夜の物語たち

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大晦日の配達人

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雪がしんしんと降り積もる大晦日の夜。
街の喧騒は年越しを控えた賑わいで溢れていたが、その中を一台の古びた軽トラックが静かに進んでいた。
トラックの荷台には、大小さまざまな箱が積み上げられている。
送り主も宛先も書かれていないその箱には、一つとして同じものはない。
ドライバーは「配達人」とだけ名乗る男。
彼が大晦日に運ぶのは、物ではなく「未練」だった。

---

配達人の最初の目的地は、古びた商店街の端に位置する木造のアパートだった。
ひび割れた階段を上り、二階の一室の前で足を止める。
ドアは長年の使用でくたびれ、所々ペンキが剥がれている。
配達人はノックをすると、中からゆっくりと足音が近づいてきた。

「はい、どちら様ですか?」

戸が少しだけ開き、薄汚れた部屋着を着た中年の女性が顔を出した。
くすんだ目とやつれた頬が、彼女の疲れた日常を物語っていた。

「お届け物です。」

配達人は短く答えると、小さな箱を差し出した。
ラッピングも何もない、ただの無地の茶色い箱。
女性は戸惑いながらも受け取り、
「何でしょうか?」
と尋ねる。
配達人は微かに微笑むと、
「開けてみてください」
とだけ言い残し、その場から去った。

女性は戸を閉め、リビングのテーブルに箱を置いた。
古びた電気ストーブがかすかに音を立てる中、彼女は慎重に箱を開けた。
その瞬間、目に飛び込んできたのは、色あせた赤い首輪だった。

「これ…モモの首輪?」

女性は息を呑み、手を震わせた。
モモは彼女が幼い頃に飼っていた愛犬だった。
いつも一緒だったモモは、彼女が小学五年生の冬に病気で亡くなった。
それ以来、忙しい日々の中で思い出すことも少なくなっていたが、首輪を目にした瞬間、モモとの記憶が鮮明に蘇った。

「ただいまーって帰ると、尻尾を振って待っててくれた…」

女性の目から一筋の涙が零れ落ちる。
両親が共働きで家を空けることが多かったため、モモは彼女の唯一の友達であり、家族同然の存在だった。

「忘れてたわけじゃないのに…」

首輪を手に取り、その感触を確かめるように指で撫でる。
古びた革の匂いが、懐かしさとともに胸を締め付けた。

彼女は首輪を持ったままソファに座り込み、目を閉じた。
すると、まるで幻のようにモモが駆け寄ってくる姿が脳裏に浮かぶ。
「ワン!」と元気な声で吠え、彼女の膝に顔を擦り寄せるその感覚が、リアルに感じられた。

「ありがとう…モモ。」

---

次の配達先は、夜遅くまで営業している小さな居酒屋だった。
木製の引き戸を開けると、店内には数名の客が酒を酌み交わしながら新年を待ちわびていた。
暖かな明かりが灯る店内は、年末特有の賑わいとほのかな哀愁が漂っている。
カウンターの奥では、店主が黙々と料理を作っていた。

「お届け物です。」

配達人が店主に手渡したのは、ずっしりと重い中型の箱だった。
無骨な手つきで箱を開けると、中には古びた調理器具が入っていた。

「これは…父親が使っていたものだ。」

店主の目が驚きで見開かれる。
その調理器具は、彼が幼い頃、亡き父親が使っていたものだった。
父親はこの店の創業者であり、彼にとって憧れであり、乗り越えるべき存在でもあった。
しかし、店を継いでからは、父の影に怯え、自分のやり方で店を運営することに躊躇していた。

店主は道具を手に取り、しばらく無言で眺めていた。
周囲の音が遠のき、父と一緒に厨房に立った日々が鮮明に思い出される。

「父さん、あの時の俺は、ちゃんと見てたかな…。」

幼い頃の店主は、父の背中を見ながらいつか自分も同じ道を歩むと決めていた。
だが、いざ父の後を継ぐと、その背中の大きさに押しつぶされそうになった。

「これを、使ってみるか。」

その晩、店主はその器具を使い、特別な一品を作ることに決めた。
それは父親が得意としていた「鯛の塩焼き」だった。
シンプルな料理だが、火加減や塩の振り方ひとつで大きく味が変わる。
その作業をするたび、父の厳しい指導と優しい言葉が心に蘇る。

「これ、うまいな!」

客の一人が声を上げると、他の客たちも次々に感想を述べた。

「懐かしい味だな。
これ、いつものより旨いぞ。」

店主は照れくさそうに笑いながら、
「父さん、俺、少しは近づけたかな」
と心の中で呟いた。
その夜、彼は久しぶりに父の道具を片付ける手が止まらず、一つ一つ丁寧に磨き上げた。

配達人の姿は消えていたが、その箱がもたらしたのは、父との絆の再確認と、忘れかけていた情熱だった。

---

最後の配達先は、郊外にある一軒家だった。
薄暗い道を軽トラックで進み、門灯が点る家の前で車を止める。
家の周囲は雪に覆われ、静寂が辺りを包み込んでいた。
配達人は荷台から大きな箱を抱え、玄関へと歩み寄る。
温かな光が漏れる窓越しに、中では若い夫婦が静かに年越しを迎えようとしている様子が見えた。

ドアをノックすると、控えめな足音が近づき、ドアがそっと開いた。
出てきたのは、パジャマ姿の夫と、その後ろに控える妻だった。

「お届け物です。」

配達人は無表情のまま大きな箱を差し出した。
その箱には何のラベルもなく、夫婦は戸惑いの表情を浮かべた。

「どなたからですか?」

夫が尋ねると、配達人は短く
「開けてみてください」
とだけ言い残し、軽トラックに戻っていった。

夫婦は不思議そうに顔を見合わせながら箱を家の中へ運び込んだ。
リビングのテーブルに箱を置き、妻が慎重にテープを剥がすと、箱の中には何も入っていないように見えた。

「空っぽ?」

夫がそう呟いた瞬間、箱の中から淡い光がゆっくりと漂い始めた。
その光はまるで生き物のように柔らかく動きながら部屋中に広がり、温かな輝きで満たしていく。

光の中で、夫婦は新婚時代の記憶を思い出し始めた。

最初に浮かんだのは、結婚したばかりの頃の狭いアパート。
家具も少なく、食器はバラバラ。
それでも二人で肩を寄せ合い、小さな鍋で作った鍋料理を分け合いながら笑い合っていた。

「覚えてる?
あのとき鍋が焦げちゃって、結局インスタントラーメンにしたこと。」

妻が微笑みながら言うと、夫も思わず吹き出した。

「ああ、あれな。
台所の火災報知器が鳴りっぱなしで、隣の人に怒られたんだよな。」

二人は笑い合い、そのときの温かさを再び感じていた。

次に思い浮かんだのは、初めての旅行。
新婚旅行のために貯金をして訪れた小さな温泉地。
夜の静かな露天風呂で星空を眺めながら、二人で未来の夢を語り合った。

「子どもができたら、どんな名前がいいかな。」

「そうだな…春生(はるき)とか、芽依(めい)なんてどう?」

その会話の記憶が鮮明に蘇り、夫婦の心は再び一つに繋がっていった。

光は次第に静まり、リビングは元の姿を取り戻した。
しかし、その温かな余韻は部屋中に残り、夫婦の間に漂っていた。

「こんな風に二人で思い出を語るの、いつぶりだろう。」

妻が小さな声で言うと、夫は黙って手を伸ばし、彼女の手を握りしめた。

「俺たち、忙しすぎて大事なことを忘れてたんだな。」

彼の言葉に、妻はそっと頷いた。
その目には涙が浮かんでいたが、それは悲しみではなく、どこか清々しい輝きを湛えていた。

翌朝、夫はふと玄関先に目をやった。
そこには昨夜の箱が置かれたままだった。
しかし不思議なことに、箱は小さく光を放ちながら雪の中に静かに消えていった。

「やっぱり、不思議な配達だったな。」

夫が呟くと、妻は微笑みながら頷いた。

「でも、きっと私たちへの贈り物だったのよ。
忘れかけていた大切なものを、思い出させてくれた。」

二人は寄り添いながらリビングに戻り、新しい年を迎える準備を始めた。
その心には、かつてのような温かさと希望が灯っていた。

配達を終えた配達人は、再び軽トラックに乗り込んだ。
街の時計台が午前0時を告げ、大晦日から新年へと切り替わる瞬間、彼の姿は静かに雪の中へと消えていった。

その後も、「大晦日の夜だけ現れる配達人」の噂は語り継がれる。
しかし彼が届けるのは物ではない。それは、忘れ去られた思い、未練、そして新たな希望そのものだったのだ。
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