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第2章:街の片隅で、奇跡と嘘を語る
第8話『グラディスの手、伸びる』
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王都の中央に聳える政務庁、その最上階。
宰相グラディスの執務室では、重々しい沈黙が流れていた。
その机上には、分厚い報告書が束ねられている。
紙の端には、王都郊外“聖アヴェニア教会”の名。
そして、その下に添えられた一文。
──「聖女セシリア、教会より影響力を持ち始めています」
「……忌々しいことだ」
グラディスは、報告書の端を力なく握りしめた。
「人はな、真理では動かん。“感情”でしか動かんのだ。
だからこそ、政治には感情を操作する術が必要だ。
その点……あの女は――“聖女”などという偶像は――人の感情を煽るには、あまりにも効果的すぎる」
彼の目が細められる。
「それに寄り添い、力を貸しているという“相談役”の男。……マーヴィン、か」
背後の壁に取り付けられた魔導鏡が、静かに光る。
そこに映し出されたのは、今朝の教会前。
人々が並び、セシリアに祈りを求め、マーヴィンが言葉を投げかける光景。
「……この男の“話し方”は尋常ではない。“あやつる”のではない、“染み込ませる”言葉だ」
グラディスは指を鳴らした。
背後の扉が静かに開き、黒衣の男が一人、姿を現す。
法衣に似た装束。
だが、その目に浮かぶのは聖職者の清らかさではなく、冷徹な計算だった。
「次の“手”を。動かせ」
「どのように?」
「まずは世論だ。“偽りの奇跡”という種を撒け。
民は疑いを持ち始めた時点で、もう疑っているのと同じだ」
男は静かに頷いた。
「承知しました。“静かに崩す”、という方針で」
「それでいい。聖女の光は、真実である必要はない。
“疑われれば、それだけで傷がつく”のだ」
—
数日後。
街には、ぽつりぽつりと妙な噂が流れ始めた。
「教会の“祝福”、本当に神のものか……?」
「相談役の男、どこか胡散臭くないか?」
「そもそも、聖女って言うけど……城を出た女じゃないか」
「本物なら、なぜ城を追われた?」
街角に立つ語り手、酔客の囁き、旅商人の口……
噂はどこからともなく流れ込み、少しずつ人々の心を濁らせていく。
—
それに、最初に気づいたのはマーヴィンだった。
「……風向きが変わってきた」
教会の窓から、街の通りを見下ろしながら、彼は小さく呟いた。
「人の目が、わずかに変わった。
“憧れ”ではなく、“好奇”と“猜疑”が混じってきている」
セシリアは、戸惑いながらマーヴィンの顔を見つめる。
「どうすれば……このままじゃ、皆……」
「大丈夫だよ、セシリア。人の噂は、焚き火みたいなものさ。
火が小さいうちは、焦って水をかけると逆効果になる。
だから……」
マーヴィンは、微かに笑った。
「“薪”をくべよう。大きく燃やして、“煙を逆流させる”」
「……どういうことですか?」
「“疑い”は、隠そうとするから強くなる。
ならこちらから、“堂々と見せて”やればいい。
どんな質問も、どんな声も受け止められるような“公開の場”を作るんだ」
—
その日の午後。
教会の広場には、急ごしらえの“演壇”が組まれていた。
教会の中庭に設けられた簡素な台の上に、セシリアとマーヴィンが並び立つ。
マーヴィンが、手を広げて語りかける。
「皆さん、今ここに集まっていただいたのは、“真実を語るため”ではありません。
私たちは、“あなたがたの不安”に、向き合いたいのです」
人々の顔に、戸惑いと期待が浮かぶ。
「“祝福”とは、神の力か、それとも偶然か。
聖女とは、本物か、それとも名前だけか。
……どうぞ、聞いてください。私たちは答えます。
隠すことなど、何もありませんから」
ざわめきが走る。
「それでは、最初の方……どうぞ」
一人の男が手を挙げた。
「俺の娘が、足の病で歩けなかった。
でも、あんたの祝福を受けて、今は走り回ってる。
……でもな、それが“神の力”って、どうして言い切れるんだ?」
セシリアが少し緊張した面持ちで口を開く。
「それは……わたしにも分かりません。
でも、わたしは“治したい”と本気で思ってました。
その時、神様が力を貸してくれたと、信じています」
「……それだけか?」
「はい。……でも、もし娘さんが“良くなってよかった”って思ってくれてるなら、
その幸せの中に、神様の御心があったと思ってくれたら、嬉しいです」
男は、しばらく口を開かなかった。
そして、ふいに短く笑った。
「……娘が、嬉しそうに走ってる。それで十分だな。
“信じたい”と思えるなら、それでいい」
拍手が起きた。
マーヴィンは、演壇の上でゆっくりと頷く。
(正直な言葉は、強い。作られた神話よりも、信じるに値する)
—
その日の“公開対話”は、終始穏やかに進んだ。
“奇跡”を信じる者もいれば、ただ人柄を信じる者もいた。
そして、最後まで誰一人、教会を責める者はいなかった。
—
夜、マーヴィンとセシリアは屋根の上に座っていた。
風が涼しく、星が多い夜だった。
「……不安でした。でも、よかった。
ちゃんと皆さんに、伝わった気がします」
「君の言葉には、“飾り”がないからね。
だから伝わる。……たとえ真っ直ぐすぎて、危ういとしても」
「危うい……ですか?」
「世の中には、“正しすぎる者”を嫌う人間も多いんだよ。
君のような人は、特にね」
「でも、そういう人にも……“伝わる”って信じたいです」
マーヴィンは目を細めて笑った。
「信じるのは自由だ。
そして、信じる者には、それを守る者が必要だ」
「それって……マーヴィン様のことですか?」
「さぁ、どうだろうね」
(“信じる者”を守るために、嘘と策を使う。
それを皮肉と言うか、忠義と言うか……
どちらにせよ、俺はそれを選んだ)
—
そのころ。
教会の外れに佇む一人の黒衣の男が、報告書を手に、王都に向けて馬を走らせていた。
報告の表紙には、こう記されている。
──「聖女セシリア、依然として民心を掌握中。
“相談役”の男、警戒すべし。真名不明、経歴不明。
言葉のみで、事態を操作する能力あり」
報告は、グラディスの手へと届こうとしていた。
そして次の“攻勢”が、動き始めようとしていた——。
宰相グラディスの執務室では、重々しい沈黙が流れていた。
その机上には、分厚い報告書が束ねられている。
紙の端には、王都郊外“聖アヴェニア教会”の名。
そして、その下に添えられた一文。
──「聖女セシリア、教会より影響力を持ち始めています」
「……忌々しいことだ」
グラディスは、報告書の端を力なく握りしめた。
「人はな、真理では動かん。“感情”でしか動かんのだ。
だからこそ、政治には感情を操作する術が必要だ。
その点……あの女は――“聖女”などという偶像は――人の感情を煽るには、あまりにも効果的すぎる」
彼の目が細められる。
「それに寄り添い、力を貸しているという“相談役”の男。……マーヴィン、か」
背後の壁に取り付けられた魔導鏡が、静かに光る。
そこに映し出されたのは、今朝の教会前。
人々が並び、セシリアに祈りを求め、マーヴィンが言葉を投げかける光景。
「……この男の“話し方”は尋常ではない。“あやつる”のではない、“染み込ませる”言葉だ」
グラディスは指を鳴らした。
背後の扉が静かに開き、黒衣の男が一人、姿を現す。
法衣に似た装束。
だが、その目に浮かぶのは聖職者の清らかさではなく、冷徹な計算だった。
「次の“手”を。動かせ」
「どのように?」
「まずは世論だ。“偽りの奇跡”という種を撒け。
民は疑いを持ち始めた時点で、もう疑っているのと同じだ」
男は静かに頷いた。
「承知しました。“静かに崩す”、という方針で」
「それでいい。聖女の光は、真実である必要はない。
“疑われれば、それだけで傷がつく”のだ」
—
数日後。
街には、ぽつりぽつりと妙な噂が流れ始めた。
「教会の“祝福”、本当に神のものか……?」
「相談役の男、どこか胡散臭くないか?」
「そもそも、聖女って言うけど……城を出た女じゃないか」
「本物なら、なぜ城を追われた?」
街角に立つ語り手、酔客の囁き、旅商人の口……
噂はどこからともなく流れ込み、少しずつ人々の心を濁らせていく。
—
それに、最初に気づいたのはマーヴィンだった。
「……風向きが変わってきた」
教会の窓から、街の通りを見下ろしながら、彼は小さく呟いた。
「人の目が、わずかに変わった。
“憧れ”ではなく、“好奇”と“猜疑”が混じってきている」
セシリアは、戸惑いながらマーヴィンの顔を見つめる。
「どうすれば……このままじゃ、皆……」
「大丈夫だよ、セシリア。人の噂は、焚き火みたいなものさ。
火が小さいうちは、焦って水をかけると逆効果になる。
だから……」
マーヴィンは、微かに笑った。
「“薪”をくべよう。大きく燃やして、“煙を逆流させる”」
「……どういうことですか?」
「“疑い”は、隠そうとするから強くなる。
ならこちらから、“堂々と見せて”やればいい。
どんな質問も、どんな声も受け止められるような“公開の場”を作るんだ」
—
その日の午後。
教会の広場には、急ごしらえの“演壇”が組まれていた。
教会の中庭に設けられた簡素な台の上に、セシリアとマーヴィンが並び立つ。
マーヴィンが、手を広げて語りかける。
「皆さん、今ここに集まっていただいたのは、“真実を語るため”ではありません。
私たちは、“あなたがたの不安”に、向き合いたいのです」
人々の顔に、戸惑いと期待が浮かぶ。
「“祝福”とは、神の力か、それとも偶然か。
聖女とは、本物か、それとも名前だけか。
……どうぞ、聞いてください。私たちは答えます。
隠すことなど、何もありませんから」
ざわめきが走る。
「それでは、最初の方……どうぞ」
一人の男が手を挙げた。
「俺の娘が、足の病で歩けなかった。
でも、あんたの祝福を受けて、今は走り回ってる。
……でもな、それが“神の力”って、どうして言い切れるんだ?」
セシリアが少し緊張した面持ちで口を開く。
「それは……わたしにも分かりません。
でも、わたしは“治したい”と本気で思ってました。
その時、神様が力を貸してくれたと、信じています」
「……それだけか?」
「はい。……でも、もし娘さんが“良くなってよかった”って思ってくれてるなら、
その幸せの中に、神様の御心があったと思ってくれたら、嬉しいです」
男は、しばらく口を開かなかった。
そして、ふいに短く笑った。
「……娘が、嬉しそうに走ってる。それで十分だな。
“信じたい”と思えるなら、それでいい」
拍手が起きた。
マーヴィンは、演壇の上でゆっくりと頷く。
(正直な言葉は、強い。作られた神話よりも、信じるに値する)
—
その日の“公開対話”は、終始穏やかに進んだ。
“奇跡”を信じる者もいれば、ただ人柄を信じる者もいた。
そして、最後まで誰一人、教会を責める者はいなかった。
—
夜、マーヴィンとセシリアは屋根の上に座っていた。
風が涼しく、星が多い夜だった。
「……不安でした。でも、よかった。
ちゃんと皆さんに、伝わった気がします」
「君の言葉には、“飾り”がないからね。
だから伝わる。……たとえ真っ直ぐすぎて、危ういとしても」
「危うい……ですか?」
「世の中には、“正しすぎる者”を嫌う人間も多いんだよ。
君のような人は、特にね」
「でも、そういう人にも……“伝わる”って信じたいです」
マーヴィンは目を細めて笑った。
「信じるのは自由だ。
そして、信じる者には、それを守る者が必要だ」
「それって……マーヴィン様のことですか?」
「さぁ、どうだろうね」
(“信じる者”を守るために、嘘と策を使う。
それを皮肉と言うか、忠義と言うか……
どちらにせよ、俺はそれを選んだ)
—
そのころ。
教会の外れに佇む一人の黒衣の男が、報告書を手に、王都に向けて馬を走らせていた。
報告の表紙には、こう記されている。
──「聖女セシリア、依然として民心を掌握中。
“相談役”の男、警戒すべし。真名不明、経歴不明。
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