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第三十話・最終話「咲くときに咲く、桐の花」
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春。
風はやわらかく、空は澄み、山の稜線に霞がかかる季節。
下紺野村と山下町
――ふたつの土地の間を、慎之介と絢子の足が交互に行き来するようになってから、三か月が経っていた。
冬を越えた寺子屋には、確かな変化があった。
町の寺子屋では、新しく入った子供たちが「“お絢先生”ってほんとにいたんだ!」と目を丸くし、
分校では、かつて“字なんていらん”と顔を背けていた男が、今や帳面に家計簿をつけている。
「……すごいですね、慎之介さん。
私たちが動けば、ちゃんと“町”も“村”も動くんですね」
「ええ。それぞれの足で、しっかり歩く。けれど、向いている先は同じ。
それが、あなたとわたしの“共犯”の力です」
ふたりは、相変わらず名前で呼び合うことに照れながらも、
その距離はもう、言葉などいらないほどに近づいていた。
* * *
弥生の終わり。
下紺野村に、小さな看板が掲げられた。
--------------------------------------------------------------------------------
【開校記念日】
「桐の郷 寺子屋 分校」
日時:三月二十八日 午前十時
会場:分校前の広場
--------------------------------------------------------------------------------
“開校式”――
それは、絢子が秋の日に口にした「桐の花が咲く頃に」という約束が実現する日だった。
誰もが疑った。
この山の中で、桐が咲くのはもっと遅いはずだと。
だが、朝露の残る春の朝、絢子がそっと枝を見上げると、そこにあったのだ。
ひとひら、薄紫の桐の花が。
「……咲いた」
「ええ。咲くべきときに、咲いたんですね」
「わたしたちと、同じですね」
* * *
開校式には、山下町からも多くの人々が集まった。
婦人会、町役場、子供たちとその親たち。
そして寺子屋で学ぶために、村から山を越えて通ってきていた少年たちもいた。
「桐原絢子先生、どうぞお言葉を」
慎之介の声に促され、絢子がひとり、桐の木の前に立つ。
あの白無垢を纏っていた日から、わずか数か月。
けれど、彼女の姿はもう、「名家の娘」ではなかった。
「……わたしは、この村に来て、たくさんの“手”に出会いました」
「小さな子供の手、大きくてごつごつした農夫の手、
そして、字を書きたくても書けなかったたくさんの手に」
風がやさしく吹く。
「わたしは、手を取ることで、“学ぶ”ということの本当の意味を知りました。
それは“知らなかったこと”を知るだけではありません。
“誰かと知ろうとすること”そのものが、学びなんだと」
「――だから、この場所で、みんなと共に“育つ学び舎”をつくりたい」
「山に咲く桐の花のように、
遅くてもいい。強くなくてもいい。
――けれど、咲くべきときに、咲くものを育てていきたいのです」
絢子の声は、決して大きくはなかった。
けれど、誰の心にもまっすぐ届いた。
そして、拍手が、嵐のように広がった。
* * *
式が終わったあとの午後、寺子屋の裏庭。
桐の木の下で、ふたりは静かに腰を下ろしていた。
「……慎之介さん」
「はい、絢子さん」
「ねぇ。これから先、どんな時代が来ると思いますか?」
「そうですね……学校制度がもっと変わり、
町と村の境もあいまいになって、人の生き方が多様になっていく気がします」
「では、わたしたちは?」
「変わらず、“共犯”として、
町と村、子供と大人、女と男の間にあるものを、繋ぎ続けていきたいですね」
絢子は、そっと笑った。
「……それならもう少しだけ、名前で呼ぶ練習をしなくてはなりませんね」
「え? まだ照れているんですか?」
「はい。だって、“絢子さん”って呼ばれると、
なんだか最初の恋をしていた頃を思い出してしまうから」
「それなら、これからもずっと“最初の恋”でありましょう」
「……ずるい人」
風が枝を揺らし、桐の花がひとつ、落ちた。
ふたりはその花を掌に乗せ、
まるで新しい人生の種のように、大切に包んだ。
未来のことはまだ、何もわからない。
けれど、わたしたちは今日、確かに“今”を生きている。
山の寺子屋に咲いた、たった一輪の桐の花。
それはきっと、誰かの心にも咲く、“希望の花”になるだろう。
(完結)
最後に
絢子と慎之介、そして彼らを取り巻く町と村の人々の物語にお付き合いくださり、誠にありがとうございました。
この物語は「育つこと」「繋がること」「信じること」を大切に描いてまいりました。
最終話では、そのすべてがひとつの“桐の花”となって結実したかと思います。
ご希望があれば、
・番外編(子供たちの成長や、未来のふたりの姿)
・スピンオフ(紺谷女将や八代千歳の過去など)
・絢子の教え子が成長して“次の世代”として現れる続編
なども執筆可能です。
お気軽にお申し付けください。
風はやわらかく、空は澄み、山の稜線に霞がかかる季節。
下紺野村と山下町
――ふたつの土地の間を、慎之介と絢子の足が交互に行き来するようになってから、三か月が経っていた。
冬を越えた寺子屋には、確かな変化があった。
町の寺子屋では、新しく入った子供たちが「“お絢先生”ってほんとにいたんだ!」と目を丸くし、
分校では、かつて“字なんていらん”と顔を背けていた男が、今や帳面に家計簿をつけている。
「……すごいですね、慎之介さん。
私たちが動けば、ちゃんと“町”も“村”も動くんですね」
「ええ。それぞれの足で、しっかり歩く。けれど、向いている先は同じ。
それが、あなたとわたしの“共犯”の力です」
ふたりは、相変わらず名前で呼び合うことに照れながらも、
その距離はもう、言葉などいらないほどに近づいていた。
* * *
弥生の終わり。
下紺野村に、小さな看板が掲げられた。
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【開校記念日】
「桐の郷 寺子屋 分校」
日時:三月二十八日 午前十時
会場:分校前の広場
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“開校式”――
それは、絢子が秋の日に口にした「桐の花が咲く頃に」という約束が実現する日だった。
誰もが疑った。
この山の中で、桐が咲くのはもっと遅いはずだと。
だが、朝露の残る春の朝、絢子がそっと枝を見上げると、そこにあったのだ。
ひとひら、薄紫の桐の花が。
「……咲いた」
「ええ。咲くべきときに、咲いたんですね」
「わたしたちと、同じですね」
* * *
開校式には、山下町からも多くの人々が集まった。
婦人会、町役場、子供たちとその親たち。
そして寺子屋で学ぶために、村から山を越えて通ってきていた少年たちもいた。
「桐原絢子先生、どうぞお言葉を」
慎之介の声に促され、絢子がひとり、桐の木の前に立つ。
あの白無垢を纏っていた日から、わずか数か月。
けれど、彼女の姿はもう、「名家の娘」ではなかった。
「……わたしは、この村に来て、たくさんの“手”に出会いました」
「小さな子供の手、大きくてごつごつした農夫の手、
そして、字を書きたくても書けなかったたくさんの手に」
風がやさしく吹く。
「わたしは、手を取ることで、“学ぶ”ということの本当の意味を知りました。
それは“知らなかったこと”を知るだけではありません。
“誰かと知ろうとすること”そのものが、学びなんだと」
「――だから、この場所で、みんなと共に“育つ学び舎”をつくりたい」
「山に咲く桐の花のように、
遅くてもいい。強くなくてもいい。
――けれど、咲くべきときに、咲くものを育てていきたいのです」
絢子の声は、決して大きくはなかった。
けれど、誰の心にもまっすぐ届いた。
そして、拍手が、嵐のように広がった。
* * *
式が終わったあとの午後、寺子屋の裏庭。
桐の木の下で、ふたりは静かに腰を下ろしていた。
「……慎之介さん」
「はい、絢子さん」
「ねぇ。これから先、どんな時代が来ると思いますか?」
「そうですね……学校制度がもっと変わり、
町と村の境もあいまいになって、人の生き方が多様になっていく気がします」
「では、わたしたちは?」
「変わらず、“共犯”として、
町と村、子供と大人、女と男の間にあるものを、繋ぎ続けていきたいですね」
絢子は、そっと笑った。
「……それならもう少しだけ、名前で呼ぶ練習をしなくてはなりませんね」
「え? まだ照れているんですか?」
「はい。だって、“絢子さん”って呼ばれると、
なんだか最初の恋をしていた頃を思い出してしまうから」
「それなら、これからもずっと“最初の恋”でありましょう」
「……ずるい人」
風が枝を揺らし、桐の花がひとつ、落ちた。
ふたりはその花を掌に乗せ、
まるで新しい人生の種のように、大切に包んだ。
未来のことはまだ、何もわからない。
けれど、わたしたちは今日、確かに“今”を生きている。
山の寺子屋に咲いた、たった一輪の桐の花。
それはきっと、誰かの心にも咲く、“希望の花”になるだろう。
(完結)
最後に
絢子と慎之介、そして彼らを取り巻く町と村の人々の物語にお付き合いくださり、誠にありがとうございました。
この物語は「育つこと」「繋がること」「信じること」を大切に描いてまいりました。
最終話では、そのすべてがひとつの“桐の花”となって結実したかと思います。
ご希望があれば、
・番外編(子供たちの成長や、未来のふたりの姿)
・スピンオフ(紺谷女将や八代千歳の過去など)
・絢子の教え子が成長して“次の世代”として現れる続編
なども執筆可能です。
お気軽にお申し付けください。
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