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第5章:火の聖都と銀の処刑人
第4話『燃えぬ祈りと女剣士』
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神政会議での“審問”から一夜明けた朝。
セシリアは、宿舎の中庭で静かに祈っていた。
草花に触れ、小鳥のさえずりに耳を傾け、
ただ“この場所にある命”に対して、そっと目を閉じる。
その姿を少し離れた場所から見つめていたイレーヌは、
ふと、剣を持つ手に力が入っているのに気づいた。
(この祈りに――何の“力”があるというの……)
彼女はまだ、自分の中に生まれている“わずかな揺らぎ”を認めきれずにいた。
そんな時、マーヴィンが近づいてくる。
「おはよう、騎士副団長殿。今朝はずいぶん、険しい顔をしてるね」
「……私は常にこうです」
「そう? 昨日の議事堂では、もう少し“柔らかい眼差し”をしてたように見えたけど」
イレーヌは言葉に詰まる。
マーヴィンはその沈黙を責めず、代わりに言った。
「俺は“火の神が最後に微笑んだ場所”に行ってみたいんだが、案内してくれるかい?」
イレーヌはわずかに目を細めた。
「……“供火祭壇(くかさいだん)”のことを指しているのなら、あそこはもう使われていない」
「それでも構わないよ。
本当に“燃えなくなった”のか、見ておきたいだけさ」
「……わかりました。同行を許可します」
彼女はセシリアのほうをちらりと見やり、
「支度を済ませてください」とだけ言い残して、背を向けた。
*
供火祭壇は、聖都アグニスの南端――
石造りの巨大な聖堂街の中でも、最も古い区域にあった。
周囲は人の気配もなく、草が石畳を割って生え始めている。
一見すればただの廃墟。だが、セシリアの目には違って映った。
「ここ……まるで、“言葉を失った神様”がいるみたい……」
誰にでも語りかけることを止めた、静かな神。
それは、怒りでも悲しみでもなく、ただ“沈黙”という形で。
マーヴィンは、灰まみれになった台座の前に立ち、
そっと指で灰をすくった。
「燃え尽きたのは、薪か……それとも“誰かの想い”か」
「この祭壇には、かつて本当に火が降った。
それは間違いない。記録にも、証言にも、信仰にも刻まれている。
だが――今は、まったく反応がない」
イレーヌがそう言った時、風が吹いた。
誰かが嘘をついているような風。
けれど、それが誰かは――まだわからない。
セシリアは、灰の積もった石に膝をつき、
そっと祈る。
声に出さず、ただ静かに。
(もし、まだここに“想い”が残っているなら……
わたしは、それを聞きたい)
マーヴィンは彼女の背を見つめたまま、
イレーヌに声をかける。
「君は、なぜ騎士になった?」
イレーヌは、答えない。
だがマーヴィンは続ける。
「俺はね、“何も信じなかった時期”がある。
信じるものがないってことは、自由に見えて実は不自由だ。
何も寄りかかれないからね」
「でも、あの子は違う。
“信じる”ことで、誰かの足元を照らそうとする。
だから俺は、彼女のそばにいるだけで――
……少しだけ、信じたくなるんだよ」
イレーヌはしばらく無言だった。
「私は……」
そう口を開きかけて、ふと目をそらした。
「私は、“火”を失った人間です。
かつて、もっと情熱を持っていた。祈りにも、正義にも。
でもそれらは、誰かの命を失うたびに、失われていった」
「だから、火を“管理”するしかなかった。
情熱じゃなく、秩序で。感情じゃなく、責任で」
「……そんな人間に、貴方は“信じろ”と言うのですか?」
マーヴィンは一歩だけ前に出た。
「いいや。
俺は、“信じるな”とも、“信じろ”とも言わない」
「ただ――
“火が消えてしまった”と、思い込まないでくれ。
それは、風に隠れているだけかもしれない。
あるいは、誰かがそっと、もう一度“火打ち石”を鳴らそうとしてるかもしれない」
「そのとき、君の剣がそれを“守る”のか“断ち切る”のか――
それだけは、君自身が決めるんだ」
イレーヌは、それ以上、何も言わなかった。
セシリアの祈りは、灰の上に淡い光を落としていた。
風が再び吹く。
その時、一瞬だけ、灰の中に小さく赤い燐光が灯った気がした。
誰もが見たわけではない。
だが、マーヴィンだけは、それを“見た”と確信していた。
(……まだ、火は消えてない)
(この都にも、“燃え残り”がある)
マーヴィンの胸に、微かな手応えが残った。
*
その夜。
宿舎の広間で、マーヴィンは報告書をまとめながら、
ふと、遠くで誰かの笑い声を聞いた。
廊下の向こう。
セシリアとイレーヌが、子どもと話すように笑い合っていた。
(……悪くない)
そう、彼は小さく呟いた。
火の都で――
何かが、静かに、再点火し始めていた。
セシリアは、宿舎の中庭で静かに祈っていた。
草花に触れ、小鳥のさえずりに耳を傾け、
ただ“この場所にある命”に対して、そっと目を閉じる。
その姿を少し離れた場所から見つめていたイレーヌは、
ふと、剣を持つ手に力が入っているのに気づいた。
(この祈りに――何の“力”があるというの……)
彼女はまだ、自分の中に生まれている“わずかな揺らぎ”を認めきれずにいた。
そんな時、マーヴィンが近づいてくる。
「おはよう、騎士副団長殿。今朝はずいぶん、険しい顔をしてるね」
「……私は常にこうです」
「そう? 昨日の議事堂では、もう少し“柔らかい眼差し”をしてたように見えたけど」
イレーヌは言葉に詰まる。
マーヴィンはその沈黙を責めず、代わりに言った。
「俺は“火の神が最後に微笑んだ場所”に行ってみたいんだが、案内してくれるかい?」
イレーヌはわずかに目を細めた。
「……“供火祭壇(くかさいだん)”のことを指しているのなら、あそこはもう使われていない」
「それでも構わないよ。
本当に“燃えなくなった”のか、見ておきたいだけさ」
「……わかりました。同行を許可します」
彼女はセシリアのほうをちらりと見やり、
「支度を済ませてください」とだけ言い残して、背を向けた。
*
供火祭壇は、聖都アグニスの南端――
石造りの巨大な聖堂街の中でも、最も古い区域にあった。
周囲は人の気配もなく、草が石畳を割って生え始めている。
一見すればただの廃墟。だが、セシリアの目には違って映った。
「ここ……まるで、“言葉を失った神様”がいるみたい……」
誰にでも語りかけることを止めた、静かな神。
それは、怒りでも悲しみでもなく、ただ“沈黙”という形で。
マーヴィンは、灰まみれになった台座の前に立ち、
そっと指で灰をすくった。
「燃え尽きたのは、薪か……それとも“誰かの想い”か」
「この祭壇には、かつて本当に火が降った。
それは間違いない。記録にも、証言にも、信仰にも刻まれている。
だが――今は、まったく反応がない」
イレーヌがそう言った時、風が吹いた。
誰かが嘘をついているような風。
けれど、それが誰かは――まだわからない。
セシリアは、灰の積もった石に膝をつき、
そっと祈る。
声に出さず、ただ静かに。
(もし、まだここに“想い”が残っているなら……
わたしは、それを聞きたい)
マーヴィンは彼女の背を見つめたまま、
イレーヌに声をかける。
「君は、なぜ騎士になった?」
イレーヌは、答えない。
だがマーヴィンは続ける。
「俺はね、“何も信じなかった時期”がある。
信じるものがないってことは、自由に見えて実は不自由だ。
何も寄りかかれないからね」
「でも、あの子は違う。
“信じる”ことで、誰かの足元を照らそうとする。
だから俺は、彼女のそばにいるだけで――
……少しだけ、信じたくなるんだよ」
イレーヌはしばらく無言だった。
「私は……」
そう口を開きかけて、ふと目をそらした。
「私は、“火”を失った人間です。
かつて、もっと情熱を持っていた。祈りにも、正義にも。
でもそれらは、誰かの命を失うたびに、失われていった」
「だから、火を“管理”するしかなかった。
情熱じゃなく、秩序で。感情じゃなく、責任で」
「……そんな人間に、貴方は“信じろ”と言うのですか?」
マーヴィンは一歩だけ前に出た。
「いいや。
俺は、“信じるな”とも、“信じろ”とも言わない」
「ただ――
“火が消えてしまった”と、思い込まないでくれ。
それは、風に隠れているだけかもしれない。
あるいは、誰かがそっと、もう一度“火打ち石”を鳴らそうとしてるかもしれない」
「そのとき、君の剣がそれを“守る”のか“断ち切る”のか――
それだけは、君自身が決めるんだ」
イレーヌは、それ以上、何も言わなかった。
セシリアの祈りは、灰の上に淡い光を落としていた。
風が再び吹く。
その時、一瞬だけ、灰の中に小さく赤い燐光が灯った気がした。
誰もが見たわけではない。
だが、マーヴィンだけは、それを“見た”と確信していた。
(……まだ、火は消えてない)
(この都にも、“燃え残り”がある)
マーヴィンの胸に、微かな手応えが残った。
*
その夜。
宿舎の広間で、マーヴィンは報告書をまとめながら、
ふと、遠くで誰かの笑い声を聞いた。
廊下の向こう。
セシリアとイレーヌが、子どもと話すように笑い合っていた。
(……悪くない)
そう、彼は小さく呟いた。
火の都で――
何かが、静かに、再点火し始めていた。
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