引退詐欺師、異世界で聖女の相談役になる

naomikoryo

文字の大きさ
13 / 53
第2章:街の片隅で、奇跡と嘘を語る

第8話『グラディスの手、伸びる』

しおりを挟む
王都の中央に聳える政務庁、その最上階。
宰相グラディスの執務室では、重々しい沈黙が流れていた。

その机上には、分厚い報告書が束ねられている。
紙の端には、王都郊外“聖アヴェニア教会”の名。
そして、その下に添えられた一文。

──「聖女セシリア、教会より影響力を持ち始めています」

「……忌々しいことだ」

グラディスは、報告書の端を力なく握りしめた。

「人はな、真理では動かん。“感情”でしか動かんのだ。
だからこそ、政治には感情を操作する術が必要だ。
その点……あの女は――“聖女”などという偶像は――人の感情を煽るには、あまりにも効果的すぎる」

彼の目が細められる。

「それに寄り添い、力を貸しているという“相談役”の男。……マーヴィン、か」

背後の壁に取り付けられた魔導鏡が、静かに光る。

そこに映し出されたのは、今朝の教会前。
人々が並び、セシリアに祈りを求め、マーヴィンが言葉を投げかける光景。

「……この男の“話し方”は尋常ではない。“あやつる”のではない、“染み込ませる”言葉だ」

グラディスは指を鳴らした。

背後の扉が静かに開き、黒衣の男が一人、姿を現す。
法衣に似た装束。
だが、その目に浮かぶのは聖職者の清らかさではなく、冷徹な計算だった。

「次の“手”を。動かせ」

「どのように?」

「まずは世論だ。“偽りの奇跡”という種を撒け。
民は疑いを持ち始めた時点で、もう疑っているのと同じだ」

男は静かに頷いた。

「承知しました。“静かに崩す”、という方針で」

「それでいい。聖女の光は、真実である必要はない。
“疑われれば、それだけで傷がつく”のだ」



数日後。
街には、ぽつりぽつりと妙な噂が流れ始めた。

「教会の“祝福”、本当に神のものか……?」
「相談役の男、どこか胡散臭くないか?」
「そもそも、聖女って言うけど……城を出た女じゃないか」
「本物なら、なぜ城を追われた?」

街角に立つ語り手、酔客の囁き、旅商人の口……
噂はどこからともなく流れ込み、少しずつ人々の心を濁らせていく。



それに、最初に気づいたのはマーヴィンだった。

「……風向きが変わってきた」

教会の窓から、街の通りを見下ろしながら、彼は小さく呟いた。

「人の目が、わずかに変わった。
“憧れ”ではなく、“好奇”と“猜疑”が混じってきている」

セシリアは、戸惑いながらマーヴィンの顔を見つめる。

「どうすれば……このままじゃ、皆……」

「大丈夫だよ、セシリア。人の噂は、焚き火みたいなものさ。
火が小さいうちは、焦って水をかけると逆効果になる。
だから……」

マーヴィンは、微かに笑った。

「“薪”をくべよう。大きく燃やして、“煙を逆流させる”」

「……どういうことですか?」

「“疑い”は、隠そうとするから強くなる。
ならこちらから、“堂々と見せて”やればいい。
どんな質問も、どんな声も受け止められるような“公開の場”を作るんだ」



その日の午後。

教会の広場には、急ごしらえの“演壇”が組まれていた。
教会の中庭に設けられた簡素な台の上に、セシリアとマーヴィンが並び立つ。

マーヴィンが、手を広げて語りかける。

「皆さん、今ここに集まっていただいたのは、“真実を語るため”ではありません。
私たちは、“あなたがたの不安”に、向き合いたいのです」

人々の顔に、戸惑いと期待が浮かぶ。

「“祝福”とは、神の力か、それとも偶然か。
聖女とは、本物か、それとも名前だけか。
……どうぞ、聞いてください。私たちは答えます。
隠すことなど、何もありませんから」

ざわめきが走る。

「それでは、最初の方……どうぞ」

一人の男が手を挙げた。

「俺の娘が、足の病で歩けなかった。
でも、あんたの祝福を受けて、今は走り回ってる。
……でもな、それが“神の力”って、どうして言い切れるんだ?」

セシリアが少し緊張した面持ちで口を開く。

「それは……わたしにも分かりません。
でも、わたしは“治したい”と本気で思ってました。
その時、神様が力を貸してくれたと、信じています」

「……それだけか?」

「はい。……でも、もし娘さんが“良くなってよかった”って思ってくれてるなら、
その幸せの中に、神様の御心があったと思ってくれたら、嬉しいです」

男は、しばらく口を開かなかった。
そして、ふいに短く笑った。

「……娘が、嬉しそうに走ってる。それで十分だな。
“信じたい”と思えるなら、それでいい」

拍手が起きた。

マーヴィンは、演壇の上でゆっくりと頷く。

(正直な言葉は、強い。作られた神話よりも、信じるに値する)



その日の“公開対話”は、終始穏やかに進んだ。
“奇跡”を信じる者もいれば、ただ人柄を信じる者もいた。
そして、最後まで誰一人、教会を責める者はいなかった。



夜、マーヴィンとセシリアは屋根の上に座っていた。

風が涼しく、星が多い夜だった。

「……不安でした。でも、よかった。
ちゃんと皆さんに、伝わった気がします」

「君の言葉には、“飾り”がないからね。
だから伝わる。……たとえ真っ直ぐすぎて、危ういとしても」

「危うい……ですか?」

「世の中には、“正しすぎる者”を嫌う人間も多いんだよ。
君のような人は、特にね」

「でも、そういう人にも……“伝わる”って信じたいです」

マーヴィンは目を細めて笑った。

「信じるのは自由だ。
そして、信じる者には、それを守る者が必要だ」

「それって……マーヴィン様のことですか?」

「さぁ、どうだろうね」

(“信じる者”を守るために、嘘と策を使う。
それを皮肉と言うか、忠義と言うか……
どちらにせよ、俺はそれを選んだ)



そのころ。
教会の外れに佇む一人の黒衣の男が、報告書を手に、王都に向けて馬を走らせていた。

報告の表紙には、こう記されている。

──「聖女セシリア、依然として民心を掌握中。
“相談役”の男、警戒すべし。真名不明、経歴不明。
言葉のみで、事態を操作する能力あり」

報告は、グラディスの手へと届こうとしていた。

そして次の“攻勢”が、動き始めようとしていた——。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

40歳のおじさん 旅行に行ったら異世界でした どうやら私はスキル習得が早いようです

カムイイムカ(神威異夢華)
ファンタジー
部長に傷つけられ続けた私 とうとうキレてしまいました なんで旅行ということで大型連休を取ったのですが 飛行機に乗って寝て起きたら異世界でした…… スキルが簡単に得られるようなので頑張っていきます

クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?

青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。 最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。 普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた? しかも弱いからと森に捨てられた。 いやちょっとまてよ? 皆さん勘違いしてません? これはあいの不思議な日常を書いた物語である。 本編完結しました! 相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです! 1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…

無属性魔法使いの下剋上~現代日本の知識を持つ魔導書と契約したら、俺だけが使える「科学魔法」で学園の英雄に成り上がりました~

黒崎隼人
ファンタジー
「お前は今日から、俺の主(マスター)だ」――魔力を持たない“無能”と蔑まれる落ちこぼれ貴族、ユキナリ。彼が手にした一冊の古びた魔導書。そこに宿っていたのは、異世界日本の知識を持つ生意気な魂、カイだった! 「俺の知識とお前の魔力があれば、最強だって夢じゃない」 主従契約から始まる、二人の秘密の特訓。科学的知識で魔法の常識を覆し、落ちこぼれが天才たちに成り上がる! 無自覚に甘い主従関係と、胸がすくような下剋上劇が今、幕を開ける!

スーパーの店長・結城偉介 〜異世界でスーパーの売れ残りを在庫処分〜

かの
ファンタジー
 世界一周旅行を夢見てコツコツ貯金してきたスーパーの店長、結城偉介32歳。  スーパーのバックヤードで、うたた寝をしていた偉介は、何故か異世界に転移してしまう。  偉介が転移したのは、スーパーでバイトするハル君こと、青柳ハル26歳が書いたファンタジー小説の世界の中。  スーパーの過剰商品(売れ残り)を捌きながら、微妙にズレた世界線で、偉介の異世界一周旅行が始まる!  冒険者じゃない! 勇者じゃない! 俺は商人だーーー! だからハル君、お願い! 俺を戦わせないでください!

相続した畑で拾ったエルフがいつの間にか嫁になっていた件 ~魔法で快適!田舎で農業スローライフ~

ちくでん
ファンタジー
山科啓介28歳。祖父の畑を相続した彼は、脱サラして農業者になるためにとある田舎町にやってきた。 休耕地を畑に戻そうとして草刈りをしていたところで発見したのは、倒れた美少女エルフ。 啓介はそのエルフを家に連れ帰ったのだった。 異世界からこちらの世界に迷い込んだエルフの魔法使いと初心者農業者の主人公は、畑をおこして田舎に馴染んでいく。 これは生活を共にする二人が、やがて好き合うことになり、付き合ったり結婚したり作物を育てたり、日々を生活していくお話です。

【完結】異世界で魔道具チートでのんびり商売生活

シマセイ
ファンタジー
大学生・誠也は工事現場の穴に落ちて異世界へ。 物体に魔力を付与できるチートスキルを見つけ、 能力を隠しつつ魔道具を作って商業ギルドで商売開始。 のんびりスローライフを目指す毎日が幕を開ける!

幼女はリペア(修復魔法)で無双……しない

しろこねこ
ファンタジー
田舎の小さな村・セデル村に生まれた貧乏貴族のリナ5歳はある日魔法にめざめる。それは貧乏村にとって最強の魔法、リペア、修復の魔法だった。ちょっと説明がつかないでたらめチートな魔法でリナは覇王を目指……さない。だって平凡が1番だもん。騙され上手な父ヘンリーと脳筋な兄カイル、スーパー執事のゴフじいさんと乙女なおかんマール婆さんとの平和で凹凸な日々の話。

中身は80歳のおばあちゃんですが、異世界でイケオジ伯爵に溺愛されています

浅水シマ
ファンタジー
【完結しました】 ーー人生まさかの二週目。しかもお相手は年下イケオジ伯爵!? 激動の時代を生き、八十歳でその生涯を終えた早川百合子。 目を覚ますと、そこは異世界。しかも、彼女は公爵家令嬢“エマ”として新たな人生を歩むことに。 もう恋愛なんて……と思っていた矢先、彼女の前に現れたのは、渋くて穏やかなイケオジ伯爵・セイルだった。 セイルはエマに心から優しく、どこまでも真摯。 戸惑いながらも、エマは少しずつ彼に惹かれていく。 けれど、中身は人生80年分の知識と経験を持つ元おばあちゃん。 「乙女のときめき」にはとっくに卒業したはずなのに――どうしてこの人といると、胸がこんなに苦しいの? これは、中身おばあちゃん×イケオジ伯爵の、 ちょっと不思議で切ない、恋と家族の物語。 ※小説家になろうにも掲載中です。

処理中です...