示の真実」をお読み下さい。    

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

【戦国時代小説】 甲斐の虎•武田信玄と軍師•山本勘助

蔵屋
歴史・時代
 わたしは、以前、甲斐国を観光旅行したことがある。  何故、甲斐国なのか?  それは、日本を象徴する富士山があるからだ。     さて、今回のわたしが小説の題材にした『甲斐の虎•武田信玄と軍師•山本勘助』はこの甲斐国で殆どの戦国乱世の時代を生き抜いた。そして越後の雄•上杉謙信との死闘は武田信玄、山本勘助にとっては人生そのものであったことだろう。  そんな彼らにわたしはスポットライトを当て読者の皆さんに彼らの素顔を知って頂く為に物語として執筆したものである。  なお、この小説の執筆に当たり『甲陽軍鑑』を参考にしていることを申し述べておく。  それでは、わたしが執筆した小説を最後までお楽しみ下さい。  読者の皆さんの人生において、お役に立てれば幸いです。  

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

滝川家の人びと

卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。 生きるために走る者は、 傷を負いながらも、歩みを止めない。 戦国という時代の只中で、 彼らは何を失い、 走り続けたのか。 滝川一益と、その郎党。 これは、勝者の物語ではない。 生き延びた者たちの記録である。

花嫁御寮 ―江戸の妻たちの陰影― :【第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞】

naomikoryo
歴史・時代
名家に嫁いだ若き妻が、夫の失踪をきっかけに、江戸の奥向きに潜む権力、謀略、女たちの思惑に巻き込まれてゆく――。 舞台は江戸中期。表には見えぬ女の戦(いくさ)が、美しく、そして静かに燃え広がる。 結城澪は、武家の「御寮人様」として嫁いだ先で、愛と誇りのはざまで揺れることになる。 失踪した夫・宗真が追っていたのは、幕府中枢を揺るがす不正金の記録。 やがて、志を同じくする同心・坂東伊織、かつて宗真の婚約者だった篠原志乃らとの交錯の中で、澪は“妻”から“女”へと目覚めてゆく。 男たちの義、女たちの誇り、名家のしがらみの中で、澪が最後に選んだのは――“名を捨てて生きること”。 これは、名もなき光の中で、真実を守り抜いたひと組の夫婦の物語。 静謐な筆致で描く、江戸奥向きの愛と覚悟の長編時代小説。 全20話、読み終えた先に見えるのは、声高でない確かな「生」の姿。

古書館に眠る手記

猫戸針子
歴史・時代
革命前夜、帝室図書館の地下で、一人の官僚は“禁書”を守ろうとしていた。 十九世紀オーストリア、静寂を破ったのは一冊の古手記。 そこに記されたのは、遠い宮廷と一人の王女の物語。 寓話のように綴られたその記録は、やがて現実の思想へとつながってゆく。 “読む者の想像が物語を完成させる”記録文学。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

処理中です...