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第二十九話「一通の手紙と、町からの呼び声」
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十二月に入り、下紺野村の朝はぐんと冷え込むようになった。
霜が降りた畑を歩けば、足の裏からじわじわと冷たさが伝わり、村人たちは頬を赤らめて火を囲む。
寺子屋分校も例外ではなく、夜の授業には毛布と湯たんぽが必需品となり、
筆の代わりに指先が凍えそうになる日もあった。
それでも、灯りは消えなかった。
「先生、名前だけじゃなくて、いま、自分の“住所”も書けるようになりました!」
「今日は、村の子たちが“大根日記”を書いたんですよ」
ふたりの手で始まった新しい学び舎は、寒さの中でもじんわりと温かい“ぬくもり”を育んでいた。
そんなある日――一本の手紙が、山道を越えて届いた。
差出人は、山下町 婦人会代表・紺谷伊代。
宛名は、まっすぐにこう書かれていた。
牧野絢子 様
桐の郷 寺子屋 分校殿
* * *
「……婦人会から?」
絢子が読み上げると、慎之介がゆっくりとうなずいた。
「はい。紺谷さんから直接ですね。……読んでみてください」
ふたりで囲炉裏の前に座り、文を開く。
墨はかすかに滲み、けれど力強く――まるで彼女自身の声がそこに乗っているようだった。
--------------------------------------------------------------------------------
絢子さんへ
こちらの町寺子屋、元気にやってますよ。
あなたのいた頃とは少し形が変わったかもしれませんが、子供たちは相変わらず騒がしくて、たまにわたしたちが叱られるくらいです。
でもね。
正直に言うと、あんたの“色”が残ってるうちに、一度戻ってきてくれないかと思ってます。
新しい子たちが増えて、“お絢先生って誰?”なんて言う子も出てきました。
それは悪いことじゃないけど――
“始めた人が、そこにいたってこと”を、ちゃんと伝えておきたいんだよ。
婦人会の間でもね、あなたのことを“もう一度、町の顔として呼び戻したい”って声が出始めてます。
今の場所を離れろとは言わない。
でも、“あなたの灯”を、もう一度町で灯してくれませんか。
――待ってるよ。紺谷より。
--------------------------------------------------------------------------------
読み終えた絢子は、しばし黙っていた。
囲炉裏の火が、ぱち、ぱち、と薪を割っては弾ける音だけが、静かな時間を埋めていく。
「……わたし、驚いています」
「何に、ですか?」
「こうして、あの町が、“戻ってきてほしい”って言ってくれる日が来るなんて、思ってもみなかった」
慎之介は、しばらくその言葉をかみしめたあと、ゆっくりと答えた。
「君が町を“諦めなかった”から、町も君を忘れなかった。
ただ、それだけのことです。
――けれど、これは簡単な選択ではありませんね」
「……ええ」
* * *
その晩、ふたりは村の寺子屋の庭で、空を見上げていた。
星がきらめく空の下、桐の木はすっかり葉を落とし、けれどその幹はどこまでも太く、しっかりと大地を支えていた。
「ここにも根を張り始めたばかり。
あの町は、わたしの“始まり”で、
ここは、いまわたしが“続けている場所”」
「どちらかを選ばねばならないと思いますか?」
絢子は小さく首を振った。
「……いえ。
選ばずに、“つなげる”方法を考えたいです」
慎之介が、その横顔を見つめながら、静かに言う。
「たとえば、“山の上に橋を架ける”ような――そんな方法」
「ええ。それが、わたしたちふたりの“やり方”ですものね」
風が枝を揺らし、夜空を仰げば、あの町に続く道が、見えた気がした。
* * *
数日後。
寺子屋の土間に集まった村人たちに向かって、絢子は語りかけていた。
「みなさん、聞いてください。
山の向こう――わたしのいた町から、手紙が届きました」
ざわ、というざわめき。
「わたしに、“もう一度町に来てほしい”という呼びかけでした。
――でも、わたしはこの村を手放しません」
場の空気が止まる。
絢子は続ける。
「わたしは、山下町と下紺野村、どちらか一方の居場所にするのではなく、
“どちらも私たちの町”として、繋げていきたいのです」
「つまり……行ったり来たりってことですか?」
と、若い男が訊ねた。
「ええ。定期的に町へも通い、あちらで講義や相談を続けながら、こちらでも引き続き寺子屋を運営します。
そして……」
彼女は少し顔を赤らめながら、慎之介を見やった。
「夫も、一緒にです」
村人たちは、ぽかんとした顔のあと、拍手と笑い声をあげた。
「まったく、働き者の夫婦だな!」
「どっちの村の者か、わからなくなりそうだ!」
「いや、ふたりが“つないで”くれれば、もう別の村なんて思わなくなるさ」
その言葉に、絢子は胸がじんと熱くなるのを感じた。
選ばず、繋げる。
それは、贅沢でも欲張りでもなく
――ふたりにしかできない“役目”だった。
そして、慎之介がぽつりとつぶやいた。
「そろそろ、名刺を作るべきかもしれませんね」
「なんて書きますか? “寺子屋支配人 兼 愛妻家”?」
「いや、“共犯者・主任”でどうでしょう」
「それ、いちばんわたし好みです」
冬の山に、笑い声がこだました。
(第二十九話 完)
霜が降りた畑を歩けば、足の裏からじわじわと冷たさが伝わり、村人たちは頬を赤らめて火を囲む。
寺子屋分校も例外ではなく、夜の授業には毛布と湯たんぽが必需品となり、
筆の代わりに指先が凍えそうになる日もあった。
それでも、灯りは消えなかった。
「先生、名前だけじゃなくて、いま、自分の“住所”も書けるようになりました!」
「今日は、村の子たちが“大根日記”を書いたんですよ」
ふたりの手で始まった新しい学び舎は、寒さの中でもじんわりと温かい“ぬくもり”を育んでいた。
そんなある日――一本の手紙が、山道を越えて届いた。
差出人は、山下町 婦人会代表・紺谷伊代。
宛名は、まっすぐにこう書かれていた。
牧野絢子 様
桐の郷 寺子屋 分校殿
* * *
「……婦人会から?」
絢子が読み上げると、慎之介がゆっくりとうなずいた。
「はい。紺谷さんから直接ですね。……読んでみてください」
ふたりで囲炉裏の前に座り、文を開く。
墨はかすかに滲み、けれど力強く――まるで彼女自身の声がそこに乗っているようだった。
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絢子さんへ
こちらの町寺子屋、元気にやってますよ。
あなたのいた頃とは少し形が変わったかもしれませんが、子供たちは相変わらず騒がしくて、たまにわたしたちが叱られるくらいです。
でもね。
正直に言うと、あんたの“色”が残ってるうちに、一度戻ってきてくれないかと思ってます。
新しい子たちが増えて、“お絢先生って誰?”なんて言う子も出てきました。
それは悪いことじゃないけど――
“始めた人が、そこにいたってこと”を、ちゃんと伝えておきたいんだよ。
婦人会の間でもね、あなたのことを“もう一度、町の顔として呼び戻したい”って声が出始めてます。
今の場所を離れろとは言わない。
でも、“あなたの灯”を、もう一度町で灯してくれませんか。
――待ってるよ。紺谷より。
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読み終えた絢子は、しばし黙っていた。
囲炉裏の火が、ぱち、ぱち、と薪を割っては弾ける音だけが、静かな時間を埋めていく。
「……わたし、驚いています」
「何に、ですか?」
「こうして、あの町が、“戻ってきてほしい”って言ってくれる日が来るなんて、思ってもみなかった」
慎之介は、しばらくその言葉をかみしめたあと、ゆっくりと答えた。
「君が町を“諦めなかった”から、町も君を忘れなかった。
ただ、それだけのことです。
――けれど、これは簡単な選択ではありませんね」
「……ええ」
* * *
その晩、ふたりは村の寺子屋の庭で、空を見上げていた。
星がきらめく空の下、桐の木はすっかり葉を落とし、けれどその幹はどこまでも太く、しっかりと大地を支えていた。
「ここにも根を張り始めたばかり。
あの町は、わたしの“始まり”で、
ここは、いまわたしが“続けている場所”」
「どちらかを選ばねばならないと思いますか?」
絢子は小さく首を振った。
「……いえ。
選ばずに、“つなげる”方法を考えたいです」
慎之介が、その横顔を見つめながら、静かに言う。
「たとえば、“山の上に橋を架ける”ような――そんな方法」
「ええ。それが、わたしたちふたりの“やり方”ですものね」
風が枝を揺らし、夜空を仰げば、あの町に続く道が、見えた気がした。
* * *
数日後。
寺子屋の土間に集まった村人たちに向かって、絢子は語りかけていた。
「みなさん、聞いてください。
山の向こう――わたしのいた町から、手紙が届きました」
ざわ、というざわめき。
「わたしに、“もう一度町に来てほしい”という呼びかけでした。
――でも、わたしはこの村を手放しません」
場の空気が止まる。
絢子は続ける。
「わたしは、山下町と下紺野村、どちらか一方の居場所にするのではなく、
“どちらも私たちの町”として、繋げていきたいのです」
「つまり……行ったり来たりってことですか?」
と、若い男が訊ねた。
「ええ。定期的に町へも通い、あちらで講義や相談を続けながら、こちらでも引き続き寺子屋を運営します。
そして……」
彼女は少し顔を赤らめながら、慎之介を見やった。
「夫も、一緒にです」
村人たちは、ぽかんとした顔のあと、拍手と笑い声をあげた。
「まったく、働き者の夫婦だな!」
「どっちの村の者か、わからなくなりそうだ!」
「いや、ふたりが“つないで”くれれば、もう別の村なんて思わなくなるさ」
その言葉に、絢子は胸がじんと熱くなるのを感じた。
選ばず、繋げる。
それは、贅沢でも欲張りでもなく
――ふたりにしかできない“役目”だった。
そして、慎之介がぽつりとつぶやいた。
「そろそろ、名刺を作るべきかもしれませんね」
「なんて書きますか? “寺子屋支配人 兼 愛妻家”?」
「いや、“共犯者・主任”でどうでしょう」
「それ、いちばんわたし好みです」
冬の山に、笑い声がこだました。
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