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129)『あかり障子』
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昭和十一年の春、私は十四になったばかりで、伯父の家に奉公に出された。
伯父の家は、山村でも有力な旧家で、茅葺き屋根の母屋に蔵、離れ、庭と、子どもの目にはまるで城のように見えた。
与えられた部屋は、離れの奥まった小部屋だった。
床はきしみ、畳は日に焼け、壁には何本も釘の跡が残っていた。
それでも私は、それなりに満足していた。
初めての奉公、初めての一人部屋。
少しの不安と、それ以上の誇らしさがあった。
最初に違和感を覚えたのは、寝入る直前のことだった。
部屋の東の壁にある障子――その向こうが、ぼんやりと光っていた。
外は真っ暗で、月も出ていないはずだった。
なのに、障子の向こうだけが、灯火のようにやわらかく光っていた。
母屋に面していない側、つまり向こうは壁のはずだ。
でも、光は消えず、朝までほんのりと灯っていた。
次の晩。
私は眠れず、障子の方をじっと見ていた。
すると、光の中に――人の影がうっすらと浮かび上がった。
子どものような小柄な影。
ぴたりと障子の向こうに立ち、まるでこちらを見ているようだった。
声がした。
> 「ねえ、そっちは寒い?」
誰かが、話しかけてきた。
思わず「誰ですか?」と返すと、返事があった。
> 「わたしは……こっちにいるの。
> でも、名前は忘れちゃった。
> あなたの声、あたたかいね」
女の子のような声だった。
幼さと、澄んだ響きが混じる、不思議な声。
私はそのまま、障子の前で言葉を交わした。
> 「お名前は?」
> 「わかんない。でも、おばあちゃんが、いつもここでお祈りしてたよ」
> 「どうしてここに?」
> 「……さむいの。ずっと、ずっと」
朝、目が覚めると障子の前には古びた線香の匂いが漂っていた。
誰が焚いたのかも、なぜ残っているのかもわからない。
その日、伯父の嫁に尋ねた。
「この部屋の向こうって、何がありますか?」
彼女はしばらく黙っていた。
そして、ぽつりと答えた。
「何もないよ。……昔はあったけどね。
あの障子は、開けちゃいけないんだよ」
それでも、夜になると声はまたした。
> 「ねえ、今夜もお話しして?」
> 「わたし、ことばが上手になってきたの」
> 「もうすぐ、そっちに行ける気がするの」
私は、声を返してしまっていた。
理由は、よくわからない。ただ――
寂しそうだった。
それだけは、はっきりと伝わった。
ある晩。
声の主がこう言った。
> 「きょうは、ありがとう。
> あなたのおかげで、思い出した。
> わたし、“サヨ”っていうの」
そして、最後にこう囁いた。
> 「つぎに障子が開いたとき、
> わたしと、かわろうね」
その夜、夢を見た。
古い座敷。線香の煙。
白無垢の少女が、仏壇の前でじっと正座している。
顔が見えない。ただ、手に抱えていたのは――私の着ていた半纏だった。
朝、目が覚めると、障子の向こうは真っ暗だった。
あの光は、もうなかった。
だが、障子の桟に小さな手の跡が残っていた。
それは、私の手のひらよりも、ずっと小さかった。
その日、伯父の嫁がこっそり教えてくれた。
「昔ね、あの部屋には奉公に来た女の子がいたの。
でも、冬の夜、寒さでこごえて……そのまま」
「その子の名前は……?」
「サヨちゃん」
――あの声の主だ。
今も、私は時々、あの障子の夢を見る。
光の向こうで、誰かがこちらを見ている。
小さな声が囁く。
> 「つぎは、あなたが“こっち”にきて」
> 「もうすこしで、戸が開くの」
◆エピローグ
古い家の障子の向こうに、光が差していたら――
それは外からの明かりではありません。
ずっと待っていた“声”が、あなたを呼んでいるのです。
決して、返事をしてはいけません。
伯父の家は、山村でも有力な旧家で、茅葺き屋根の母屋に蔵、離れ、庭と、子どもの目にはまるで城のように見えた。
与えられた部屋は、離れの奥まった小部屋だった。
床はきしみ、畳は日に焼け、壁には何本も釘の跡が残っていた。
それでも私は、それなりに満足していた。
初めての奉公、初めての一人部屋。
少しの不安と、それ以上の誇らしさがあった。
最初に違和感を覚えたのは、寝入る直前のことだった。
部屋の東の壁にある障子――その向こうが、ぼんやりと光っていた。
外は真っ暗で、月も出ていないはずだった。
なのに、障子の向こうだけが、灯火のようにやわらかく光っていた。
母屋に面していない側、つまり向こうは壁のはずだ。
でも、光は消えず、朝までほんのりと灯っていた。
次の晩。
私は眠れず、障子の方をじっと見ていた。
すると、光の中に――人の影がうっすらと浮かび上がった。
子どものような小柄な影。
ぴたりと障子の向こうに立ち、まるでこちらを見ているようだった。
声がした。
> 「ねえ、そっちは寒い?」
誰かが、話しかけてきた。
思わず「誰ですか?」と返すと、返事があった。
> 「わたしは……こっちにいるの。
> でも、名前は忘れちゃった。
> あなたの声、あたたかいね」
女の子のような声だった。
幼さと、澄んだ響きが混じる、不思議な声。
私はそのまま、障子の前で言葉を交わした。
> 「お名前は?」
> 「わかんない。でも、おばあちゃんが、いつもここでお祈りしてたよ」
> 「どうしてここに?」
> 「……さむいの。ずっと、ずっと」
朝、目が覚めると障子の前には古びた線香の匂いが漂っていた。
誰が焚いたのかも、なぜ残っているのかもわからない。
その日、伯父の嫁に尋ねた。
「この部屋の向こうって、何がありますか?」
彼女はしばらく黙っていた。
そして、ぽつりと答えた。
「何もないよ。……昔はあったけどね。
あの障子は、開けちゃいけないんだよ」
それでも、夜になると声はまたした。
> 「ねえ、今夜もお話しして?」
> 「わたし、ことばが上手になってきたの」
> 「もうすぐ、そっちに行ける気がするの」
私は、声を返してしまっていた。
理由は、よくわからない。ただ――
寂しそうだった。
それだけは、はっきりと伝わった。
ある晩。
声の主がこう言った。
> 「きょうは、ありがとう。
> あなたのおかげで、思い出した。
> わたし、“サヨ”っていうの」
そして、最後にこう囁いた。
> 「つぎに障子が開いたとき、
> わたしと、かわろうね」
その夜、夢を見た。
古い座敷。線香の煙。
白無垢の少女が、仏壇の前でじっと正座している。
顔が見えない。ただ、手に抱えていたのは――私の着ていた半纏だった。
朝、目が覚めると、障子の向こうは真っ暗だった。
あの光は、もうなかった。
だが、障子の桟に小さな手の跡が残っていた。
それは、私の手のひらよりも、ずっと小さかった。
その日、伯父の嫁がこっそり教えてくれた。
「昔ね、あの部屋には奉公に来た女の子がいたの。
でも、冬の夜、寒さでこごえて……そのまま」
「その子の名前は……?」
「サヨちゃん」
――あの声の主だ。
今も、私は時々、あの障子の夢を見る。
光の向こうで、誰かがこちらを見ている。
小さな声が囁く。
> 「つぎは、あなたが“こっち”にきて」
> 「もうすこしで、戸が開くの」
◆エピローグ
古い家の障子の向こうに、光が差していたら――
それは外からの明かりではありません。
ずっと待っていた“声”が、あなたを呼んでいるのです。
決して、返事をしてはいけません。
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