33 / 53
第4章:偽りの祝福者たち
第4話『牙を持たぬ者たち』
しおりを挟む
町の空気が、ほんの少し“変わった”。
それは言葉にするにはあまりに曖昧で、しかし確かに皮膚で感じ取れるほどの違和感だった。
“疑い”と“失望”と“沈黙”が、
まるで冬の朝の霧のように、町の隅々にゆっくりと広がっていた。
火が燃えるわけではない。
剣が振るわれるわけでもない。
でも確かに――何かが町を削っていく。
マーヴィンはそれを、「信仰の浸食」と呼んだ。
教会の朝礼。
自警団が一堂に会し、教会の裏庭に整列していた。
セシリアは彼らに笑顔を向け、祈りの言葉を一人ひとりにかけていく。
だがその中に、かすかに目を逸らす者、無言で立つ者がいるのを、マーヴィンは見逃さなかった。
(気配が薄くなった……顔は笑っているが、心がどこかに置き去りだ)
その名を、マーヴィンは記録帳に静かに書き留める。
“牙を抜かれた者”ではなく、“心に牙を向けられた者”。
そう、今の敵は、外からの脅威ではない。
祈る心そのものを、内側から腐らせていく存在だ。
—
教会の会議室。
マーヴィンは団長ダミアンと、セシリア、孤児院の責任者である老シスター・メルに話を持ちかけていた。
「……人を疑うのは好きじゃないが、もう無視できない兆候がある」
マーヴィンは帳面を開き、印を付けた名前を並べた。
「この数日、彼らの挙動に共通するのは――“沈黙”だ。
よく喋る奴が口を閉ざし、笑っていた者が表情を失い、
何もなかったように振る舞う者ほど、心の奥に“何か”を隠している」
「……裏切りか?」
ダミアンの声に棘はなかった。ただ、静かだった。
「正確には、“信仰の混濁”だな。
彼らは信じていた。だからこそ、今、迷っている。
ゼル=クレインが撒いてるのは“恐怖”じゃない。
“信じることへの不信”だ。
それは、剣よりも早く町を壊す」
セシリアが顔を伏せる。
「……祈っても、届いていない気がする人がいるんです。
その不安を、わたしが止められなかった」
「止められないのは当たり前だ」
マーヴィンはぴしゃりと断言する。
「人間は、他人の“心の声”に勝てない。
だからこそ、祈るんだろう?
“届くかどうか分からない”と分かっていても、
それでも“信じて”祈るんじゃなかったか?」
セシリアは、その言葉を胸の奥にしまうように、そっと頷いた。
—
その日の午後。
自警団の見回り中、事件が起きた。
町の西側、石工職人の工房の裏に捨てられていた奇妙な像。
神殿で使われる聖具に似た形をしていたが、歪んだ線で刻まれており、
その顔は、どこかセシリアに似せて作られていた。
しかも、像の足元には“汚れた祈りを奉る者に裁きを”という文が刻まれていた。
「誰かが、聖女様を“偽りの象徴”に仕立て上げようとしてる……」
若い団員がそう呟くと、周囲の空気が凍ったようになった。
ダミアンはそれをぶち壊すように言った。
「言わせておけ。
ただし、“それを真に受けるような奴”が出始めたら、それは別の話だ」
—
その夜。
マーヴィンは教会の裏庭で、一人の団員と向き合っていた。
その男、グレンは真面目な性格で、常に団の秩序を守っていた。
だが最近、どこか目が虚ろになっていた。
「グレン。……何かあったな?」
「……いえ。何もありません」
淡白な声。
「セシリア様の祈り、ちゃんと受けてるか?」
「……ええ。いつも通りです。問題ありません」
(嘘だ。言葉の温度がない)
マーヴィンは一歩、踏み込む。
「お前、今でも祈ってるか?」
沈黙。
その間に、風が草を揺らし、空に雲が走った。
やがて、グレンはぽつりと呟いた。
「……俺、祈るのが怖くなってきたんです。
信じたのに、何も変わらなかったら……
その時、“信じた自分”を壊すしかなくなる気がして」
「お前は、牙を持ってる」
「……え?」
「信じたからこそ、それを守るために“傷つく覚悟”を持ってる。
それが牙だ。
けど今は、その牙を自分に向けてる。
そんなもん、噛みつく前に砕けるぞ」
グレンの目に、涙が浮かぶ。
「……どうしたら、祈れるようになりますか?」
「祈れないなら、誰かに寄り添え。
祈りは“声”じゃない。“想い”だ。
お前が誰かの不安を受け止めた瞬間、それは“祈り”になる」
マーヴィンは背を向け、ゆっくりと歩き出す。
「セシリアが祈り続けられるのは、
君らの“信じたいと思う気持ち”があるからだ。
彼女は一人じゃない。
……君もまた、一人じゃない」
—
その夜、教会の礼拝堂では、
セシリアが小さなロウソクを灯しながら、誰もいない空間に祈っていた。
声にならない祈り。
言葉ではなく、ただ静かに胸の奥から滲み出る願い。
(どうか、傷ついた心に寄り添う力を……
わたしの声じゃなくても、誰かの心に届くように……)
祈りの最中、風が吹き抜け、ロウソクの炎が揺れた。
そしてその瞬間、祭壇の花が一輪――咲いた。
誰も見ていなかったが、それは確かに、祈りの応答だった。
それは言葉にするにはあまりに曖昧で、しかし確かに皮膚で感じ取れるほどの違和感だった。
“疑い”と“失望”と“沈黙”が、
まるで冬の朝の霧のように、町の隅々にゆっくりと広がっていた。
火が燃えるわけではない。
剣が振るわれるわけでもない。
でも確かに――何かが町を削っていく。
マーヴィンはそれを、「信仰の浸食」と呼んだ。
教会の朝礼。
自警団が一堂に会し、教会の裏庭に整列していた。
セシリアは彼らに笑顔を向け、祈りの言葉を一人ひとりにかけていく。
だがその中に、かすかに目を逸らす者、無言で立つ者がいるのを、マーヴィンは見逃さなかった。
(気配が薄くなった……顔は笑っているが、心がどこかに置き去りだ)
その名を、マーヴィンは記録帳に静かに書き留める。
“牙を抜かれた者”ではなく、“心に牙を向けられた者”。
そう、今の敵は、外からの脅威ではない。
祈る心そのものを、内側から腐らせていく存在だ。
—
教会の会議室。
マーヴィンは団長ダミアンと、セシリア、孤児院の責任者である老シスター・メルに話を持ちかけていた。
「……人を疑うのは好きじゃないが、もう無視できない兆候がある」
マーヴィンは帳面を開き、印を付けた名前を並べた。
「この数日、彼らの挙動に共通するのは――“沈黙”だ。
よく喋る奴が口を閉ざし、笑っていた者が表情を失い、
何もなかったように振る舞う者ほど、心の奥に“何か”を隠している」
「……裏切りか?」
ダミアンの声に棘はなかった。ただ、静かだった。
「正確には、“信仰の混濁”だな。
彼らは信じていた。だからこそ、今、迷っている。
ゼル=クレインが撒いてるのは“恐怖”じゃない。
“信じることへの不信”だ。
それは、剣よりも早く町を壊す」
セシリアが顔を伏せる。
「……祈っても、届いていない気がする人がいるんです。
その不安を、わたしが止められなかった」
「止められないのは当たり前だ」
マーヴィンはぴしゃりと断言する。
「人間は、他人の“心の声”に勝てない。
だからこそ、祈るんだろう?
“届くかどうか分からない”と分かっていても、
それでも“信じて”祈るんじゃなかったか?」
セシリアは、その言葉を胸の奥にしまうように、そっと頷いた。
—
その日の午後。
自警団の見回り中、事件が起きた。
町の西側、石工職人の工房の裏に捨てられていた奇妙な像。
神殿で使われる聖具に似た形をしていたが、歪んだ線で刻まれており、
その顔は、どこかセシリアに似せて作られていた。
しかも、像の足元には“汚れた祈りを奉る者に裁きを”という文が刻まれていた。
「誰かが、聖女様を“偽りの象徴”に仕立て上げようとしてる……」
若い団員がそう呟くと、周囲の空気が凍ったようになった。
ダミアンはそれをぶち壊すように言った。
「言わせておけ。
ただし、“それを真に受けるような奴”が出始めたら、それは別の話だ」
—
その夜。
マーヴィンは教会の裏庭で、一人の団員と向き合っていた。
その男、グレンは真面目な性格で、常に団の秩序を守っていた。
だが最近、どこか目が虚ろになっていた。
「グレン。……何かあったな?」
「……いえ。何もありません」
淡白な声。
「セシリア様の祈り、ちゃんと受けてるか?」
「……ええ。いつも通りです。問題ありません」
(嘘だ。言葉の温度がない)
マーヴィンは一歩、踏み込む。
「お前、今でも祈ってるか?」
沈黙。
その間に、風が草を揺らし、空に雲が走った。
やがて、グレンはぽつりと呟いた。
「……俺、祈るのが怖くなってきたんです。
信じたのに、何も変わらなかったら……
その時、“信じた自分”を壊すしかなくなる気がして」
「お前は、牙を持ってる」
「……え?」
「信じたからこそ、それを守るために“傷つく覚悟”を持ってる。
それが牙だ。
けど今は、その牙を自分に向けてる。
そんなもん、噛みつく前に砕けるぞ」
グレンの目に、涙が浮かぶ。
「……どうしたら、祈れるようになりますか?」
「祈れないなら、誰かに寄り添え。
祈りは“声”じゃない。“想い”だ。
お前が誰かの不安を受け止めた瞬間、それは“祈り”になる」
マーヴィンは背を向け、ゆっくりと歩き出す。
「セシリアが祈り続けられるのは、
君らの“信じたいと思う気持ち”があるからだ。
彼女は一人じゃない。
……君もまた、一人じゃない」
—
その夜、教会の礼拝堂では、
セシリアが小さなロウソクを灯しながら、誰もいない空間に祈っていた。
声にならない祈り。
言葉ではなく、ただ静かに胸の奥から滲み出る願い。
(どうか、傷ついた心に寄り添う力を……
わたしの声じゃなくても、誰かの心に届くように……)
祈りの最中、風が吹き抜け、ロウソクの炎が揺れた。
そしてその瞬間、祭壇の花が一輪――咲いた。
誰も見ていなかったが、それは確かに、祈りの応答だった。
0
あなたにおすすめの小説
五十一歳、森の中で家族を作る ~異世界で始める職人ライフ~
よっしぃ
ファンタジー
【ホットランキング1位達成!皆さまのおかげです】
多くの応援、本当にありがとうございます!
職人一筋、五十一歳――現場に出て働き続けた工務店の親方・昭雄(アキオ)は、作業中の地震に巻き込まれ、目覚めたらそこは見知らぬ森の中だった。
持ち物は、現場仕事で鍛えた知恵と経験、そして人や自然を不思議と「調和」させる力だけ。
偶然助けたのは、戦火に追われた五人の子供たち。
「この子たちを見捨てられるか」――そうして始まった、ゼロからの異世界スローライフ。
草木で屋根を組み、石でかまどを作り、土器を焼く。やがて薬師のエルフや、獣人の少女、訳ありの元王女たちも仲間に加わり、アキオの暮らしは「町」と呼べるほどに広がっていく。
頼れる父であり、愛される夫であり、誰かのために動ける男――
年齢なんて関係ない。
五十路の職人が“家族”と共に未来を切り拓く、愛と癒しの異世界共同体ファンタジー!
『異世界に転移した限界OL、なぜか周囲が勝手に盛り上がってます』
宵森みなと
ファンタジー
ブラック気味な職場で“お局扱い”に耐えながら働いていた29歳のOL、芹澤まどか。ある日、仕事帰りに道を歩いていると突然霧に包まれ、気がつけば鬱蒼とした森の中——。そこはまさかの異世界!?日本に戻るつもりは一切なし。心機一転、静かに生きていくはずだったのに、なぜか事件とトラブルが次々舞い込む!?
無属性魔法使いの下剋上~現代日本の知識を持つ魔導書と契約したら、俺だけが使える「科学魔法」で学園の英雄に成り上がりました~
黒崎隼人
ファンタジー
「お前は今日から、俺の主(マスター)だ」――魔力を持たない“無能”と蔑まれる落ちこぼれ貴族、ユキナリ。彼が手にした一冊の古びた魔導書。そこに宿っていたのは、異世界日本の知識を持つ生意気な魂、カイだった!
「俺の知識とお前の魔力があれば、最強だって夢じゃない」
主従契約から始まる、二人の秘密の特訓。科学的知識で魔法の常識を覆し、落ちこぼれが天才たちに成り上がる! 無自覚に甘い主従関係と、胸がすくような下剋上劇が今、幕を開ける!
台風のよる、君ひそやかに、魔女高らかに
にしのくみすた
ファンタジー
【空を飛ぶ魔女たちの、もちもち百合ファンタジー・コメディ!】
台風の夜、魔女はホウキで空を翔け――嵐と戦う!
この街で台風と戦うのは、ホウキで飛ぶ魔女の仕事だ。
空を飛ぶ魔女に憧れながらも、魔法が使えない体質のため夢を諦めたモチコ。
台風の夜、嵐に襲われて絶体絶命のピンチに陥ったモチコを救ったのは、
誰よりも速く夜空を飛ぶ“疾風迅雷の魔女”ミライアだった。
ひょんな事からミライアの相方として飛ぶことになったモチコは、
先輩のミライアとともに何度も台風へ挑み、だんだんと成長していく。
ふたりの距離が少しずつ近づいていくなか、
ミライアがあやしい『実験』をしようと言い出して……?
史上最速で空を飛ぶことにこだわる変な先輩と、全く飛べない地味メガネの後輩。
ふたりは夜空に浮かんだホウキの上で、今夜も秘密の『実験』を続けていく――。
空を飛ぶ魔女たちの、もちもち百合ファンタジー・コメディ!
【アイテム分解】しかできないと追放された僕、実は物質の概念を書き換える最強スキルホルダーだった
黒崎隼人
ファンタジー
貴族の次男アッシュは、ゴミを素材に戻すだけのハズレスキル【アイテム分解】を授かり、家と国から追放される。しかし、そのスキルの本質は、物質や魔法、果ては世界の理すら書き換える神の力【概念再構築】だった!
辺境で出会った、心優しき元女騎士エルフや、好奇心旺盛な天才獣人少女。過去に傷を持つ彼女たちと共に、アッシュは忘れられた土地を理想の楽園へと創り変えていく。
一方、アッシュを追放した王国は謎の厄災に蝕まれ、滅亡の危機に瀕していた。彼を見捨てた幼馴染の聖女が助けを求めてきた時、アッシュが下す決断とは――。
追放から始まる、爽快な逆転建国ファンタジー、ここに開幕!
『召喚ニートの異世界草原記』
KAORUwithAI
ファンタジー
ゲーム三昧の毎日を送る元ニート、佐々木二郎。
ある夜、三度目のゲームオーバーで眠りに落ちた彼が目を覚ますと、そこは見たこともない広大な草原だった。
剣と魔法が当たり前に存在する世界。だが二郎には、そのどちらの才能もない。
――代わりに与えられていたのは、**「自分が見た・聞いた・触れたことのあるものなら“召喚”できる」**という不思議な能力だった。
面倒なことはしたくない、楽をして生きたい。
そんな彼が、偶然出会ったのは――痩せた辺境・アセトン村でひとり生きる少女、レン。
「逃げて!」と叫ぶ彼女を前に、逃げようとした二郎の足は動かなかった。
昔の記憶が疼く。いじめられていたあの日、助けを求める自分を誰も救ってくれなかったあの光景。
……だから、今度は俺が――。
現代の知恵と召喚の力を武器に、ただの元ニートが異世界を駆け抜ける。
少女との出会いが、二郎を“召喚者”へと変えていく。
引きこもりの俺が、異世界で誰かを救う物語が始まる。
※こんな物も召喚して欲しいなって
言うのがあればリクエストして下さい。
出せるか分かりませんがやってみます。
ブラック国家を制裁する方法は、性癖全開のハーレムを作ることでした。
タカハシヨウ
ファンタジー
ヴァン・スナキアはたった一人で世界を圧倒できる強さを誇り、母国ウィルクトリアを守る使命を背負っていた。
しかし国民たちはヴァンの威を借りて他国から財産を搾取し、その金でろくに働かずに暮らしている害悪ばかり。さらにはその歪んだ体制を維持するためにヴァンの魔力を受け継ぐ後継を求め、ヴァンに一夫多妻制まで用意する始末。
ヴァンは国を叩き直すため、あえてヴァンとは子どもを作れない異種族とばかり八人と結婚した。もし後継が生まれなければウィルクトリアは世界中から報復を受けて滅亡するだろう。生き残りたければ心を入れ替えてまともな国になるしかない。
激しく抵抗する国民を圧倒的な力でギャフンと言わせながら、ヴァンは愛する妻たちと甘々イチャイチャ暮らしていく。
異世界ビルメン~清掃スキルで召喚された俺、役立たずと蔑まれ投獄されたが、実は光の女神の使徒でした~
松永 恭
ファンタジー
三十三歳のビルメン、白石恭真(しらいし きょうま)。
異世界に召喚されたが、与えられたスキルは「清掃」。
「役立たず」と蔑まれ、牢獄に放り込まれる。
だがモップひと振りで汚れも瘴気も消す“浄化スキル”は規格外。
牢獄を光で満たした結果、強制釈放されることに。
やがて彼は知らされる。
その力は偶然ではなく、光の女神に選ばれし“使徒”の証だと――。
金髪エルフやクセ者たちと繰り広げる、
戦闘より掃除が多い異世界ライフ。
──これは、汚れと戦いながら世界を救う、
笑えて、ときにシリアスなおじさん清掃員の奮闘記である。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる