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16)ひかりのバトン
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1.夏の終わりが近づいていた。
夕暮れが早くなって、空がどこか寂しく見えるようになるこの季節。
風が土と草の匂いを運んでくると、「今年もそろそろか」と誰もが思う。
透也(とうや)は、引っ越しの荷造りをしていた。
町のはずれにある古い木造の家。段ボールの山が少しずつ増えていく部屋の中で、彼は一枚の写真を見つけた。
浴衣姿の女の子と、紙風船を持った自分。
夏祭りの夜。小さな手と手がつながれている。
その写真の裏に、日付と一言。
「あのときの“ひかり”を、ありがとう。」
2.あれは、中学一年の夏。
透也はこの町に引っ越してきたばかりで、まだ友達もおらず、近所の誰とも打ち解けられていなかった。
祭りの日も、ひとりで歩いていた。屋台のにおい、浴衣の人混み、スピーカーから流れる音楽。
(うるさいな……)
どこかに逃げたくて、神社の裏手にある小道へ抜けた。
そこに、彼女はいた。
3.藍色の浴衣を着て、石段に腰を下ろしている少女。
風鈴の音がするたびに、彼女は小さく微笑んでいた。
(誰か、待ってるのかな)
そう思って通り過ぎようとしたその時──彼女が声をかけた。
「あなた、さっきまで、屋台の前にいた人?」
透也は驚いて振り向いた。
「え? なんでわかったの?」
「足音。下駄の音って、みんな違うから」
(この子……目が見えてないんだ)
ようやく気づいた。
「私、よくここに来るの。音がいろいろ聞こえて、楽しいの」
そう言って笑う顔は、どこか涼しげで、強くて、きれいだった。
4.彼女の名前は茜(あかね)という。
年は透也と同じ。地元の中学に通っていて、盲学校にも週に何度か行っているという。
「私は光の輪郭しかわからないけど、音で夏がわかるんだよ。風鈴とか、浴衣がこすれる音とか、虫の声とか」
「……すごいな」
「でも、今日はまだ、足りない音がある」
「何?」
「……花火の音。あれがなきゃ、夏じゃないから」
そう言われて、透也は急にそわそわし始めた。
「じゃあさ、一緒に見に行かない?」
「見えないよ?」
「……見えなくても、“伝える”ことはできるかもしれない」
彼はそう言って、茜の手を取った。
5.祭りの広場には、すでに人が集まりはじめていた。
ふたりは隅の方、見晴らしのいい場所に腰を下ろした。
そして、夜空がひとつ、ぱんっと開いた。
花火が咲いた瞬間、透也は茜の手を、ぎゅっと握った。
「今、大きな丸い花火。赤と金が混ざってて……音、来るよ」
どーん。
少し遅れて、空気が震えた。
「……感じた」
茜の表情が、少し変わった。
「じゃあ次……青い輪っかが、ゆっくり広がってる。波みたいに。……来るよ」
ぼん。
茜は、目を閉じていた。
手から伝わる震え、風の流れ、匂い。
「ねえ、それって“バトン”みたいだね」
「バトン?」
「光のバトン。見えなくても、こうして伝えられる。あなたの手、あったかい」
透也は顔が熱くなるのを感じた。
6.その夜、茜は透也の耳元でそっと言った。
「私ね、たぶん今、人生で初めて花火を“見た”気がする。ありがとう」
透也は、言葉を失った。
ただ、小さく「うん」とだけ返した。
7.翌日、透也は両親から突然「転校が決まった」と知らされた。
父の仕事の都合だった。町を出るまで、あと一週間もなかった。
「……伝えなきゃ」
彼は神社の小道に、茜を探しに行った。
でも、もう彼女の姿はなかった。
学校にも、盲学校にも、彼女の姿は見当たらなかった。
風鈴の音だけが、彼の心に残った。
8.数日後、引っ越し当日。
荷造りを終えた家のポストに、白い封筒が入っていた。
差出人は──「茜」
封筒の中には、小さな写真と短い手紙。
「また、どこかで花火の“音”を聞いたら、思い出してね。
あなたの手は、私の“初恋”の光でした」
透也はその写真を、いまも大切に持っている。
見えない彼女に手渡した、“ひかりのバトン”。
それは、静かで、やさしい初恋だった。
夕暮れが早くなって、空がどこか寂しく見えるようになるこの季節。
風が土と草の匂いを運んでくると、「今年もそろそろか」と誰もが思う。
透也(とうや)は、引っ越しの荷造りをしていた。
町のはずれにある古い木造の家。段ボールの山が少しずつ増えていく部屋の中で、彼は一枚の写真を見つけた。
浴衣姿の女の子と、紙風船を持った自分。
夏祭りの夜。小さな手と手がつながれている。
その写真の裏に、日付と一言。
「あのときの“ひかり”を、ありがとう。」
2.あれは、中学一年の夏。
透也はこの町に引っ越してきたばかりで、まだ友達もおらず、近所の誰とも打ち解けられていなかった。
祭りの日も、ひとりで歩いていた。屋台のにおい、浴衣の人混み、スピーカーから流れる音楽。
(うるさいな……)
どこかに逃げたくて、神社の裏手にある小道へ抜けた。
そこに、彼女はいた。
3.藍色の浴衣を着て、石段に腰を下ろしている少女。
風鈴の音がするたびに、彼女は小さく微笑んでいた。
(誰か、待ってるのかな)
そう思って通り過ぎようとしたその時──彼女が声をかけた。
「あなた、さっきまで、屋台の前にいた人?」
透也は驚いて振り向いた。
「え? なんでわかったの?」
「足音。下駄の音って、みんな違うから」
(この子……目が見えてないんだ)
ようやく気づいた。
「私、よくここに来るの。音がいろいろ聞こえて、楽しいの」
そう言って笑う顔は、どこか涼しげで、強くて、きれいだった。
4.彼女の名前は茜(あかね)という。
年は透也と同じ。地元の中学に通っていて、盲学校にも週に何度か行っているという。
「私は光の輪郭しかわからないけど、音で夏がわかるんだよ。風鈴とか、浴衣がこすれる音とか、虫の声とか」
「……すごいな」
「でも、今日はまだ、足りない音がある」
「何?」
「……花火の音。あれがなきゃ、夏じゃないから」
そう言われて、透也は急にそわそわし始めた。
「じゃあさ、一緒に見に行かない?」
「見えないよ?」
「……見えなくても、“伝える”ことはできるかもしれない」
彼はそう言って、茜の手を取った。
5.祭りの広場には、すでに人が集まりはじめていた。
ふたりは隅の方、見晴らしのいい場所に腰を下ろした。
そして、夜空がひとつ、ぱんっと開いた。
花火が咲いた瞬間、透也は茜の手を、ぎゅっと握った。
「今、大きな丸い花火。赤と金が混ざってて……音、来るよ」
どーん。
少し遅れて、空気が震えた。
「……感じた」
茜の表情が、少し変わった。
「じゃあ次……青い輪っかが、ゆっくり広がってる。波みたいに。……来るよ」
ぼん。
茜は、目を閉じていた。
手から伝わる震え、風の流れ、匂い。
「ねえ、それって“バトン”みたいだね」
「バトン?」
「光のバトン。見えなくても、こうして伝えられる。あなたの手、あったかい」
透也は顔が熱くなるのを感じた。
6.その夜、茜は透也の耳元でそっと言った。
「私ね、たぶん今、人生で初めて花火を“見た”気がする。ありがとう」
透也は、言葉を失った。
ただ、小さく「うん」とだけ返した。
7.翌日、透也は両親から突然「転校が決まった」と知らされた。
父の仕事の都合だった。町を出るまで、あと一週間もなかった。
「……伝えなきゃ」
彼は神社の小道に、茜を探しに行った。
でも、もう彼女の姿はなかった。
学校にも、盲学校にも、彼女の姿は見当たらなかった。
風鈴の音だけが、彼の心に残った。
8.数日後、引っ越し当日。
荷造りを終えた家のポストに、白い封筒が入っていた。
差出人は──「茜」
封筒の中には、小さな写真と短い手紙。
「また、どこかで花火の“音”を聞いたら、思い出してね。
あなたの手は、私の“初恋”の光でした」
透也はその写真を、いまも大切に持っている。
見えない彼女に手渡した、“ひかりのバトン”。
それは、静かで、やさしい初恋だった。
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