引退詐欺師、異世界で聖女の相談役になる

naomikoryo

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第4章:偽りの祝福者たち

第10話『裏切り者の祈り』

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夜明け前、教会の回廊はまだ静まり返っていた。

外では小鳥がさえずり始め、東の空がわずかに朱を帯びていたが、
教会内部には、わずかな気配と、重たい空気が立ち込めていた。

マーヴィンはその中で、一枚の手紙を手にしていた。

それは、匿名で差し出された告発文だった。

「教会内に、ゼルの思想に共鳴した者がいる」
「逆祝福を媒介するための“祈祷具”が、一部持ち込まれた」

文面は簡潔で無駄がなかった。
そして何より、**“内部からでなければ知り得ない情報”**が書かれていた。

(……内部の者が、自分を裏切る形で“告白”してきた)

(まだ迷っている。完全にゼルに心を売ったわけじゃない……)

マーヴィンは、わずかに目を閉じた。

(今なら……間に合う)



同刻、教会の裏庭。

一本の大樹の陰に、一人の男が立っていた。

彼の名は――エディス。
元は盗賊団の一員だったが、自警団として教会を支え、
孤児の面倒まで見ていた、誰からも信頼されていた男だった。

だが彼は今、その手に黒い祈祷具を持っていた。

「……結局、俺は“救われてなんかいなかった”」

静かに漏れる声。

彼がこの教会に来たのは、もう三年前になる。
裏切りと暴力に満ちた盗賊団から逃げ出した彼を、
教会は受け入れ、セシリアは祈りと優しさを惜しみなく注いでくれた。

彼はその温かさに何度も涙した。
だが、心の奥に一つだけ、**“許せなかった感情”**があった。

――なぜ、自分の家族は祈っても救われなかったのか。

妻と幼い息子。
彼らは病に倒れ、彼が祈りの旅から戻る前に、静かにこの世を去っていた。

彼が必死に祈り、奔走していたあの時――
神は、何もしなかった。

ゼルの言葉は、彼のその傷口に、静かに染み込んできた。

「祈りは、届かなければ意味がない」
「救われなかった祈りを、語る者がいなければならない」

その言葉に、彼は心を引き寄せられた。

(でも……俺は、“あの子”を裏切れない……)

(セシリア様の笑顔は……偽物じゃなかった)

黒い祈祷具が、手の中で小さく揺れた。

そのとき、背後から声がした。

「朝に黒い道具を眺めてるようじゃ、
“迷ってる”って顔に書いてあるようなもんだな」

マーヴィンだった。

彼は一歩ずつ、ゆっくりと歩み寄りながら言葉を続ける。

「エディス。俺は、お前がどんな過去を抱えてるか、知ってるわけじゃない」

「だが一つだけ確かなのは――
お前が“救われなかった”と思ってるその気持ちは、本物だってことだ」

エディスは目を見開いた。
マーヴィンは、その視線を真っ直ぐに受け止めた。

「信仰ってのはな、結果を得るためのもんじゃない。
でも、そう思いたくなる時がある。
“救われた側”の連中が、まるで勝ち組みたいに見えるからな」

「……俺の妻と子は、誰にも看取られずに死んだ。
俺は、祈った。走った。戻ったら……もう、手遅れだった」

エディスの声は震えていた。

「……その時、“何を祈ってたか”覚えてるか?」

マーヴィンの問いに、彼はうなずいた。

「生きてくれって……そばにいてくれって……
もう一度だけ、“笑ってくれ”って」

マーヴィンはそっと息を吐き、近づいてきた風に髪を揺らせながら言った。

「……その祈りは、届かなかったかもしれない。
だが、その祈りは今ここで、確かに語られてる」

「つまり、“その祈りは残ってる”んだよ」

エディスの目から、静かに涙が流れた。

マーヴィンはそっと彼の手に触れた。

「もし、その祈りが、誰かの心を救うとしたら――
お前の妻と子は、祈りを通して誰かを守ることになるんだ」

「……そんなことが、あるのか……?」

「“語る”ってのは、そういうことだ。
自分の中で終わった祈りを、誰かに手渡すこと。
それが、代弁者の役目なんだよ」

エディスは震えながら、黒い祈祷具を手放した。

それは地面に落ち、砕けるようにして黒い粒子と化し、風に消えた。

彼はその場に膝をつき、しばらく、何も言えなかった。

マーヴィンはその背に、静かに語りかけた。

「お前が今日、俺を選んだこと。
それがもう、“救い”なんだ」



夜、教会では何事もなかったかのように、子どもたちの寝息が響いていた。

セシリアは小さな明かりの下で、日記帳に何かを記していた。

「救われなかった声を、
少しでも受け止められるように、
わたしは、今日も祈りを捧げます」

「それが“代弁者”としての、
わたしの小さな務めです」

そしてその夜、マーヴィンは一人、塔の上で風を感じていた。

その背後には、もう何も語らない“声”が微かに囁いていた。

「悪くないな、“言葉の救済者”」

マーヴィンはそれを聞いて、あえて何も言わなかった。

ただ、風と共に、深く――静かに、目を閉じた。
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