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第4章:偽りの祝福者たち
第3話『沈む声』
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それは、小さな違和感から始まった。
朝の礼拝堂。
セシリアは、今日も祈りを捧げる人々の前に立ち、
一人ひとりに微笑みながら祝福の言葉を紡いでいた。
だが――
「……あれ、少し……楽になったような気がするけど、でも……」
小さく、そう呟いたのは腰を痛めた老婆だった。
彼女の背にはまだ痛みの名残があり、目には不安が揺れていた。
続いて、子どもを連れた母親が口にする。
「昨日、熱が下がったように思ったんですが……また今朝から上がってて……」
さらに、旅人の青年が肩をすくめながら言った。
「この前の傷も、前よりはマシだけど……治りが遅くて。
前は、祝福を受けた翌日には走れるくらいになってたのに……」
セシリアは、静かにうなずきながら祈りを続けていた。
けれど、彼女の指先がほんのわずかに震えていることに、マーヴィンは気づいていた。
—
礼拝が終わった後、教会の奥の部屋。
セシリアは椅子に腰を下ろし、両手を見つめていた。
「……届いていない、んでしょうか。
わたしの祈り、前みたいに……“効いて”いないのかも」
「“効く”という言い方は、ちょっと違うと思うがな」
マーヴィンは壁に寄りかかりながら、低い声で答えた。
「祈りは魔法じゃない。
そもそも、“効果”を期待して捧げるものじゃないだろう」
「でも、わたしの祈りで救われた人たちがいて、
だからまた……今日も誰かが、わたしを信じて来てくれて……」
「……それは“誰かの痛み”を、自分の肩に背負ってるってことだ。
君が祈れば祈るほど、傷の数だけ心も疲れていく」
マーヴィンはセシリアの正面に立ち、そっと膝をついた。
「祈りは、“真っ直ぐで、汚れがないからこそ、割れやすい”んだ。
……誰かの不安や疑念に触れただけで、簡単にひびが入る」
セシリアは顔を伏せ、ロザリオを強く握った。
「……わたし、今……ちょっと、こわいんです。
自分の声が、神さまに届いてないんじゃないかって」
—
その日の午後、自警団詰所にて。
団長代理のダミアンが、マーヴィンを呼び止めた。
「ひとつ……気になる報告があってな」
ダミアンが差し出したのは、町外れの見回り記録。
記入者の名前はロディ。若く、信頼されていた団員のひとりだった。
「こいつ、ここ数日の記録が妙に曖昧なんだ。
夜の見回りの時間が書かれてねぇし、
“異常なし”と書かれてる割に、周辺の住人からは“誰も見かけなかった”って話もある」
「……手を抜いたか、あるいは何かを隠してるか、だな」
「昨日の放火未遂の夜――“奴の担当区画”だった」
マーヴィンの目が細まった。
「ロディは、セシリアの祈りを“信じてた側”だ。
なら、信じたからこそ、裏切られたと思った可能性もあるな」
「あるいは、誰かに“声をかけられた”か、だ」
—
その夜、マーヴィンはロディを探し、教会裏の畑道で見つけた。
彼は一人、木に寄りかかりながら煙草を吸っていた。
その顔は、かつての明るさを失い、どこか疲れきったように見える。
「……マーヴィンさんか」
「一服するには、少し冷えすぎる夜だな」
「……心ん中の方が、冷えてます」
マーヴィンは隣に腰を下ろす。
「ロディ。何があった?」
「……子どものころ、うちの妹……病気だったんですよ。
祈っても、薬を使っても、全然よくならなくて。
でも、セシリア様に祈ってもらったら、奇跡みたいに治って……
だから俺、信じてたんです。祈りって、本当に“届く”んだって」
マーヴィンは黙って聞いていた。
ロディの声が少しずつ震えてくる。
「でも最近……妹、また体調崩して。
セシリア様の祈りを受けても……何にも変わらなかった。
それどころか、苦しそうな顔のまま、“大丈夫”って笑って……
俺……その時、思っちゃったんです。
“あの時の祈りは、たまたまだったんじゃないか”って」
「そして、“今度も届かなかったら”って、不安になったんだな」
ロディは顔を伏せて、煙草をもみ消す。
「……信じた分だけ、怖くなるんですね。
信じた人が“届いてない”ように見える時って、
信じた自分が間違ってた気がして……
……あの、黒衣の人……つい話を聞いてしまったんです」
マーヴィンの表情が変わる。
「ゼル=クレイン、か」
ロディは小さく頷く。
「彼は……“救われなかった者のために祈る”って言ってました。
……セシリア様の祈りが届かないなら、
俺たちはどこに向かえばいいんだって……」
その時、遠くの空で、教会の鐘が一度だけ鳴った。
誰も触れていないはずの鐘が、夜風に揺れて、重い音を響かせたのだ。
マーヴィンとロディが目を向けたその方向、
教会の塔には、ロウソクの灯だけが揺れていた。
「……セシリアが、祈ったな」
マーヴィンは静かに立ち上がり、ロディの肩に手を置いた。
「裏切りってのは、誰かを傷つける行為だけど、
それ以上に、自分自身に嘘をつくことだ。
君は、まだ“祈りたい”と思ってる」
ロディはその手をぎゅっと握り返した。
「……はい。
……俺、もう一度……“信じてみたい”です」
—
その夜。
教会の塔の上、祈りを終えたセシリアは風に髪をなびかせながら、静かに微笑んでいた。
祈りが届いたかどうかなんて、確証はない。
でも、信じることを止めなければ――きっと、誰かに触れられる。
そしてその時。
また一人、教会の裏で“赤い逆十字”を塗りつけようとしていた男が、
手を止めて静かに筆を下ろした。
彼は一言だけ呟いた。
「……なんで……涙が……」
それは、“祈りの声”が、まだどこかで生きている証だった。
朝の礼拝堂。
セシリアは、今日も祈りを捧げる人々の前に立ち、
一人ひとりに微笑みながら祝福の言葉を紡いでいた。
だが――
「……あれ、少し……楽になったような気がするけど、でも……」
小さく、そう呟いたのは腰を痛めた老婆だった。
彼女の背にはまだ痛みの名残があり、目には不安が揺れていた。
続いて、子どもを連れた母親が口にする。
「昨日、熱が下がったように思ったんですが……また今朝から上がってて……」
さらに、旅人の青年が肩をすくめながら言った。
「この前の傷も、前よりはマシだけど……治りが遅くて。
前は、祝福を受けた翌日には走れるくらいになってたのに……」
セシリアは、静かにうなずきながら祈りを続けていた。
けれど、彼女の指先がほんのわずかに震えていることに、マーヴィンは気づいていた。
—
礼拝が終わった後、教会の奥の部屋。
セシリアは椅子に腰を下ろし、両手を見つめていた。
「……届いていない、んでしょうか。
わたしの祈り、前みたいに……“効いて”いないのかも」
「“効く”という言い方は、ちょっと違うと思うがな」
マーヴィンは壁に寄りかかりながら、低い声で答えた。
「祈りは魔法じゃない。
そもそも、“効果”を期待して捧げるものじゃないだろう」
「でも、わたしの祈りで救われた人たちがいて、
だからまた……今日も誰かが、わたしを信じて来てくれて……」
「……それは“誰かの痛み”を、自分の肩に背負ってるってことだ。
君が祈れば祈るほど、傷の数だけ心も疲れていく」
マーヴィンはセシリアの正面に立ち、そっと膝をついた。
「祈りは、“真っ直ぐで、汚れがないからこそ、割れやすい”んだ。
……誰かの不安や疑念に触れただけで、簡単にひびが入る」
セシリアは顔を伏せ、ロザリオを強く握った。
「……わたし、今……ちょっと、こわいんです。
自分の声が、神さまに届いてないんじゃないかって」
—
その日の午後、自警団詰所にて。
団長代理のダミアンが、マーヴィンを呼び止めた。
「ひとつ……気になる報告があってな」
ダミアンが差し出したのは、町外れの見回り記録。
記入者の名前はロディ。若く、信頼されていた団員のひとりだった。
「こいつ、ここ数日の記録が妙に曖昧なんだ。
夜の見回りの時間が書かれてねぇし、
“異常なし”と書かれてる割に、周辺の住人からは“誰も見かけなかった”って話もある」
「……手を抜いたか、あるいは何かを隠してるか、だな」
「昨日の放火未遂の夜――“奴の担当区画”だった」
マーヴィンの目が細まった。
「ロディは、セシリアの祈りを“信じてた側”だ。
なら、信じたからこそ、裏切られたと思った可能性もあるな」
「あるいは、誰かに“声をかけられた”か、だ」
—
その夜、マーヴィンはロディを探し、教会裏の畑道で見つけた。
彼は一人、木に寄りかかりながら煙草を吸っていた。
その顔は、かつての明るさを失い、どこか疲れきったように見える。
「……マーヴィンさんか」
「一服するには、少し冷えすぎる夜だな」
「……心ん中の方が、冷えてます」
マーヴィンは隣に腰を下ろす。
「ロディ。何があった?」
「……子どものころ、うちの妹……病気だったんですよ。
祈っても、薬を使っても、全然よくならなくて。
でも、セシリア様に祈ってもらったら、奇跡みたいに治って……
だから俺、信じてたんです。祈りって、本当に“届く”んだって」
マーヴィンは黙って聞いていた。
ロディの声が少しずつ震えてくる。
「でも最近……妹、また体調崩して。
セシリア様の祈りを受けても……何にも変わらなかった。
それどころか、苦しそうな顔のまま、“大丈夫”って笑って……
俺……その時、思っちゃったんです。
“あの時の祈りは、たまたまだったんじゃないか”って」
「そして、“今度も届かなかったら”って、不安になったんだな」
ロディは顔を伏せて、煙草をもみ消す。
「……信じた分だけ、怖くなるんですね。
信じた人が“届いてない”ように見える時って、
信じた自分が間違ってた気がして……
……あの、黒衣の人……つい話を聞いてしまったんです」
マーヴィンの表情が変わる。
「ゼル=クレイン、か」
ロディは小さく頷く。
「彼は……“救われなかった者のために祈る”って言ってました。
……セシリア様の祈りが届かないなら、
俺たちはどこに向かえばいいんだって……」
その時、遠くの空で、教会の鐘が一度だけ鳴った。
誰も触れていないはずの鐘が、夜風に揺れて、重い音を響かせたのだ。
マーヴィンとロディが目を向けたその方向、
教会の塔には、ロウソクの灯だけが揺れていた。
「……セシリアが、祈ったな」
マーヴィンは静かに立ち上がり、ロディの肩に手を置いた。
「裏切りってのは、誰かを傷つける行為だけど、
それ以上に、自分自身に嘘をつくことだ。
君は、まだ“祈りたい”と思ってる」
ロディはその手をぎゅっと握り返した。
「……はい。
……俺、もう一度……“信じてみたい”です」
—
その夜。
教会の塔の上、祈りを終えたセシリアは風に髪をなびかせながら、静かに微笑んでいた。
祈りが届いたかどうかなんて、確証はない。
でも、信じることを止めなければ――きっと、誰かに触れられる。
そしてその時。
また一人、教会の裏で“赤い逆十字”を塗りつけようとしていた男が、
手を止めて静かに筆を下ろした。
彼は一言だけ呟いた。
「……なんで……涙が……」
それは、“祈りの声”が、まだどこかで生きている証だった。
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