怪奇蒐集帳(短編集)

naomikoryo

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137)『耳の無い街』

その町に降りたとき、私はすぐに違和感を覚えた。

 音が、ない。

 蝉の声も、車の音も、人の話し声もない。

 駅の構内には人がいた。売店も開いていた。
 改札を抜ければ、数人の学生が歩いていたし、老人が犬を連れて散歩もしていた。

 だけど――誰一人、喋らない。

 挨拶も、足音も、風の音も、すべてが吸い込まれていた。

 私は観光案内所で尋ねた。

 「この町、何かお祭りか何かで“静かにする日”なんですか?」

 職員の女性はにっこりと笑った。
 しかし、一言も声を発さず、案内パンフレットを差し出しただけだった。

 それすらも、紙が擦れる音がまったくしなかった。

 それを見て私は初めて気づいた。

 この町には、音が存在していない。

 泊まった民宿も、同じだった。

 女将は朗らかだが、無言。
 廊下を歩く音も、障子の開閉音も、まったくしない。

 テレビをつけてみても、映像は動くが、音声は出なかった。

 携帯で音楽を再生しても、イヤホンを通しても無音。

 私の耳がおかしいのではなく、この町全体が“無音”に包まれていた。

 だが、夜。

 床に就いて、ふと耳を塞ぐと――音が聞こえた。

 遠くから、井戸の奥から響くような声。

 > 「……かえして……」

 > 「わたしのこえ……どこ……」

 脳内で反響するような、“耳の外からでなく、耳の奥に届く”声。

 その瞬間、背筋がぞわりと粟立った。

 翌朝、町を歩いた。

 人々はいつも通り動いていた。
 笑顔を浮かべ、うなずき合い、言葉を使わずに会話している。

 私は耳を塞ぎながら歩いた。

 すると、建物の奥、井戸、蔵の裏、学校の校庭の片隅――
 あちこちから、ささやくような“音”が聞こえてきた。

 それらはみな、“消された声たち”だった。

 古書店で、私は一冊の手記を見つけた。

 表紙に墨で書かれていたタイトルは『耳の無い街について』

 ページをめくると、こうあった。

 > 「音のない街は、静かで平和で、美しい。
 >  けれどその静けさは、“何かと引き換え”でしか得られない」
 > 「この町では、音と記憶は繋がっている。
 >  音を奪われた者は、自分の存在の一部を置いていく」
 > 「声を忘れた人間は、“声のないまま”にしか存在できない」

 そして最後のページには、震えるような文字があった。

 > 「私は――今、名前を思い出せない。
 >  私が誰だったのか、わからない。
 >  でも、時々、耳を塞ぐと**“自分の声”が遠くから聞こえる。**
 >  それを聞くのが、もう怖くてたまらない――」

 その夜、夢を見た。

 真っ暗な空間の中に、“音だけの存在”たちがうごめいていた。

 ・笑い声
 ・泣き声
 ・叫び声
 ・名を呼ぶ声
 ・歌う声

 彼らはみな、声だけでそこに存在していた。
 身体も顔もない。ただ音だけ。

 そして私の声が――その中から、私を呼んでいた。

 > 「おーい、ここだよ」
 > 「聞こえる? これ、あなたの声だよ」

 朝、目覚めると、私は喉を押さえていた。

 声を出そうとしたが、出なかった。

 何かを話そうとすると、喉の奥から“他人の声”が聞こえるのだ。

 私が話すと、誰かが答えるようにして言葉が漏れる。

 > 「やっと……替われた……」

 町を離れようとすると、誰かが止めに来た。

 白い作業着の男。無言で私を見つめる。

 その口元だけが、うっすらと動いていた。

 > 「もう、出られないよ」

 私は今も、町の一角の“喫茶店”で働いている。

 言葉は使わない。音は出ない。

 でも、耳を塞げば――遠くで、誰かが私の声を探しているのがわかる。

 私の声。私の音。私の名前。

 それらはすべて、この町の地下に封じられている。

◆エピローグ
 静かで居心地の良い町を見つけたら――注意してください。

 そこには、音の代わりに“記憶”を吸うものがいるかもしれません。

 耳を塞いで、“あなた自身の声”が聞こえたなら、
 それは――もう、あなたが“そこにいない”ということです。

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