引退詐欺師、異世界で聖女の相談役になる

naomikoryo

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第2章:街の片隅で、奇跡と嘘を語る

第9話『名前なき男の影』

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王都。宰相府・地下記録庫。

“ここには、存在しない者の記録だけが収められる”

宰相グラディスは、一枚の報告書を手にしていた。
それは先日、教会へ送り込んだ調査員が持ち帰ったものだった。

紙面には、こう記されていた。

【対象名】マーヴィン(仮称)
【種族】人間(確認済)
【出自】不明
【出現地点】王都郊外 第一関所にて仮登録(記録番号なし)
【経歴】数日前まで記録存在せず。指紋、魔力波長、いずれも登録なし。
【備考】言語理解に異様な速度あり。演説的能力極めて高し。

「……この男には、“過去”がない」

グラディスは、ぼそりと呟いた。
その声には、警戒以上に、“好奇”が混じっていた。

「過去がないということは、未来も作れない。
だが……それは同時に、“何者にもなれる”ということでもある」

その目が細く鋭くなる。

「面白い。あの娘の“聖性”よりも、むしろ……この男の“正体不明”こそ、脅威かもしれんな」

グラディスは、机にあったもう一通の書簡に目を通した。
差出人は、地方領主のひとり。
「教会にて、元盗賊の一団が“自警団”として活動中」との報。

「つまり、元はならず者。そのならず者を、祝福ではなく“言葉”で従えた男……」

彼は机に肘をつき、ゆっくりと指を組んだ。

「——“記録にない者”を動かせるのは、“記録にない者”だけだ」

次なる一手は、“影の遣い”だった。



数日後。
教会近くの市場に、一人の旅人が現れた。

粗末な黒衣。旅の杖。
よく見れば、風に逆らうような歩き方。
背筋は伸び、姿勢に乱れはない。

この男こそ、宰相グラディスの直属の“観察者”。
かつて“影の聴き手”と呼ばれ、どの派閥にも属さず、真実のみを記録することを求められた者。

男は教会の敷地を訪れ、丁寧に頭を下げた。

「聖女セシリア様に、相談がございます。
ただの旅の者ですが、心に曇りがありまして……」

セシリアは迷いなく男を中へ通した。
マーヴィンは、一歩離れた位置からそのやり取りを見つめていた。

(来たか。……“何か”を見に来た眼差しだ)



相談の内容は、ごく普通の話だった。

「かつて仕えていた主が、今は不正をしている気がする。
それを告発すべきか、それとも静かに離れるべきか、迷っている」

セシリアは、相手の目を真っ直ぐに見て答えた。

「……正しさと善さは、時々すれ違います。
でも、きっと心が痛む道は、選ばない方がいいと思います。
告発するのが怖いなら、まず距離を取って、それでも耐えられなければ……その時こそ、本当の勇気が必要なんだと思います」

旅人の目が、わずかに細められる。

「……では、そのようにいたします。感謝を」



男が出ていくと、マーヴィンはすぐに声をかけた。

「変わった来訪者だったね」

「ええ……何か、目が冷たかったような気がします」

「冷たい目は、時に“誠実”の現れでもあるよ。
感情に流されないように、自分を抑えている証拠だ」

「……そういうものですか?」

「ただし、“真実を暴くこと”を仕事にしている者の目ではあったね」

マーヴィンは、視線を扉の向こうへ投げた。

(情報収集が目的だとしたら、あの目は……相当な熟練者だ。
こちらの言葉の“選び方”すら、読み取られている)



その夜。

マーヴィンは一人、物置き部屋で古びた日記帳を開いていた。
そこには、彼がこの世界に来てからの観察と記録が綴られている。

そこに、新たな一文が加えられる。

【記録 48】
グラディスの次手、“聴き手”と思われる者、来訪。
目的:セシリアの信念の強度確認/マーヴィンの話術観察
反応:表面上、満足して退出。裏に目的隠しきれず。
判断:今はまだ、こちらの“虚構”は崩れていない。

マーヴィンは、ペンを置いた。

「……君は、まだ知らなくていい。
この世界が、君をどう扱おうとしているのかも。
そして、俺が……この舞台で何をしようとしているのかも」

窓の外。
夜空に、一つ星が流れた。



そして、王都では。

影の遣いが、宰相グラディスに報告を終え、静かにこう告げた。

「……あの男、マーヴィン。
言葉に“意図”がありません。
にも関わらず、相手を動かします」

「ほう。つまり?」

「“演技”ではなく、“無意識”に人を動かす。
……それは、最も厄介な存在です。
“自覚なき導き手”。
それは時に、神すらも狂わせます」

グラディスは薄く笑った。

「なるほど。ならば“揺さぶる”としよう。
その聖女に、最も相応しくない噂を」
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