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第4章:偽りの祝福者たち
第1話『火の兆し』
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それは、静かなはずの朝に、最初に漂った“焦げた匂い”だった。
教会の鐘楼の屋根の向こう、まだ霧の残る町の東側。
広場と呼ぶには小さな、農具小屋と倉庫の集まる一角で、うっすらと白煙が立ち昇っていた。
「……煙だ!」
最初に叫んだのは、見回り中だった自警団の少年・ルーだった。
彼は転がるように坂を駆け下り、木造の納屋の壁に手を当てた。
「まだ火は……中だ。燃え広がってはいないけど、匂いが……薬草の、甘い焦げ方……」
そこに現れたのは、マントを羽織った痩せた老人。
かつての盗賊団長、今は自警団の筆頭となったダミアンだ。
「おい、誰が使ってた小屋だ?」
「昨日まで誰も入ってなかったはずです。名義は放棄されたままで……」
「“誰も使っていない場所が燃える”――一番、面倒なやつだな」
ダミアンは小屋の扉を蹴り開け、煙が抜けるのを確認すると、奥に視線を走らせた。
そこには、燃えかけた薬草束と、火の粉の跡。
誰かが意図的に火を付けて去った形跡。
しかし、火はなぜか、途中で止まっていた。
その事実に、彼の眉がぴくりと動く。
「……火が“進まなかった”? いや、誰かが途中で止めた?」
そこへ、息を切らせてマーヴィンがやってきた。
「また“火”か。最近、やけに多いな」
「これは放火だ。間違いない。だが不自然に消えている。
……まるで“燃え広がらないことが目的だった”みたいだ」
「“視覚的効果”ってやつだな。
煙が立ち上れば人は不安になる。
不安になれば、“疑う対象”を探す」
マーヴィンはひとつ息をつくと、空を見上げた。
澄んだ青空。その奥に何かが忍び寄っている気がしてならなかった。
—
セシリアが現場に駆けつけたのは、しばらくしてからだった。
彼女はまだ震えている子どもを抱き上げ、優しく言葉をかけていた。
「だいじょうぶ、もう煙は止まったよ。
怖かったね。苦しかったね」
幼い女の子が小さく頷き、セシリアの胸元で静かに泣き出した。
その姿を見て、マーヴィンは(この子はどれだけの“不安”を引き受けているのだろう)と心の中でつぶやいた。
セシリアがこちらを向く。
「マーヴィン様……この煙、偶然ではないのですね」
「そうだな。“見せるための火”だ。
この先、何度も繰り返されるかもしれない」
「……誰かが、街の“信仰”を試している」
「あるいは、“揺らそうとしている”のかもな。
教会に、君に、疑いの目を向けさせるために」
—
数日後、教会の壁に奇妙な印が刻まれているのが発見された。
赤褐色の顔料で描かれた“逆向きの十字”。
通常の祈りの象徴を、逆にしたような形。
それは神を信じなかった者たち――あるいは、“神に裏切られた”と感じた者たちが過去に使った印だ。
ルーが恐る恐る口にした。
「これ……“呪詛印”じゃないですか。神を否定する……」
「否定、じゃないな」
マーヴィンが割って入る。
「これは“裏返しの祈り”だ。
祈って、救われなかった者が、もう一度神に声を届けようとしている――怒りでな」
セシリアが、印に手を伸ばす。
「でも、こんなに悲しい形でしか……声を出せなかったなんて……」
「だから、君が祈るんだ」
「……え?」
「誰かが届かなかった祈りを、今度は君が代わりに届けるんだよ。
それが“祈る人”の責務であり、誇りでもある」
セシリアの目に、確かな決意が灯った。
「……はい。わたし、祈ります。
この印を残した人が、もう“祈ってはいけない”と思わないように」
—
その夜。
街の片隅、古びた倉庫の中。
数人の男たちが集まり、静かに煙草を燻らせていた。
その中心にいたのは、黒衣をまとい、フードを深くかぶった男。
彼の名は――ゼル=クレイン。
「始まりは上々だな」
ひとりが問う。
「“煙”だけでいいのか?」
「煙で不安を撒き、印で疑いを刺す。
そして、“信じられない聖女”を町が自ら選ぶように仕向ける。
……祈りの力を根底から揺るがすには、民意から崩すのが一番だ」
「けど、あの娘……案外しぶとい。
祈りが、なんというか……“透き通ってて、嫌味がない”」
ゼルは薄く笑った。
「だからこそ壊す価値がある。
“信じる祈り”なんてのは、一度裏切れば一生響く。
……俺は、神に祈って何も得られなかった者たちの“声”そのものだ。
あの聖女がどれほど澄んでいても、俺の“濁り”は消せないよ」
フードの奥から覗いたその目は、炎のように赤く光っていた。
—
マーヴィンは、夜の教会塔に一人で登っていた。
手には古びた羊皮紙。ゼルの使う文様がどこかで見た気がして、資料をめくっていた。
その時、耳元に再び“声”が響く。
「語り手よ。
そろそろ、次の幕を開けよう。
今度の舞台は、“信仰の本質”だ」
マーヴィンは、風に髪を揺らしながら、つぶやいた。
「……ああ。受けて立つとも。
今度こそ、語るだけじゃなく――“守ってみせる”」
そして、星を見上げる。
その目は、詐欺師でもなく、騙し屋でもない。
ひとりの“語り部”としての覚悟に、澄んでいた。
教会の鐘楼の屋根の向こう、まだ霧の残る町の東側。
広場と呼ぶには小さな、農具小屋と倉庫の集まる一角で、うっすらと白煙が立ち昇っていた。
「……煙だ!」
最初に叫んだのは、見回り中だった自警団の少年・ルーだった。
彼は転がるように坂を駆け下り、木造の納屋の壁に手を当てた。
「まだ火は……中だ。燃え広がってはいないけど、匂いが……薬草の、甘い焦げ方……」
そこに現れたのは、マントを羽織った痩せた老人。
かつての盗賊団長、今は自警団の筆頭となったダミアンだ。
「おい、誰が使ってた小屋だ?」
「昨日まで誰も入ってなかったはずです。名義は放棄されたままで……」
「“誰も使っていない場所が燃える”――一番、面倒なやつだな」
ダミアンは小屋の扉を蹴り開け、煙が抜けるのを確認すると、奥に視線を走らせた。
そこには、燃えかけた薬草束と、火の粉の跡。
誰かが意図的に火を付けて去った形跡。
しかし、火はなぜか、途中で止まっていた。
その事実に、彼の眉がぴくりと動く。
「……火が“進まなかった”? いや、誰かが途中で止めた?」
そこへ、息を切らせてマーヴィンがやってきた。
「また“火”か。最近、やけに多いな」
「これは放火だ。間違いない。だが不自然に消えている。
……まるで“燃え広がらないことが目的だった”みたいだ」
「“視覚的効果”ってやつだな。
煙が立ち上れば人は不安になる。
不安になれば、“疑う対象”を探す」
マーヴィンはひとつ息をつくと、空を見上げた。
澄んだ青空。その奥に何かが忍び寄っている気がしてならなかった。
—
セシリアが現場に駆けつけたのは、しばらくしてからだった。
彼女はまだ震えている子どもを抱き上げ、優しく言葉をかけていた。
「だいじょうぶ、もう煙は止まったよ。
怖かったね。苦しかったね」
幼い女の子が小さく頷き、セシリアの胸元で静かに泣き出した。
その姿を見て、マーヴィンは(この子はどれだけの“不安”を引き受けているのだろう)と心の中でつぶやいた。
セシリアがこちらを向く。
「マーヴィン様……この煙、偶然ではないのですね」
「そうだな。“見せるための火”だ。
この先、何度も繰り返されるかもしれない」
「……誰かが、街の“信仰”を試している」
「あるいは、“揺らそうとしている”のかもな。
教会に、君に、疑いの目を向けさせるために」
—
数日後、教会の壁に奇妙な印が刻まれているのが発見された。
赤褐色の顔料で描かれた“逆向きの十字”。
通常の祈りの象徴を、逆にしたような形。
それは神を信じなかった者たち――あるいは、“神に裏切られた”と感じた者たちが過去に使った印だ。
ルーが恐る恐る口にした。
「これ……“呪詛印”じゃないですか。神を否定する……」
「否定、じゃないな」
マーヴィンが割って入る。
「これは“裏返しの祈り”だ。
祈って、救われなかった者が、もう一度神に声を届けようとしている――怒りでな」
セシリアが、印に手を伸ばす。
「でも、こんなに悲しい形でしか……声を出せなかったなんて……」
「だから、君が祈るんだ」
「……え?」
「誰かが届かなかった祈りを、今度は君が代わりに届けるんだよ。
それが“祈る人”の責務であり、誇りでもある」
セシリアの目に、確かな決意が灯った。
「……はい。わたし、祈ります。
この印を残した人が、もう“祈ってはいけない”と思わないように」
—
その夜。
街の片隅、古びた倉庫の中。
数人の男たちが集まり、静かに煙草を燻らせていた。
その中心にいたのは、黒衣をまとい、フードを深くかぶった男。
彼の名は――ゼル=クレイン。
「始まりは上々だな」
ひとりが問う。
「“煙”だけでいいのか?」
「煙で不安を撒き、印で疑いを刺す。
そして、“信じられない聖女”を町が自ら選ぶように仕向ける。
……祈りの力を根底から揺るがすには、民意から崩すのが一番だ」
「けど、あの娘……案外しぶとい。
祈りが、なんというか……“透き通ってて、嫌味がない”」
ゼルは薄く笑った。
「だからこそ壊す価値がある。
“信じる祈り”なんてのは、一度裏切れば一生響く。
……俺は、神に祈って何も得られなかった者たちの“声”そのものだ。
あの聖女がどれほど澄んでいても、俺の“濁り”は消せないよ」
フードの奥から覗いたその目は、炎のように赤く光っていた。
—
マーヴィンは、夜の教会塔に一人で登っていた。
手には古びた羊皮紙。ゼルの使う文様がどこかで見た気がして、資料をめくっていた。
その時、耳元に再び“声”が響く。
「語り手よ。
そろそろ、次の幕を開けよう。
今度の舞台は、“信仰の本質”だ」
マーヴィンは、風に髪を揺らしながら、つぶやいた。
「……ああ。受けて立つとも。
今度こそ、語るだけじゃなく――“守ってみせる”」
そして、星を見上げる。
その目は、詐欺師でもなく、騙し屋でもない。
ひとりの“語り部”としての覚悟に、澄んでいた。
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