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第一部:「森の王の誕生」
第8話「森の王、立つ」
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森の空気が、明らかに変わっていた。
風の音は硬く、鳥の鳴き声は少なかった。
何かが──いや、“誰かたち”が森に踏み入った。
フィンが谷の西端で風を嗅ぎ、尾を振った。
「来たな。人間の匂いだ。十……いや、二十以上。甲冑の油と鉄、馬の汗と火薬の匂い。完全に“討伐”の構えだ。」
バルトは、谷の中央に立ったまま動かない。
彼の前では、小動物たちが集まり、不安げに身を寄せ合っていた。
リリは、ひとり谷へと走っていた。
彼女は討伐軍の準備が進められるのを見て、迷いなく森へ飛び出した。
足元は泥に汚れ、籠は落とし、ただバルトに“間に合いたい”一心だった。
「お願い……間に合って……!」
*
辺境伯ギデオンは、馬にまたがり森の入り口で手を振り下ろした。
「行け。森を焼き払え。
言葉を解す魔獣など、まやかしだ。
そのような異形、我が領には不要だ。」
鉄の靴が土を蹴り、矢が弦を鳴らす。
鎧の音、馬のいななき。
彼らは、あらかじめ決められた“害獣駆除”として、森へ踏み込んでいった。
だが。
最初の一人が、森に入った瞬間。
音もなく、木の上から何かが降ってきた。
それは──木の実だった。
木の実の雨。
続いて、枝に吊るされた蔓が切れ、騎士の足元を絡め取る。
「罠……!? 罠だ!」
次々に地面が崩れ、浅く掘られた落とし穴に兵が飲まれていく。
枝葉に隠されたトゲ付きの丸太が振り子のように飛び、馬を驚かせる。
「誰が……こんな戦術を……!」
木の陰で、バルトが静かに見下ろしていた。
かつて舞台装置のように仕掛けられたサーカスの裏方。
その記憶と技術が、今“森の防衛”として生かされていた。
フィンが谷の端から突入し、ひとり騎士の腰に噛みついた。
すぐに飛び退き、木の陰へ消える。
動物たちが連携して動き、敵を倒すのではなく、退かせるように追い立てる。
「まるで……軍だ。いや、軍より統率されている……!」
騎士たちは混乱した。
殺されない。だが確実に、無力化される。
「殺意」がないのに、「強さ」がある。
その違和感が恐怖となって、彼らの心を蝕んでいった。
*
その中心にいたのが、バルトだった。
騎士たちの前に立ちはだかり、咆哮を上げた。
ぐわん、と空気が震えた。
その声には、怒りも、哀しみも、そして、祈りもあった。
(これ以上、森を壊すな。
これ以上、命を踏みにじるな。)
言葉にはならない。
だが、叫びは届いた。
一人の若い騎士が、剣を構えたまま、震える声で叫んだ。
「こいつは……敵じゃない……! やめろ、撃つな!」
が──辺境伯ギデオンが怒鳴った。
「構わん! 射て!」
放たれた矢が、バルトに向けて飛ぶ──その直後、少女の声が木々を裂いた。
「やめて!!」
リリだった。
彼女は泥にまみれ、髪も乱しながら、バルトの前へ飛び出した。
その手には、小さな草の葉──バルトが最初に渡した、あの葉が握られていた。
「このクマは、人を殺してない!
私を、村の子を、みんなを守ってくれたの!」
兵たちがたじろぐ。
すぐにバルトはリリに向かわれた矢を、右腕一振りで全て薙ぎ払う。
「この子は、言葉は話せないけど……わかってるの。
痛みも、優しさも、守るべきものも!」
バルトはリリを見下ろした。
その目は、かつて見た少女と同じだった。
あの笑顔。あの涙。
兵たちが徐々に武器を下ろしていく。
「もう……十分だ。」
誰かがそう言った。
だが、辺境伯だけは剣を抜いた。
「ならば、私が……この異形を屠る!」
馬を駆け、バルトに向かって突進する。
その刹那──
谷の岩陰から、グロムが飛び出した。
「退け。」
ロックゴーレムの巨腕が、まるで盾のようにギデオンの馬をはね飛ばした。
ギデオンは気を失い、そのまま地に倒れた。
バルトは動かずに、ただ兵士たちに頷いた。
ギデオンを担いで、一行は森を後にした。
森は、再び静寂を取り戻していた。
*
それから、数日。
森に新たな異名が広がった。
『森の王、バルト』
『言葉なき調停者』
『守るために立つ熊』
彼の縄張りは、もはやただの拠点ではなかった。
小動物も、獣も、時に迷い込んだ人間までもが“そこには争いがない”と理解し始めていた。
言葉は交わせなくとも──
秩序は、“姿”で示すことができる。
谷の中央で、バルトは静かに玉乗りをしていた。
子どもたちが見守るなか、ゆっくりと回る丸い木の玉。
その背後では、フィンとリリが、それを見守っていた。
バルトは、ただ静かに転がり続ける。
その大きな背中が、今日も森の平和を守っている。
風の音は硬く、鳥の鳴き声は少なかった。
何かが──いや、“誰かたち”が森に踏み入った。
フィンが谷の西端で風を嗅ぎ、尾を振った。
「来たな。人間の匂いだ。十……いや、二十以上。甲冑の油と鉄、馬の汗と火薬の匂い。完全に“討伐”の構えだ。」
バルトは、谷の中央に立ったまま動かない。
彼の前では、小動物たちが集まり、不安げに身を寄せ合っていた。
リリは、ひとり谷へと走っていた。
彼女は討伐軍の準備が進められるのを見て、迷いなく森へ飛び出した。
足元は泥に汚れ、籠は落とし、ただバルトに“間に合いたい”一心だった。
「お願い……間に合って……!」
*
辺境伯ギデオンは、馬にまたがり森の入り口で手を振り下ろした。
「行け。森を焼き払え。
言葉を解す魔獣など、まやかしだ。
そのような異形、我が領には不要だ。」
鉄の靴が土を蹴り、矢が弦を鳴らす。
鎧の音、馬のいななき。
彼らは、あらかじめ決められた“害獣駆除”として、森へ踏み込んでいった。
だが。
最初の一人が、森に入った瞬間。
音もなく、木の上から何かが降ってきた。
それは──木の実だった。
木の実の雨。
続いて、枝に吊るされた蔓が切れ、騎士の足元を絡め取る。
「罠……!? 罠だ!」
次々に地面が崩れ、浅く掘られた落とし穴に兵が飲まれていく。
枝葉に隠されたトゲ付きの丸太が振り子のように飛び、馬を驚かせる。
「誰が……こんな戦術を……!」
木の陰で、バルトが静かに見下ろしていた。
かつて舞台装置のように仕掛けられたサーカスの裏方。
その記憶と技術が、今“森の防衛”として生かされていた。
フィンが谷の端から突入し、ひとり騎士の腰に噛みついた。
すぐに飛び退き、木の陰へ消える。
動物たちが連携して動き、敵を倒すのではなく、退かせるように追い立てる。
「まるで……軍だ。いや、軍より統率されている……!」
騎士たちは混乱した。
殺されない。だが確実に、無力化される。
「殺意」がないのに、「強さ」がある。
その違和感が恐怖となって、彼らの心を蝕んでいった。
*
その中心にいたのが、バルトだった。
騎士たちの前に立ちはだかり、咆哮を上げた。
ぐわん、と空気が震えた。
その声には、怒りも、哀しみも、そして、祈りもあった。
(これ以上、森を壊すな。
これ以上、命を踏みにじるな。)
言葉にはならない。
だが、叫びは届いた。
一人の若い騎士が、剣を構えたまま、震える声で叫んだ。
「こいつは……敵じゃない……! やめろ、撃つな!」
が──辺境伯ギデオンが怒鳴った。
「構わん! 射て!」
放たれた矢が、バルトに向けて飛ぶ──その直後、少女の声が木々を裂いた。
「やめて!!」
リリだった。
彼女は泥にまみれ、髪も乱しながら、バルトの前へ飛び出した。
その手には、小さな草の葉──バルトが最初に渡した、あの葉が握られていた。
「このクマは、人を殺してない!
私を、村の子を、みんなを守ってくれたの!」
兵たちがたじろぐ。
すぐにバルトはリリに向かわれた矢を、右腕一振りで全て薙ぎ払う。
「この子は、言葉は話せないけど……わかってるの。
痛みも、優しさも、守るべきものも!」
バルトはリリを見下ろした。
その目は、かつて見た少女と同じだった。
あの笑顔。あの涙。
兵たちが徐々に武器を下ろしていく。
「もう……十分だ。」
誰かがそう言った。
だが、辺境伯だけは剣を抜いた。
「ならば、私が……この異形を屠る!」
馬を駆け、バルトに向かって突進する。
その刹那──
谷の岩陰から、グロムが飛び出した。
「退け。」
ロックゴーレムの巨腕が、まるで盾のようにギデオンの馬をはね飛ばした。
ギデオンは気を失い、そのまま地に倒れた。
バルトは動かずに、ただ兵士たちに頷いた。
ギデオンを担いで、一行は森を後にした。
森は、再び静寂を取り戻していた。
*
それから、数日。
森に新たな異名が広がった。
『森の王、バルト』
『言葉なき調停者』
『守るために立つ熊』
彼の縄張りは、もはやただの拠点ではなかった。
小動物も、獣も、時に迷い込んだ人間までもが“そこには争いがない”と理解し始めていた。
言葉は交わせなくとも──
秩序は、“姿”で示すことができる。
谷の中央で、バルトは静かに玉乗りをしていた。
子どもたちが見守るなか、ゆっくりと回る丸い木の玉。
その背後では、フィンとリリが、それを見守っていた。
バルトは、ただ静かに転がり続ける。
その大きな背中が、今日も森の平和を守っている。
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