怪奇蒐集帳(短編集)

naomikoryo

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53)道頓堀・沈む影(大阪府)

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道頓堀——。
 大阪の繁華街の中心地であり、華やかなネオンと観光客で賑わう街。
 しかし、その川の流れの下には、決して触れてはいけない何かがあるという。

 「道頓堀に落ちた者は、時々“誰か”に引きずり込まれる」
 「深夜に川を覗くと、水面に知らない顔が映る」

 これは、大阪のタクシー運転手が実際に体験した話である。

***********************************

 Mさんは、大阪市内を走るタクシー運転手だった。

 その夜、彼は道頓堀近くの繁華街で客待ちをしていた。

 時刻は午前2時過ぎ。

 金曜の夜ということもあり、酔っ払ったサラリーマンや観光客が歩いていたが、そろそろ客足も落ち着いてきた頃だった。

 すると、タクシーの横に、ふと影が立った。

 「すみません……道頓堀まで」

 見ると、若い女性だった。

 白いワンピースを着た細身の女性で、長い髪が顔の一部を隠している。

 顔色が異様に青白いのが気になったが、酔っているのだろうと思い、Mさんは彼女を乗せた。

 車内は妙に静かだった。

 Mさんが「どのあたりまで行きます?」と聞くと——

 「川の近くで降ろしてください……」

 女は、ぼそぼそと答えた。

 Mさんは、そのまま車を走らせ、道頓堀の川沿いへ向かった。

 だが——

 不思議なことがあった。

 後部座席のルームミラーに、彼女の姿が映らない。

 Mさんは、ゾッとした。

 「……気のせいか?」

 意識しないようにしながらも、なんとなく寒気を感じていた。

 道頓堀の橋の近くに到着した。

 「ここでいいですか?」

 Mさんが振り返ると——

 後部座席には、誰もいなかった。

 「え……?」

 確かに、女を乗せたはずだった。

 だが、シートには跡もなく、ドアが開いた形跡もない。

 「降りたのか?」

 不審に思いながらも、Mさんは車を降り、周囲を見渡した。

 すると——

 道頓堀の川沿いに、女が立っていた。

 長い髪を垂らし、じっと水面を見つめている。

 Mさんは、恐る恐る声をかけた。

 「ちょっと! こんな時間に大丈夫ですか?」

 女は、ゆっくりと顔を上げた。

 そして、にっこりと微笑んだ。

 だが——

 その顔は、白いはずのワンピースまで血のように赤く染まっていた。

 Mさんは、恐怖で一歩後ずさった。

 その瞬間——

 「……見てる?」

 耳元で囁かれた。

 Mさんは、ギョッとして振り向いた。

 だが、そこには誰もいなかった。

 そして、再び川の方へ目を向けると——

 女の姿が消えていた。

 Mさんは、あまりの恐怖にタクシーへ駆け戻った。

 心臓がバクバクと高鳴る。

 「今の、なんやったんや……?」

 ルームミラーを何気なく見た——

 その時。

 後部座席に、さっきの女が座っていた。

 Mさんは、全身の毛が逆立つのを感じた。

 そして、女は静かに言った。

 「次は、あなたの番よ」

「彼女」の正体
 Mさんは、必死に後ろを振り向いた。

 だが、そこには誰もいなかった。

 まるで、最初から何もなかったかのように。

 Mさんは、息を整えながらその場を去った。

 しかし、数日後——

 彼は、この出来事と全く同じ体験をしたタクシー運転手がいることを知った。

 その男は、こう言った。

 「あの女は、道頓堀で亡くなった“誰か”やろ……」

 「そして、新しい“誰か”を探してるんや……」

 Mさんは、興味本位で道頓堀の歴史を調べた。

 すると、この地域では昔から川への投身が多発していることが分かった。

 特に有名なのは、お祭りの時に飛び込む若者たち。
 だが、その中には——

 「飛び込んでいないのに、気づいたら落ちていた」

 という証言もある。

 もしかすると——

 道頓堀の川には、“誰か”が引きずり込もうとしているのかもしれない。

 Mさんは、その後もタクシー運転を続けたが——

 ある日、また道頓堀近くで奇妙な体験をした。

 「タクシーの後部座席に、水滴の跡がついていた」

 誰も乗せていないはずのシートが、濡れていたのだ。

 そして、翌日。

 道頓堀で、また一人の若者が行方不明になったというニュースが流れた。

 カメラの映像には、奇妙なものが映っていた。

 「川の中に、もう一つの手が伸びている」

***********************************

 もし、あなたが道頓堀の川を覗くなら——

 水面に、映るはずのない顔が映っていないか確かめろ。

 そして、もし——

 「見てる?」と囁く声がしたら、絶対に振り向いてはいけない。

 なぜなら、その瞬間——

 あなたの足は、もう地面にはついていないのだから。
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