唐紅の風 ~平安の女流歌人の一生

naomikoryo

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第十五話「贈られた紅」

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その衣は、箱ではなく、几帳ごと届けられた。

白河院が自ら選ばせたという“紅花染めの唐衣(からぎぬ)”。
紅梅と蘇芳の中間のような深い紅で、絹の肌理には金糸で撫子と薄(すすき)が織り込まれていた。

「姫様……これは、“正式な宣言”にございます」

いとは、衣に手を触れず、ただ静かにそう言った。

それは、院から寵を受けた女にだけ贈られる「紅のしるし」――
都の誰もが知る、ある意味で最も露骨な“位”だった。

これを受け取った女は、もはや“ひとりの歌人”ではいられない。
名は記録され、評は宮中に広まり、
“誰に何を詠んだか”が政治と噂の武器になる。

「……逃げられないのね、もう」

高子は紅の衣を見つめながら、小さく言った。

その色は、美しく、しかし深く。
目を逸らすことも、逆らうことも許さぬような、堂々とした紅だった。

 

翌朝、高子は御所の香の間に正式に召され、その紅衣をまとった姿で白河院の御前に進んだ。
院は何も言わず、ただ彼女を一瞥し、うなずいた。

「……この紅が、都に伝わる前に、歌をひとつ置いてゆけ」

院の言葉は穏やかだったが、その背後には“定め”があった。

高子は、膝を折り、筆をとる。

ことの葉を いろにそめしも さだめならば
あさなゆふなに きよらなるべし

「“言葉までも紅に染めるのであれば、朝も夕も、それにふさわしく澄んでいなければならない”――か」

院は目を細め、歌を読んだ。

「よい。
ならば、お前の“紅”は、心に添うものと見よう」

 

その日、紅の衣は、都中に知れ渡った。

装束屋の番頭が、紅染めの品を“あの藤原高子様が召された紅”と称して売り始め、
女房たちは「高子の紅」と呼ぶその色を使い、香と共に真似を始めた。

――それは、名誉だった。

――だが、それは、孤立でもあった。

 

同じ日の夕刻。
廊下で高子とすれ違った橘典子が、わずかに口元を歪めて言った。

「お召し物、お見事です。まるで、秋を先取りされたような深紅で」

「ご挨拶、痛み入ります。
わたくしはまだ“秋の憂い”を知らぬ未熟者にございます」

「まあ、そう仰いますけれど――
花の色が濃くなるほど、香の拡がりもまた濃くなります。
都の風は、時に厄介なものを運んでまいりますわ」

言葉は穏やかだったが、その奥には冷たく硬い棘があった。

高子は微笑を絶やさず、礼をしてその場を離れた。

だが、部屋に戻ったあと、いとは口を閉じたまま、そっと茶を差し出してきた。

「姫様。都では、紅は“祝福”と同時に“的”でございます」

「ええ。
だからこそ、わたしは“言葉で守らなければ”ならないの」

高子は短冊に一首を綴った。

よそほひの うつろふなかに まよふとも
こゝろのいろは うすれざりけり

 

翌日。
その一首が、院の御簾の奥に掲げられたと聞いた女房たちは、誰も何も言わなかった。
ただ静かに、短冊の筆跡を眺めるのみだった。

その視線は、**“称賛と嫉妬”**が綯い交ぜになった、沈黙という名の争いだった。

 

その夜、御所の庭で風が吹いた。
高子は紅の衣をまとう自分の影を見下ろしていた。

「……この裾が、いつか“呪い”になるのなら」

ふと、口にしたその言葉に、いとは応えた。

「それでも、姫様が選んだ色です。
ならば、呪いではなく――“旗”にしてしまいましょう」

「旗……?」

「ええ。紅は怖れられ、狙われます。
けれど、戦の場では“紅旗”こそ、誇りを示すものです」

高子はしばし黙り、やがて笑った。

「……ならば、わたしは“詠う旗印”になりましょう」

そして一首。

 

まとふ紅 ただに衣と 思はじな
しるしとなして 風をまとはむ

 

紅の裾は、いまや重さを増している。
それは、贈られた“愛”であると同時に、課された“義務”でもあった。

高子はそれを着続ける。
すべての視線と噂と策略の中で、歌を纏い、言葉で立ち続けるために。

 

(続く)
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