29 / 53
第3章:灰と炎の預言
第12話『神の声、再び』
しおりを挟む
「――“本当に”神はいるのか?」
その問いが発せられたのは、町の酒場だった。
祝福の信任式から三日後。
街は一見穏やかに戻ったように見えたが、地下には小さな“火種”がくすぶっていた。
問いを投げたのは、元騎士であり、かつて教会に救いを求めて門前払いを受けたという男――バリオ・ランデン。
その隣には、同じように過去に“神に祈ったが救われなかった”という者たちが座っていた。
農夫、鍛冶職人、元兵士、身寄りのない女、片目を失った男。
彼らは一様に口をつぐみ、ただバリオの言葉を聞いていた。
「俺はな……膝をついて祈ったんだよ。
仲間の命を救ってくれって。
血まみれで、泥の中で、何度も何度も叫んだ。
でも、何も起きなかった。
神は、ただ“沈黙”していた」
杯を置く音が、重たく響く。
「……それでも、“あの娘”の祈りが聞こえるって言うのか?」
誰も返事をしなかった。
だがその夜、彼らの何人かは、教会の外壁に“赤い印”を残した。
――神の目を拒む者の印。
それは、かつて神殿を追われた者たちが用いた、異端の象徴だった。
—
「……これ、昨晩のことです」
報告を受けたマーヴィンは、教会の外壁に刻まれた印を指でなぞった。
赤褐色の塗料。
地元の樹皮から取れる汁で描かれており、雨では落ちない。
「これ、“印”じゃない。ただの警告だ。
“我々は見ている”っていう、無言の圧力」
「誰が……?」
セシリアは、不安げにその印を見上げる。
「この町の“祈れなかった者”たちだろうな。
神を信じたくても、見捨てられたと感じた連中」
「でも……わたし、そんな人たちこそ……」
「知ってる。君が一番、彼らに寄り添いたいと願ってるってことは。
……でも、彼らは今、寄り添う手を“拒んでる”。
信じるには痛みが多すぎて、“怒り”しか残ってないんだ」
セシリアは胸元のロザリオを強く握る。
「それでも、わたし……行きます。
彼らのところへ。
祈ってもいいと、もう一度伝えたい」
—
翌日、セシリアとマーヴィンは、町外れの酒場を訪れた。
バリオたちが集まっていたのは、廃れた倉庫の一角。
かつては騎士団の補給庫だったその場所は、今は陰気な空気に沈んでいた。
「……あんたが、“聖女”か」
バリオは、斜に構えながらセシリアを見下ろした。
その眼には侮蔑も、好奇心もなく、ただ冷たい“断絶”があった。
セシリアは、まっすぐに立って答える。
「はい。わたしは、セシリア・ミリエル。
この町で、祈りを捧げる者です」
「……祈りねぇ。
じゃあ聞かせてくれ。“祈って救えなかった者”は、どうすりゃいいんだ?」
「……わたしは、救えなかったことを、“なかったこと”にはできません。
でも、それでも、あなたが誰かを想って祈ったその心は、
きっとどこかに届いています」
「“届いてる”って、どこにだよ?
死んだ仲間は生き返らねぇ。
信じた神は黙ったまま。
俺たちの声は、何にもならなかった」
セシリアは一歩、彼に近づいた。
「だから、わたしが祈ります。
あなたの祈りを“誰かに届くもの”にするために。
……わたしは、“叶える”ことはできないかもしれない。
でも、“祈りを諦めなくていい”ってことだけは、伝えたいんです」
沈黙。
バリオの拳が震える。
「……嘘くさいんだよ」
「それでも、あなたが怒るってことは、
今でもどこかで、“神を信じたかった”んだと思います」
その瞬間、バリオの目に、わずかに光が揺れた。
「……泣かせるなよ、こんなところで」
「泣いても……いいんです」
マーヴィンは、それを傍で見守っていた。
その手の中には、いつでも切り出せる言葉が握られていたが、今はただ、沈黙の力を信じていた。
—
その夜。
教会の前に、静かにバリオの姿があった。
彼は、手に酒瓶を持ったまま、壁の“赤い印”をじっと見ていた。
そして、数秒後。
持っていた布で、ゆっくりとその印を拭いはじめた。
セシリアの祈りは、届いていた。
—
しかしその一方、町の東部。
廃坑に集まる一団がいた。
「“あの女の祈り”は、“ただの感情”だ」
「“神を拒まれた者たち”を、再び眠らせるには、もっと強い力がいる」
「――準備を始めろ。奴らに“本当の神の怒り”を見せる時が来た」
それは、かつて神殿を追放された者たち。
“偽祝福者”と呼ばれた魔術的信仰者の残党だった。
彼らは、セシリアの祈りに嫉妬し、憎み、そして――恐れていた。
その問いが発せられたのは、町の酒場だった。
祝福の信任式から三日後。
街は一見穏やかに戻ったように見えたが、地下には小さな“火種”がくすぶっていた。
問いを投げたのは、元騎士であり、かつて教会に救いを求めて門前払いを受けたという男――バリオ・ランデン。
その隣には、同じように過去に“神に祈ったが救われなかった”という者たちが座っていた。
農夫、鍛冶職人、元兵士、身寄りのない女、片目を失った男。
彼らは一様に口をつぐみ、ただバリオの言葉を聞いていた。
「俺はな……膝をついて祈ったんだよ。
仲間の命を救ってくれって。
血まみれで、泥の中で、何度も何度も叫んだ。
でも、何も起きなかった。
神は、ただ“沈黙”していた」
杯を置く音が、重たく響く。
「……それでも、“あの娘”の祈りが聞こえるって言うのか?」
誰も返事をしなかった。
だがその夜、彼らの何人かは、教会の外壁に“赤い印”を残した。
――神の目を拒む者の印。
それは、かつて神殿を追われた者たちが用いた、異端の象徴だった。
—
「……これ、昨晩のことです」
報告を受けたマーヴィンは、教会の外壁に刻まれた印を指でなぞった。
赤褐色の塗料。
地元の樹皮から取れる汁で描かれており、雨では落ちない。
「これ、“印”じゃない。ただの警告だ。
“我々は見ている”っていう、無言の圧力」
「誰が……?」
セシリアは、不安げにその印を見上げる。
「この町の“祈れなかった者”たちだろうな。
神を信じたくても、見捨てられたと感じた連中」
「でも……わたし、そんな人たちこそ……」
「知ってる。君が一番、彼らに寄り添いたいと願ってるってことは。
……でも、彼らは今、寄り添う手を“拒んでる”。
信じるには痛みが多すぎて、“怒り”しか残ってないんだ」
セシリアは胸元のロザリオを強く握る。
「それでも、わたし……行きます。
彼らのところへ。
祈ってもいいと、もう一度伝えたい」
—
翌日、セシリアとマーヴィンは、町外れの酒場を訪れた。
バリオたちが集まっていたのは、廃れた倉庫の一角。
かつては騎士団の補給庫だったその場所は、今は陰気な空気に沈んでいた。
「……あんたが、“聖女”か」
バリオは、斜に構えながらセシリアを見下ろした。
その眼には侮蔑も、好奇心もなく、ただ冷たい“断絶”があった。
セシリアは、まっすぐに立って答える。
「はい。わたしは、セシリア・ミリエル。
この町で、祈りを捧げる者です」
「……祈りねぇ。
じゃあ聞かせてくれ。“祈って救えなかった者”は、どうすりゃいいんだ?」
「……わたしは、救えなかったことを、“なかったこと”にはできません。
でも、それでも、あなたが誰かを想って祈ったその心は、
きっとどこかに届いています」
「“届いてる”って、どこにだよ?
死んだ仲間は生き返らねぇ。
信じた神は黙ったまま。
俺たちの声は、何にもならなかった」
セシリアは一歩、彼に近づいた。
「だから、わたしが祈ります。
あなたの祈りを“誰かに届くもの”にするために。
……わたしは、“叶える”ことはできないかもしれない。
でも、“祈りを諦めなくていい”ってことだけは、伝えたいんです」
沈黙。
バリオの拳が震える。
「……嘘くさいんだよ」
「それでも、あなたが怒るってことは、
今でもどこかで、“神を信じたかった”んだと思います」
その瞬間、バリオの目に、わずかに光が揺れた。
「……泣かせるなよ、こんなところで」
「泣いても……いいんです」
マーヴィンは、それを傍で見守っていた。
その手の中には、いつでも切り出せる言葉が握られていたが、今はただ、沈黙の力を信じていた。
—
その夜。
教会の前に、静かにバリオの姿があった。
彼は、手に酒瓶を持ったまま、壁の“赤い印”をじっと見ていた。
そして、数秒後。
持っていた布で、ゆっくりとその印を拭いはじめた。
セシリアの祈りは、届いていた。
—
しかしその一方、町の東部。
廃坑に集まる一団がいた。
「“あの女の祈り”は、“ただの感情”だ」
「“神を拒まれた者たち”を、再び眠らせるには、もっと強い力がいる」
「――準備を始めろ。奴らに“本当の神の怒り”を見せる時が来た」
それは、かつて神殿を追放された者たち。
“偽祝福者”と呼ばれた魔術的信仰者の残党だった。
彼らは、セシリアの祈りに嫉妬し、憎み、そして――恐れていた。
0
あなたにおすすめの小説
40歳のおじさん 旅行に行ったら異世界でした どうやら私はスキル習得が早いようです
カムイイムカ(神威異夢華)
ファンタジー
部長に傷つけられ続けた私
とうとうキレてしまいました
なんで旅行ということで大型連休を取ったのですが
飛行機に乗って寝て起きたら異世界でした……
スキルが簡単に得られるようなので頑張っていきます
クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?
青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。
最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。
普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた?
しかも弱いからと森に捨てられた。
いやちょっとまてよ?
皆さん勘違いしてません?
これはあいの不思議な日常を書いた物語である。
本編完結しました!
相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです!
1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…
無属性魔法使いの下剋上~現代日本の知識を持つ魔導書と契約したら、俺だけが使える「科学魔法」で学園の英雄に成り上がりました~
黒崎隼人
ファンタジー
「お前は今日から、俺の主(マスター)だ」――魔力を持たない“無能”と蔑まれる落ちこぼれ貴族、ユキナリ。彼が手にした一冊の古びた魔導書。そこに宿っていたのは、異世界日本の知識を持つ生意気な魂、カイだった!
「俺の知識とお前の魔力があれば、最強だって夢じゃない」
主従契約から始まる、二人の秘密の特訓。科学的知識で魔法の常識を覆し、落ちこぼれが天才たちに成り上がる! 無自覚に甘い主従関係と、胸がすくような下剋上劇が今、幕を開ける!
スーパーの店長・結城偉介 〜異世界でスーパーの売れ残りを在庫処分〜
かの
ファンタジー
世界一周旅行を夢見てコツコツ貯金してきたスーパーの店長、結城偉介32歳。
スーパーのバックヤードで、うたた寝をしていた偉介は、何故か異世界に転移してしまう。
偉介が転移したのは、スーパーでバイトするハル君こと、青柳ハル26歳が書いたファンタジー小説の世界の中。
スーパーの過剰商品(売れ残り)を捌きながら、微妙にズレた世界線で、偉介の異世界一周旅行が始まる!
冒険者じゃない! 勇者じゃない! 俺は商人だーーー! だからハル君、お願い! 俺を戦わせないでください!
相続した畑で拾ったエルフがいつの間にか嫁になっていた件 ~魔法で快適!田舎で農業スローライフ~
ちくでん
ファンタジー
山科啓介28歳。祖父の畑を相続した彼は、脱サラして農業者になるためにとある田舎町にやってきた。
休耕地を畑に戻そうとして草刈りをしていたところで発見したのは、倒れた美少女エルフ。
啓介はそのエルフを家に連れ帰ったのだった。
異世界からこちらの世界に迷い込んだエルフの魔法使いと初心者農業者の主人公は、畑をおこして田舎に馴染んでいく。
これは生活を共にする二人が、やがて好き合うことになり、付き合ったり結婚したり作物を育てたり、日々を生活していくお話です。
【完結】異世界で魔道具チートでのんびり商売生活
シマセイ
ファンタジー
大学生・誠也は工事現場の穴に落ちて異世界へ。 物体に魔力を付与できるチートスキルを見つけ、 能力を隠しつつ魔道具を作って商業ギルドで商売開始。 のんびりスローライフを目指す毎日が幕を開ける!
幼女はリペア(修復魔法)で無双……しない
しろこねこ
ファンタジー
田舎の小さな村・セデル村に生まれた貧乏貴族のリナ5歳はある日魔法にめざめる。それは貧乏村にとって最強の魔法、リペア、修復の魔法だった。ちょっと説明がつかないでたらめチートな魔法でリナは覇王を目指……さない。だって平凡が1番だもん。騙され上手な父ヘンリーと脳筋な兄カイル、スーパー執事のゴフじいさんと乙女なおかんマール婆さんとの平和で凹凸な日々の話。
中身は80歳のおばあちゃんですが、異世界でイケオジ伯爵に溺愛されています
浅水シマ
ファンタジー
【完結しました】
ーー人生まさかの二週目。しかもお相手は年下イケオジ伯爵!?
激動の時代を生き、八十歳でその生涯を終えた早川百合子。
目を覚ますと、そこは異世界。しかも、彼女は公爵家令嬢“エマ”として新たな人生を歩むことに。
もう恋愛なんて……と思っていた矢先、彼女の前に現れたのは、渋くて穏やかなイケオジ伯爵・セイルだった。
セイルはエマに心から優しく、どこまでも真摯。
戸惑いながらも、エマは少しずつ彼に惹かれていく。
けれど、中身は人生80年分の知識と経験を持つ元おばあちゃん。
「乙女のときめき」にはとっくに卒業したはずなのに――どうしてこの人といると、胸がこんなに苦しいの?
これは、中身おばあちゃん×イケオジ伯爵の、
ちょっと不思議で切ない、恋と家族の物語。
※小説家になろうにも掲載中です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる