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第五話「慎之介、子供たちに取り囲まれる」
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春が進み、町には柔らかな日差しと土の匂いが満ちていた。
この山下町でも、畑に植えられたえんどう豆が芽を出し、路地の隅にはどこからか迷い込んだ子猫がひょっこり顔を出す。
季節が移ろうごとに、町もまた、小さく変化していく。
――そして、もう一つ。町に変化が訪れていた。
「ねぇ、八郎。あれ“まきのん”だよね?」
「うん、うん、まちがいない。お絢さまのお付きの人!」
「おい、大人のくせに、ひとりで歩いてるー!」
昼下がりの市通り。
商人たちが荷を運ぶ中、役場からの帰り道を歩く青年が一人
――牧野慎之介である。
いつもどおり真面目な面持ちで、地図と書類を確認しながら歩いていた彼は、不意に飛び出してきた三人組の子供に取り囲まれ、足を止めた。
「……なにか御用ですか」
低く落ち着いた声。それでも子供たちは物怖じしない。
「おまえ、まきのんだろ!」
「お絢さまとよく一緒にいる、変な顔のまきのん!」
「変な顔」は余計だった。
「……牧野です。『まきのん』ではありません」
「へー、でもお絢さまは“まきのん”って呼ばれても怒らないよ?」
子供たちは、くすくすと笑いながら、慎之介の制服の袖を引っ張ったり、鞄の中をのぞこうとしたり、やりたい放題だった。
この状況は、彼にとってかなりの苦行だった。
子供が苦手なわけではない。
ただ、どう扱えばいいのかがわからない。
武家の家庭に育ち、叱られて育った彼には、「子供と遊ぶ」という概念そのものが乏しかったのだ。
「まきのん、けん玉できる?」
「やんないと、男じゃない!」
「はい、どうぞ!」
気づけば、けん玉を手に握らされていた。
慎之介は、まるで凶器を渡されたような顔をした。
「……これは、どうやるのですか」
「うそでしょ! まきのん、けん玉知らないの!?」
「やばい、超やばい!」
「そんなに驚かなくても……」
子供たちに囲まれ、全力で「おっさん扱い」されている自分に、慎之介は内心でため息をついた。
しかし、彼の表情には苦笑が浮かんでいた。
「……では、見よう見まねで」
重心を整え、剣先を見つめて一投――
カコン。
お手玉は、見事に地面へと転がっていった。
「あー、だめだ!」
「まきのん、運動神経わるーい!」
「もう少しお手柔らかに……」
「だめだねぇ。これはお絢さまの旦那様にはなれないなー!」
その一言に、慎之介の手がぴたりと止まった。
「な……っ、旦那、様?」
声が裏返った。
「だってさー、あんなに仲いいじゃん。お絢さま、まきのんの話ばっかりしてるし」
「まいにち『牧野さんがね』『牧野さんがね』ってさー!」
「この前も、まきのんのこと“面白い人”って言ってたよ!」
慎之介は耳の奥が熱くなるのを感じた。
思わず目を伏せて、静かに問いかける。
「……彼女が、そのようなことを?」
「うん!」
「でも、まきのんはお絢さまのこと好きじゃないの?」
「え……」
その問いに、慎之介は答えられなかった。
否定する理由も、肯定する理由も、まだ形になっていない感情ばかりが、胸に渦巻いていた。
そのときだった。
「まあまあ、子供たち、牧野さんをあんまり困らせちゃいけませんよ」
背後から、柔らかな声がかけられた。
振り向けば、そこにいたのはもちろん――
「お絢さま!」
「お姉ちゃん!」
子供たちがぱっと散って絢子に駆け寄る。
彼女は彼らを優しく抱きしめると、慎之介に視線を向けてにっこりと笑った。
「牧野さん、ありがとうございます。町の巡回、お疲れさまです」
「……いえ」
いつものように、礼儀正しく答える慎之介。
しかし、彼の口元には、微かにだが確かに、笑みが浮かんでいた。
彼はこの町で、少しずつ、何かを得つつある。
子供たちにからかわれ、笑われ、それでも受け入れられるという、不思議な居場所を。
「まきのん、まきのん!」
また子供が声を上げた。
「次はあやとり教えて!」
「その前に、紙芝居やろうよ!」
「じゃあ次の土曜ね。牧野さんも来てください!」
「……は?」
完全に「町のお兄さん」扱いである。
「決まりね!」
絢子が笑う。
慎之介は、大きくため息をついたが、その瞳は穏やかだった。
名家の娘と、堅物の青年――
その関係は、子供たちの無邪気さによって、思わぬ形で育まれていこうとしていた。
そして彼自身もまた、気づかぬうちに「変わり始めて」いた。
(第五話 完)
この山下町でも、畑に植えられたえんどう豆が芽を出し、路地の隅にはどこからか迷い込んだ子猫がひょっこり顔を出す。
季節が移ろうごとに、町もまた、小さく変化していく。
――そして、もう一つ。町に変化が訪れていた。
「ねぇ、八郎。あれ“まきのん”だよね?」
「うん、うん、まちがいない。お絢さまのお付きの人!」
「おい、大人のくせに、ひとりで歩いてるー!」
昼下がりの市通り。
商人たちが荷を運ぶ中、役場からの帰り道を歩く青年が一人
――牧野慎之介である。
いつもどおり真面目な面持ちで、地図と書類を確認しながら歩いていた彼は、不意に飛び出してきた三人組の子供に取り囲まれ、足を止めた。
「……なにか御用ですか」
低く落ち着いた声。それでも子供たちは物怖じしない。
「おまえ、まきのんだろ!」
「お絢さまとよく一緒にいる、変な顔のまきのん!」
「変な顔」は余計だった。
「……牧野です。『まきのん』ではありません」
「へー、でもお絢さまは“まきのん”って呼ばれても怒らないよ?」
子供たちは、くすくすと笑いながら、慎之介の制服の袖を引っ張ったり、鞄の中をのぞこうとしたり、やりたい放題だった。
この状況は、彼にとってかなりの苦行だった。
子供が苦手なわけではない。
ただ、どう扱えばいいのかがわからない。
武家の家庭に育ち、叱られて育った彼には、「子供と遊ぶ」という概念そのものが乏しかったのだ。
「まきのん、けん玉できる?」
「やんないと、男じゃない!」
「はい、どうぞ!」
気づけば、けん玉を手に握らされていた。
慎之介は、まるで凶器を渡されたような顔をした。
「……これは、どうやるのですか」
「うそでしょ! まきのん、けん玉知らないの!?」
「やばい、超やばい!」
「そんなに驚かなくても……」
子供たちに囲まれ、全力で「おっさん扱い」されている自分に、慎之介は内心でため息をついた。
しかし、彼の表情には苦笑が浮かんでいた。
「……では、見よう見まねで」
重心を整え、剣先を見つめて一投――
カコン。
お手玉は、見事に地面へと転がっていった。
「あー、だめだ!」
「まきのん、運動神経わるーい!」
「もう少しお手柔らかに……」
「だめだねぇ。これはお絢さまの旦那様にはなれないなー!」
その一言に、慎之介の手がぴたりと止まった。
「な……っ、旦那、様?」
声が裏返った。
「だってさー、あんなに仲いいじゃん。お絢さま、まきのんの話ばっかりしてるし」
「まいにち『牧野さんがね』『牧野さんがね』ってさー!」
「この前も、まきのんのこと“面白い人”って言ってたよ!」
慎之介は耳の奥が熱くなるのを感じた。
思わず目を伏せて、静かに問いかける。
「……彼女が、そのようなことを?」
「うん!」
「でも、まきのんはお絢さまのこと好きじゃないの?」
「え……」
その問いに、慎之介は答えられなかった。
否定する理由も、肯定する理由も、まだ形になっていない感情ばかりが、胸に渦巻いていた。
そのときだった。
「まあまあ、子供たち、牧野さんをあんまり困らせちゃいけませんよ」
背後から、柔らかな声がかけられた。
振り向けば、そこにいたのはもちろん――
「お絢さま!」
「お姉ちゃん!」
子供たちがぱっと散って絢子に駆け寄る。
彼女は彼らを優しく抱きしめると、慎之介に視線を向けてにっこりと笑った。
「牧野さん、ありがとうございます。町の巡回、お疲れさまです」
「……いえ」
いつものように、礼儀正しく答える慎之介。
しかし、彼の口元には、微かにだが確かに、笑みが浮かんでいた。
彼はこの町で、少しずつ、何かを得つつある。
子供たちにからかわれ、笑われ、それでも受け入れられるという、不思議な居場所を。
「まきのん、まきのん!」
また子供が声を上げた。
「次はあやとり教えて!」
「その前に、紙芝居やろうよ!」
「じゃあ次の土曜ね。牧野さんも来てください!」
「……は?」
完全に「町のお兄さん」扱いである。
「決まりね!」
絢子が笑う。
慎之介は、大きくため息をついたが、その瞳は穏やかだった。
名家の娘と、堅物の青年――
その関係は、子供たちの無邪気さによって、思わぬ形で育まれていこうとしていた。
そして彼自身もまた、気づかぬうちに「変わり始めて」いた。
(第五話 完)
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