12 / 27
第二部:「混沌の調停者」
第1話「黒い旗の下に」
しおりを挟む
森の北端──空がかすかに赤く濁っていた。
それは夕焼けの色ではない。
血と煤、そして焦げた木の匂いが混じった、重い空気の色だった。
丘の上から、その景色を見下ろす狼がいた。
灰色の毛並みを風になびかせながら、フィンは細めた瞳で遠くを見据えていた。
(……動いている。間違いなく。)
黒い旗が、森の外れで翻っていた。
粗い布に描かれた牙と槍──魔将ザルガスの軍旗だ。
フィンは谷へ戻ると、そのままバルトのもとへ向かった。
「北方から、魔物の群れが動いている。
数は……見えただけで百。おそらくもっといる。」
バルトは、大きな背をゆっくりと起こした。
その眼差しは静かだったが、奥底に波が立ち始めていた。
(ザルガス……。)
第一部の最後、人間軍との戦いが終わってから、谷はしばらく穏やかな日々を取り戻していた。
傷を負った者は癒え、子どもたちの笑い声も戻ってきた。
だがその裏で、遠くの地では確実に何かが膨れ上がっていたのだ。
「谷に集まっている者たちには知らせた。だが……もう一つ。」
フィンが低く声を落とす。
「魔物の群れの中に、“お前の名”を口にする者がいた。
『森の王を討て』と。
どうやら向こうも、お前の存在を“知っている”らしい。」
バルトはゆっくりと立ち上がり、谷の北の空を見上げた。
雲が厚く、その向こうで雷が光ったような気がした。
(向こうは……“敵”として来る。)
*
その夜。
谷の外れで、小さな影が震えていた。
丸く縮こまった身体、泥にまみれた黒い毛並み。
それは、まだ若い魔物の一種──トカゲに似た亜人の子だった。
動物たちが警戒の唸り声を上げる中、バルトはゆっくりと歩み寄った。
子は怯えながらも、逃げなかった。
その瞳には、恐怖と……ほんの少しの期待が混ざっていた。
「……たすけ……」
かすれた声。
人間語でも、獣語でもない。
けれど、意味はなぜか胸に響いた。
(……命令されて……戦って……逃げてきた……?)
バルトは、そっと前脚を差し伸べた。
子はそれに触れ、安心したように目を閉じた。
その姿を見て、フィンが呟く。
「そいつを匿えば、魔物軍は確実にお前を敵と見なすぞ。」
バルトは頷かなかった。
ただ、子を谷の奥へ連れていき、岩陰の寝床に寝かせた。
(敵も味方もない。守るべき命は、守る。)
*
その頃、北の拠点。
魔将ザルガスは、玉座のような黒い岩の上で報告を受けていた。
「……何者かにより、我が斥候の一部が討たれました。生き残りの者が申すには──『巨大な熊が、子を匿っていた』と。」
「ふむ……。」
ザルガスは顎を撫で、低く笑った。
「やはりいるのだな。“言葉なき調停者”と呼ばれる魔獣が。」
立ち上がると、その声が軍全体に響き渡った。
「黒い旗の下に集え!
森を制する者が、この大陸を制する!
その森を守る者がいるなら──押し潰せ!」
無数の咆哮が、夜空を震わせた。
黒旗の下、魔物の軍勢が動き出した。
*
谷では、バルトが静かに月を見上げていた。
その背後で、フィンが問う。
「どうする?」
バルトは答えない。
ただ、前脚で土に丸を描き、その外にさらに大きな円を重ねた。
(……守る範囲が、広がる。)
谷だけではなく、森そのものを守る覚悟が──
今、確かに形になろうとしていた。
それは夕焼けの色ではない。
血と煤、そして焦げた木の匂いが混じった、重い空気の色だった。
丘の上から、その景色を見下ろす狼がいた。
灰色の毛並みを風になびかせながら、フィンは細めた瞳で遠くを見据えていた。
(……動いている。間違いなく。)
黒い旗が、森の外れで翻っていた。
粗い布に描かれた牙と槍──魔将ザルガスの軍旗だ。
フィンは谷へ戻ると、そのままバルトのもとへ向かった。
「北方から、魔物の群れが動いている。
数は……見えただけで百。おそらくもっといる。」
バルトは、大きな背をゆっくりと起こした。
その眼差しは静かだったが、奥底に波が立ち始めていた。
(ザルガス……。)
第一部の最後、人間軍との戦いが終わってから、谷はしばらく穏やかな日々を取り戻していた。
傷を負った者は癒え、子どもたちの笑い声も戻ってきた。
だがその裏で、遠くの地では確実に何かが膨れ上がっていたのだ。
「谷に集まっている者たちには知らせた。だが……もう一つ。」
フィンが低く声を落とす。
「魔物の群れの中に、“お前の名”を口にする者がいた。
『森の王を討て』と。
どうやら向こうも、お前の存在を“知っている”らしい。」
バルトはゆっくりと立ち上がり、谷の北の空を見上げた。
雲が厚く、その向こうで雷が光ったような気がした。
(向こうは……“敵”として来る。)
*
その夜。
谷の外れで、小さな影が震えていた。
丸く縮こまった身体、泥にまみれた黒い毛並み。
それは、まだ若い魔物の一種──トカゲに似た亜人の子だった。
動物たちが警戒の唸り声を上げる中、バルトはゆっくりと歩み寄った。
子は怯えながらも、逃げなかった。
その瞳には、恐怖と……ほんの少しの期待が混ざっていた。
「……たすけ……」
かすれた声。
人間語でも、獣語でもない。
けれど、意味はなぜか胸に響いた。
(……命令されて……戦って……逃げてきた……?)
バルトは、そっと前脚を差し伸べた。
子はそれに触れ、安心したように目を閉じた。
その姿を見て、フィンが呟く。
「そいつを匿えば、魔物軍は確実にお前を敵と見なすぞ。」
バルトは頷かなかった。
ただ、子を谷の奥へ連れていき、岩陰の寝床に寝かせた。
(敵も味方もない。守るべき命は、守る。)
*
その頃、北の拠点。
魔将ザルガスは、玉座のような黒い岩の上で報告を受けていた。
「……何者かにより、我が斥候の一部が討たれました。生き残りの者が申すには──『巨大な熊が、子を匿っていた』と。」
「ふむ……。」
ザルガスは顎を撫で、低く笑った。
「やはりいるのだな。“言葉なき調停者”と呼ばれる魔獣が。」
立ち上がると、その声が軍全体に響き渡った。
「黒い旗の下に集え!
森を制する者が、この大陸を制する!
その森を守る者がいるなら──押し潰せ!」
無数の咆哮が、夜空を震わせた。
黒旗の下、魔物の軍勢が動き出した。
*
谷では、バルトが静かに月を見上げていた。
その背後で、フィンが問う。
「どうする?」
バルトは答えない。
ただ、前脚で土に丸を描き、その外にさらに大きな円を重ねた。
(……守る範囲が、広がる。)
谷だけではなく、森そのものを守る覚悟が──
今、確かに形になろうとしていた。
0
あなたにおすすめの小説
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
一級魔法使いになれなかったので特級厨師になりました
しおしお
恋愛
魔法学院次席卒業のシャーリー・ドットは、
「一級魔法使いになれなかった」という理由だけで婚約破棄された。
――だが本当の理由は、ただの“うっかり”。
試験会場を間違え、隣の建物で行われていた
特級厨師試験に合格してしまったのだ。
気づけばシャーリーは、王宮からスカウトされるほどの
“超一流料理人”となり、国王の胃袋をがっちり掴む存在に。
一方、学院首席で一級魔法使いとなった
ナターシャ・キンスキーは、大活躍しているはずなのに――
「なんで料理で一番になってるのよ!?
あの女、魔法より料理の方が強くない!?」
すれ違い、逃げ回り、勘違いし続けるナターシャと、
天然すぎて誤解が絶えないシャーリー。
そんな二人が、魔王軍の襲撃、国家危機、王宮騒動を通じて、
少しずつ距離を縮めていく。
魔法で国を守る最強魔術師。
料理で国を救う特級厨師。
――これは、“敵でもライバルでもない二人”が、
ようやく互いを認め、本当の友情を築いていく物語。
すれ違いコメディ×料理魔法×ダブルヒロイン友情譚!
笑って、癒されて、最後は心が温かくなる王宮ラノベ、開幕です。
貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。
黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
神様の忘れ物
mizuno sei
ファンタジー
仕事中に急死した三十二歳の独身OLが、前世の記憶を持ったまま異世界に転生した。
わりとお気楽で、ポジティブな主人公が、異世界で懸命に生きる中で巻き起こされる、笑いあり、涙あり(?)の珍騒動記。
【完結】転生したら最強の魔法使いでした~元ブラック企業OLの異世界無双~
きゅちゃん
ファンタジー
過労死寸前のブラック企業OL・田中美咲(28歳)が、残業中に倒れて異世界に転生。転生先では「セリア・アルクライト」という名前で、なんと世界最強クラスの魔法使いとして生まれ変わる。
前世で我慢し続けた鬱憤を晴らすかのように、理不尽な権力者たちを魔法でバッサバッサと成敗し、困っている人々を助けていく。持ち前の社会人経験と常識、そして圧倒的な魔法力で、この世界の様々な問題を解決していく痛快ストーリー。
異世界転生した時に心を失くした私は貧民生まれです
ぐるぐる
ファンタジー
前世日本人の私は剣と魔法の世界に転生した。
転生した時に感情を欠落したのか、生まれた時から心が全く動かない。
前世の記憶を頼りに善悪等を判断。
貧民街の狭くて汚くて臭い家……家とはいえないほったて小屋に、生まれた時から住んでいる。
2人の兄と、私と、弟と母。
母親はいつも心ここにあらず、父親は所在不明。
ある日母親が死んで父親のへそくりを発見したことで、兄弟4人引っ越しを決意する。
前世の記憶と知識、魔法を駆使して少しずつでも確実にお金を貯めていく。
俺に王太子の側近なんて無理です!
クレハ
ファンタジー
5歳の時公爵家の家の庭にある木から落ちて前世の記憶を思い出した俺。
そう、ここは剣と魔法の世界!
友達の呪いを解くために悪魔召喚をしたりその友達の側近になったりして大忙し。
ハイスペックなちゃらんぽらんな人間を演じる俺の奮闘記、ここに開幕。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる