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第4話「小学生、ワンピースとスカーフ」
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「蘭子、おはようさん。今日も、おしゃれさんやなあ」
朝の陽ざしの中、花村屋の店先で、近所の駄菓子屋のおばちゃんが声をかけてくれた。
蘭子はその声に「うふふ、ありがとう存じます」と返し、くるりとその場で一回転。
スカートの裾をふわりと広げ、日差しの中に舞うような仕草で応じる。
今日は特別な日だった。
小学校への入学式
――蘭子にとってそれは、舞台の初日と同義だった。
衣装は祖母が誂えてくれた淡いピンク色のワンピース。
襟元には白いレースが丁寧に縫い付けられており、腰のリボンは後ろでふっくらと結ばれている。
靴はピカピカの革靴、帽子は柔らかなベージュのフェルト製で、こぶりな花飾りがついていた。
「もう、立派なレディですわ。そうでしょ? お母様」
鏡の前で何度も自分に問いかけながら、蘭子は髪を整え、スカーフを首元に巻いた。
学校にスカーフを巻いてくる児童などまずいないだろう。
だが、蘭子にとって「普通」は舞台の敵だった。
父・清太郎は「まぁ……目立つやろうな」と苦笑いし、母・伊都子は「うちの子やさかい、しゃあないね」と溜め息混じりに納得した。
小学校の門をくぐると、すでに校庭には多くの親子連れが集まっていた。
正門の前で記念撮影する家族、配られた名簿を覗き込む母親たち。
白いシャツに黒いスカート、または紺の袴姿の女の子が多い中、蘭子のピンクのワンピースは、見事に浮いていた。
だが、蘭子は怯まない。
「これは……まるで、群衆の中で咲く一輪の花」
小さくつぶやいたその言葉に、隣にいた母がぎょっとした。
「……あんた、それ誰の台詞や?」
「わたくしの心の声よ、お母様」
こうして蘭子の“学園生活”が幕を開けた。
教室では、最初の自己紹介の時間が訪れた。
担任の先生は、年配の穏やかな女性教師――野呂先生という名だった。
「はい、それじゃあ前の席の子から順に自己紹介してもらおうね。お名前と、好きなものをひとつ教えてちょうだい」
隣の子が「たなかです。すきなたべものは、りんごです」と言ったのに続き、蘭子の番がやってくる。
立ち上がった蘭子は、まるで映画の舞台挨拶のように一礼してから、はっきりと口を開いた。
「花村蘭子と申します。好きなものは、スクリーンに映る自分と、夢見る心でございます」
一瞬、教室が静まり返った。
が、すぐにあちこちからクスクスと笑い声が漏れ出した。
野呂先生もまた、目尻を下げて笑いながら「……面白い子ね」とつぶやいた。
だが、その日から蘭子は「なんかヘンな子」と囁かれるようになる。
お昼休み、みんなが教室の片隅に集まってお弁当を広げる中、蘭子は一人、窓際の机にちょこんと座っていた。
白い布で包まれた小ぶりな弁当箱。
中には、伊都子が作ったおにぎりと卵焼き、甘辛いきんぴらごぼうが入っていた。
「わたくし、誰かと無理に群れたりはいたしませんの。女優は、孤独を愛するものですもの」
そう言ってはみたものの、ちょっとだけ寂しかった。
ちらちらと周囲の様子をうかがっていると、隣のグループの女の子がちらりと蘭子を見た。
「あの子、いつもおしゃべりしてる。へんな言葉つかってるし」
「ねー。スカーフなんかしてくるの、女の子なのに」
「ほんと。おかしいよね」
こそこそとした声は、耳に入るよりも先に心に刺さった。
蘭子はゆっくりと弁当を食べながら、ふと思った。
(これは、スクリーンの試練……女優には、嫉妬と孤独がつきものなの)
窓の外には青空が広がっていた。
そこに漂う雲を見ながら、蘭子は「私の未来は、あの雲のように自由なのよ」と、心の中でつぶやいた。
その日の帰り道、江本鮮魚店の前を通ると、ちょうど晋平が箱を抱えて出てきた。
「……あ、蘭子」
「まあ、晋平さま。お店の手伝いでございますの?」
「うん……あのね、イワシ、たくさん入ったから、また家にもってくねって……お母さんが」
「まあ……まあまあ! それは運命ね!」
蘭子は、ぱっと顔を輝かせた。
「今朝、わたくし、学校でちょっぴり悲しいことがあったの。でも、あなたに会えたら、全部帳消しよ」
「……え?」
「女優はね、涙を見せちゃいけないの。でもあなたがいると、つい心が緩むのよ。ふふ……いけないわね」
晋平はきょとんとした顔で立ち尽くしていたが、やがて少しだけ笑って、「じゃあ、また明日ね」と言って、箱を持って歩き去った。
その後ろ姿を見送る蘭子の胸は、ほんの少しだけ軽くなっていた。
夜、日記帳を開いた蘭子は、今日の出来事を丁寧に書き留めた。
《入学式。世界は新しい幕を開けました。主役はもちろん、このわたくし――蘭子です。》
《孤独なランチタイム。試練という名の通過儀礼。わたくし、これしきのことで折れたりはいたしません》
《晋平さまとの再会。心の渇きを潤す一滴のミネラルウォーター……いえ、それ以上。》
《女優への道は、遠くて険しいけれど、今日もまた、一歩近づいた気がします》
そして、最後にこう書き足した。
《いつか、教室の中でも、みんながわたくしの舞台を楽しんでくれる日が来る。そう信じて、明日も歩いていきますわ》
筆を置いたとき、ふと、外の雨音に気づいた。
ぽつぽつ、ぽつぽつ。
春の終わりの雨が、優しく屋根を叩いていた。
蘭子はそっと布団に入ると、目を閉じて思った。
(夢を見るのは自由だもの……だれが何と言おうと、わたくしの人生は、わたくしが主役)
そしてその夢の中には、やはりまた晋平が登場するのだった。
手には花束――いや、魚の詰まった木箱を持って。
朝の陽ざしの中、花村屋の店先で、近所の駄菓子屋のおばちゃんが声をかけてくれた。
蘭子はその声に「うふふ、ありがとう存じます」と返し、くるりとその場で一回転。
スカートの裾をふわりと広げ、日差しの中に舞うような仕草で応じる。
今日は特別な日だった。
小学校への入学式
――蘭子にとってそれは、舞台の初日と同義だった。
衣装は祖母が誂えてくれた淡いピンク色のワンピース。
襟元には白いレースが丁寧に縫い付けられており、腰のリボンは後ろでふっくらと結ばれている。
靴はピカピカの革靴、帽子は柔らかなベージュのフェルト製で、こぶりな花飾りがついていた。
「もう、立派なレディですわ。そうでしょ? お母様」
鏡の前で何度も自分に問いかけながら、蘭子は髪を整え、スカーフを首元に巻いた。
学校にスカーフを巻いてくる児童などまずいないだろう。
だが、蘭子にとって「普通」は舞台の敵だった。
父・清太郎は「まぁ……目立つやろうな」と苦笑いし、母・伊都子は「うちの子やさかい、しゃあないね」と溜め息混じりに納得した。
小学校の門をくぐると、すでに校庭には多くの親子連れが集まっていた。
正門の前で記念撮影する家族、配られた名簿を覗き込む母親たち。
白いシャツに黒いスカート、または紺の袴姿の女の子が多い中、蘭子のピンクのワンピースは、見事に浮いていた。
だが、蘭子は怯まない。
「これは……まるで、群衆の中で咲く一輪の花」
小さくつぶやいたその言葉に、隣にいた母がぎょっとした。
「……あんた、それ誰の台詞や?」
「わたくしの心の声よ、お母様」
こうして蘭子の“学園生活”が幕を開けた。
教室では、最初の自己紹介の時間が訪れた。
担任の先生は、年配の穏やかな女性教師――野呂先生という名だった。
「はい、それじゃあ前の席の子から順に自己紹介してもらおうね。お名前と、好きなものをひとつ教えてちょうだい」
隣の子が「たなかです。すきなたべものは、りんごです」と言ったのに続き、蘭子の番がやってくる。
立ち上がった蘭子は、まるで映画の舞台挨拶のように一礼してから、はっきりと口を開いた。
「花村蘭子と申します。好きなものは、スクリーンに映る自分と、夢見る心でございます」
一瞬、教室が静まり返った。
が、すぐにあちこちからクスクスと笑い声が漏れ出した。
野呂先生もまた、目尻を下げて笑いながら「……面白い子ね」とつぶやいた。
だが、その日から蘭子は「なんかヘンな子」と囁かれるようになる。
お昼休み、みんなが教室の片隅に集まってお弁当を広げる中、蘭子は一人、窓際の机にちょこんと座っていた。
白い布で包まれた小ぶりな弁当箱。
中には、伊都子が作ったおにぎりと卵焼き、甘辛いきんぴらごぼうが入っていた。
「わたくし、誰かと無理に群れたりはいたしませんの。女優は、孤独を愛するものですもの」
そう言ってはみたものの、ちょっとだけ寂しかった。
ちらちらと周囲の様子をうかがっていると、隣のグループの女の子がちらりと蘭子を見た。
「あの子、いつもおしゃべりしてる。へんな言葉つかってるし」
「ねー。スカーフなんかしてくるの、女の子なのに」
「ほんと。おかしいよね」
こそこそとした声は、耳に入るよりも先に心に刺さった。
蘭子はゆっくりと弁当を食べながら、ふと思った。
(これは、スクリーンの試練……女優には、嫉妬と孤独がつきものなの)
窓の外には青空が広がっていた。
そこに漂う雲を見ながら、蘭子は「私の未来は、あの雲のように自由なのよ」と、心の中でつぶやいた。
その日の帰り道、江本鮮魚店の前を通ると、ちょうど晋平が箱を抱えて出てきた。
「……あ、蘭子」
「まあ、晋平さま。お店の手伝いでございますの?」
「うん……あのね、イワシ、たくさん入ったから、また家にもってくねって……お母さんが」
「まあ……まあまあ! それは運命ね!」
蘭子は、ぱっと顔を輝かせた。
「今朝、わたくし、学校でちょっぴり悲しいことがあったの。でも、あなたに会えたら、全部帳消しよ」
「……え?」
「女優はね、涙を見せちゃいけないの。でもあなたがいると、つい心が緩むのよ。ふふ……いけないわね」
晋平はきょとんとした顔で立ち尽くしていたが、やがて少しだけ笑って、「じゃあ、また明日ね」と言って、箱を持って歩き去った。
その後ろ姿を見送る蘭子の胸は、ほんの少しだけ軽くなっていた。
夜、日記帳を開いた蘭子は、今日の出来事を丁寧に書き留めた。
《入学式。世界は新しい幕を開けました。主役はもちろん、このわたくし――蘭子です。》
《孤独なランチタイム。試練という名の通過儀礼。わたくし、これしきのことで折れたりはいたしません》
《晋平さまとの再会。心の渇きを潤す一滴のミネラルウォーター……いえ、それ以上。》
《女優への道は、遠くて険しいけれど、今日もまた、一歩近づいた気がします》
そして、最後にこう書き足した。
《いつか、教室の中でも、みんながわたくしの舞台を楽しんでくれる日が来る。そう信じて、明日も歩いていきますわ》
筆を置いたとき、ふと、外の雨音に気づいた。
ぽつぽつ、ぽつぽつ。
春の終わりの雨が、優しく屋根を叩いていた。
蘭子はそっと布団に入ると、目を閉じて思った。
(夢を見るのは自由だもの……だれが何と言おうと、わたくしの人生は、わたくしが主役)
そしてその夢の中には、やはりまた晋平が登場するのだった。
手には花束――いや、魚の詰まった木箱を持って。
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