お絢さま風雲録 ~恋に学びに奔走中!名家のお嬢様、町を変える!?

naomikoryo

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第二話「堅物役人、桐原邸へまかり通る」

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 町の南端、小高い丘に広がる見事な庭園。その奥に、重厚な瓦屋根と白壁の屋敷が鎮座している。
 ここが、名家・桐原家の邸である。
 かつては代官も立ち入るのを躊躇したという伝統と格式が漂うその門前に、一人の男が立っていた。

 牧野慎之介。役場勤務の新人官吏である。
 この日は町の用地に関する調査のため、役場の命を受け、桐原家の土地に関する確認を取るべく、直接邸内を訪ねることとなった。

「うむ……」

 慎之介は息を吐き、懐から手帳を取り出して敷地図と手紙を再確認した。
 胸元の時計が、正午を数分回っている。
 几帳面な彼にとって、約束の時間にぴったりである。

 彼は門前に立つ門番に名刺を差し出し、きびすを正す。

「牧野慎之介、役場より参りました。桐原家のご当主、あるいはご関係の方にお取次ぎ願います」

 門番は若干目を丸くしたが、礼儀正しく頭を下げて奥へ消えた。
 慎之介はその間、門の両脇に咲いた躑躅の花をちらと見やりながら、身なりを整え直す。

 しばらくして、奥から一人の女中がやってきた。

「ようこそお越しくださいました。若奥様が応接にてお待ちです」

 若奥様。まさか、と思いながら慎之介はついて行く。
 廊下を渡り、幾つかの襖を抜け、案内されたのは静謐な応接間
 ――日差しがふんわりと障子を透け、畳の上には清らかな香の香りが満ちていた。

「お邪魔いたします」

 襖が開かれ、頭を下げた慎之介は、その先にいる人物を見て、息を飲んだ。

「……あなたは」

 そこに座っていたのは、紛れもない、昨日の“お絢さま”であった。
 だが、昨日の泥だらけの少女ではない。
 髪はきちんと結われ、淡い色合いの絹の小紋を品よく着こなしている。
 姿勢は完璧、手には抹茶茶碗。
 その様子は、どこから見ても“本物の令嬢”だった。

「ようこそ。牧野さま。昨日は突然で、驚かれたでしょう?」

 絢子は、にこりと笑いながら丁寧に頭を下げた。

 慎之介は、微かに目を伏せて息を整えた。

「とても……驚きました。ですが、あれがあなたの“普段”であって、こちらが“お務め”ということでしょうか」

「ええ。私、お役目のときはきちんといたします。家のこと、町のこと、大切に思っていますから」

 さらりと告げる言葉に、慎之介はまたしても感情の波を覚える。
 普段の彼であれば、このような“二面性”には不快感を抱いたかもしれない。
 しかし彼女は違う。演じているのではない。どちらの姿も“本当”なのだ。

「それに、昨日、あなたが私に『怪我をされては困る』とおっしゃったこと、嬉しかったんです」

「それは……役人として当然のことです」

「でも、心配してくださったのは事実でしょ? 私はそれをありがたいと思いました。お堅い方だけど、優しいんだなぁって」

 その無邪気な言葉に、慎之介はまたしても視線を逸らした。
 まるで胸の内を見透かされているようで、心地悪い。けれど
 ――不思議と、嫌ではなかった。

 話は本題へと進んだ。

 絢子は、役場が行う土地整理についての概要をすでに把握していた。
 彼女の父は現在病を患っており、代わりに事務的なやり取りを彼女と執事が行っているという。
 年若くとも、彼女の対応は見事なものだった。

「この溜池の北側、実は以前土砂崩れがあって、地盤が弱くなっていると聞きました。村の年寄りが言ってました。もし道路を通すなら、そこではない方がよいかと」

「……それは初耳です。調査班の報告にはその記録は見当たりません」

「よろしければ、祖父の日記に書かれていた部分をお見せしましょうか? 記録魔だったんです」

「……ありがたい。ご協力に感謝します」

 若くして、ここまで地元の情報に通じている。
 上流階級にありがちな“世間知らず”とは程遠い存在。

 慎之介の中に、また一つ、固定観念が崩れていく音がした。

 会談が終わり、執事が資料を持って現れたとき、絢子はさりげなく尋ねた。

「ねえ、牧野さん。あなた、お休みの日は何してるの?」

「……特に。書物を読むか、時計の修理など……」

「時計? まあ、面白そう! 今度、見せてくれませんか?」

「は……? いえ、それは……」

「だめ?」

 首をかしげて微笑むその顔を、慎之介は思わず見返してしまった。
 彼の周囲にいた女たち
 ――同僚の娘たち、縁談話の相手、華族の令嬢たち
 ――彼女たちとは何もかもが違った。

 まるで、木漏れ日のような少女だ。
 光と影の区別なく、心の中に入り込んでくる。

「……また機会があれば」

 そう答えるしかなかった。

 応接間を辞し、庭を通って門へ戻る間も、慎之介の心は妙なざわめきに満ちていた。
 名家の娘として、確かな教養と礼儀を備えながら、まるで町の子供のように屈託なく笑い、他人の心に土足で
 ――いや、素足で踏み込んでくる少女。

 それが桐原絢子という存在だった。

 門の外に出たとき、再び陽射しが彼の顔を照らした。

 頬に触れる風は、ほんの少しだけ柔らかく感じられた。

(第二話 完)
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