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3話:「君の声が、私を救った」
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その日、陽菜は教室のドアを開けるのがいつもより少し遅かった。
時間ギリギリではなかった。けれど、まるでドアの向こうに踏み出す勇気を試されているようで、数秒だけ、立ち止まった。
(……大丈夫。私は、平気)
そう呟いてから深呼吸をして、ようやく一歩を踏み出す。
けれど、教室に入った瞬間、空気が少しざわついていることに気づいた。
「昨日のアレ見た?」
「うわ、ほんとにやっちゃったんだね……」
ひそひそとした声。目線。スマホの画面を見せ合うクラスメイトたち。
その中心にいるのが、自分だということに、すぐに気づいた。
「……うそ」
彼女の机の上に置かれていたのは、昨日の美術部で描いたスケッチブックの写メだった。
そこには——悠真の横顔が、克明に描かれていた。
(どうして、これが……)
スケッチブックは部室に置きっぱなしにしていたはず。誰かが勝手に開いて、撮って、ばらまいた?
背筋がゾッとした。顔から血の気が引いていく。
誰がやったのかなんて、今は分からない。けれど、それ以上に——
(……悠真くんに見られたら、どうしよう)
見られたくない。知られたくない。
恥ずかしい。気持ち悪いって思われるかもしれない。
勝手に見て、勝手に描いて、勝手に……“好きになりかけていた”。
逃げるようにして教室を出た。
蒼の呼びかけも聞こえないふりをして、ただ昇降口へ、そして校舎の裏へ。
誰も来ない、古い桜の木の下で、陽菜はしゃがみこんだ。
「……バカみたい」
誰にも言えない秘密だったはずなのに。
誰にも知られたくなかった感情なのに。
それが、こんな形で暴かれてしまうなんて。
(もう、明日から顔なんて上げられない)
そう思ったとき、不意に——
「……泣かないで。笑ってるほうが、君らしいから」
——聞こえた。
あの、静かで低くて、優しい声。
(……悠真くん?)
顔を上げると、そこには誰もいなかった。
でも、たしかに“彼の心の声”だった。
「誰が描いてたって、俺は……嬉しかったよ。恥ずかしいけど」
胸がきゅっと締めつけられた。
見てくれていたのか。怒っていないのか。
——いいえ、喜んでくれていた?
(……私のこと、気持ち悪いって、思ってない?)
と問いかけたくなった。
すると、まるでそれに応えるように、さらに声が重なった。
「……俺、描かれるような存在じゃないのにって思った。でも……俺のことを、ちゃんと見てくれた人がいるって、ちょっとだけ救われた」
それは——まぎれもなく本音だった。
誰にも言わない、言えない、言いたくない。
でも、どこかで誰かに気づいてほしかった。
悠真のそんな気持ちが、陽菜の胸に真っすぐ届いてくる。
頬に一筋、涙が伝った。今度は、安心の涙だった。
午後の授業が始まる直前、陽菜は教室に戻った。
ざわついていた空気はもう沈静化していたが、まだ一部の生徒がこちらをちらちら見ている。
その中をすっと抜けて、自分の席に戻る。
すると、机の上に、一枚の付箋が貼られていた。
【気にすんな。ちゃんと描けてたよ】
——サインも名前もなかったけれど、すぐに分かった。
(悠真くん……)
それは“言葉”として書かれていたけれど、陽菜には“声”と同じように聞こえた。
優しさが、まっすぐ心に響いてくる。
——あのとき、泣きたくなるほど嬉しかった。
——あの声がなかったら、たぶん今の私は、ここにいない。
そう思えるほどに。
放課後、陽菜は勇気を出して部室へ戻った。
スケッチブックを開く。昨日のページを破り捨てようとしたそのとき、ドアがノックされた。
「……入っていいか?」
振り返ると、そこに立っていたのは——悠真だった。
驚きで声が出なかったが、彼はゆっくりと近づいてくる。
「……勝手に見られたこと、別に怒ってない。むしろ、ちゃんと描いてくれて、ありがとう」
「……ほんとに、怒ってないの?」
「うん。俺、絵にされるなんて初めてだから……恥ずかしかったけど、悪い気はしなかった」
沈黙が流れた。けれど、それはもう苦しくなかった。
「……あのときの“声”、聞こえたよ」
陽菜がぽつりと言うと、悠真は少し目を見開いた。
「声?」
「ううん、なんでもない」
まだ“心の声が聞こえる”という秘密は言えない。
けれど、それでも——
「ありがとう。私、救われたの。あの言葉で」
そう言った陽菜に、悠真はふっと表情を緩めた。
「じゃあ、……よかった」
その笑顔は、とても自然で、はじめて見る彼の“素顔”だった。
そして陽菜は思った。
(ああ、やっぱり私、この人の声が——好きだ)
時間ギリギリではなかった。けれど、まるでドアの向こうに踏み出す勇気を試されているようで、数秒だけ、立ち止まった。
(……大丈夫。私は、平気)
そう呟いてから深呼吸をして、ようやく一歩を踏み出す。
けれど、教室に入った瞬間、空気が少しざわついていることに気づいた。
「昨日のアレ見た?」
「うわ、ほんとにやっちゃったんだね……」
ひそひそとした声。目線。スマホの画面を見せ合うクラスメイトたち。
その中心にいるのが、自分だということに、すぐに気づいた。
「……うそ」
彼女の机の上に置かれていたのは、昨日の美術部で描いたスケッチブックの写メだった。
そこには——悠真の横顔が、克明に描かれていた。
(どうして、これが……)
スケッチブックは部室に置きっぱなしにしていたはず。誰かが勝手に開いて、撮って、ばらまいた?
背筋がゾッとした。顔から血の気が引いていく。
誰がやったのかなんて、今は分からない。けれど、それ以上に——
(……悠真くんに見られたら、どうしよう)
見られたくない。知られたくない。
恥ずかしい。気持ち悪いって思われるかもしれない。
勝手に見て、勝手に描いて、勝手に……“好きになりかけていた”。
逃げるようにして教室を出た。
蒼の呼びかけも聞こえないふりをして、ただ昇降口へ、そして校舎の裏へ。
誰も来ない、古い桜の木の下で、陽菜はしゃがみこんだ。
「……バカみたい」
誰にも言えない秘密だったはずなのに。
誰にも知られたくなかった感情なのに。
それが、こんな形で暴かれてしまうなんて。
(もう、明日から顔なんて上げられない)
そう思ったとき、不意に——
「……泣かないで。笑ってるほうが、君らしいから」
——聞こえた。
あの、静かで低くて、優しい声。
(……悠真くん?)
顔を上げると、そこには誰もいなかった。
でも、たしかに“彼の心の声”だった。
「誰が描いてたって、俺は……嬉しかったよ。恥ずかしいけど」
胸がきゅっと締めつけられた。
見てくれていたのか。怒っていないのか。
——いいえ、喜んでくれていた?
(……私のこと、気持ち悪いって、思ってない?)
と問いかけたくなった。
すると、まるでそれに応えるように、さらに声が重なった。
「……俺、描かれるような存在じゃないのにって思った。でも……俺のことを、ちゃんと見てくれた人がいるって、ちょっとだけ救われた」
それは——まぎれもなく本音だった。
誰にも言わない、言えない、言いたくない。
でも、どこかで誰かに気づいてほしかった。
悠真のそんな気持ちが、陽菜の胸に真っすぐ届いてくる。
頬に一筋、涙が伝った。今度は、安心の涙だった。
午後の授業が始まる直前、陽菜は教室に戻った。
ざわついていた空気はもう沈静化していたが、まだ一部の生徒がこちらをちらちら見ている。
その中をすっと抜けて、自分の席に戻る。
すると、机の上に、一枚の付箋が貼られていた。
【気にすんな。ちゃんと描けてたよ】
——サインも名前もなかったけれど、すぐに分かった。
(悠真くん……)
それは“言葉”として書かれていたけれど、陽菜には“声”と同じように聞こえた。
優しさが、まっすぐ心に響いてくる。
——あのとき、泣きたくなるほど嬉しかった。
——あの声がなかったら、たぶん今の私は、ここにいない。
そう思えるほどに。
放課後、陽菜は勇気を出して部室へ戻った。
スケッチブックを開く。昨日のページを破り捨てようとしたそのとき、ドアがノックされた。
「……入っていいか?」
振り返ると、そこに立っていたのは——悠真だった。
驚きで声が出なかったが、彼はゆっくりと近づいてくる。
「……勝手に見られたこと、別に怒ってない。むしろ、ちゃんと描いてくれて、ありがとう」
「……ほんとに、怒ってないの?」
「うん。俺、絵にされるなんて初めてだから……恥ずかしかったけど、悪い気はしなかった」
沈黙が流れた。けれど、それはもう苦しくなかった。
「……あのときの“声”、聞こえたよ」
陽菜がぽつりと言うと、悠真は少し目を見開いた。
「声?」
「ううん、なんでもない」
まだ“心の声が聞こえる”という秘密は言えない。
けれど、それでも——
「ありがとう。私、救われたの。あの言葉で」
そう言った陽菜に、悠真はふっと表情を緩めた。
「じゃあ、……よかった」
その笑顔は、とても自然で、はじめて見る彼の“素顔”だった。
そして陽菜は思った。
(ああ、やっぱり私、この人の声が——好きだ)
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