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第一部:「森の王の誕生」
第7話「子守熊と伝令狼」
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バルトが拠点と定めた谷には、次第に“日常”の匂いが生まれはじめていた。
葉の間を縫う風は柔らかく、鳥たちは恐れることなく枝に戻り、小動物たちはかすかに笑っているかのような足音で走り回っていた。
(ここは……檻の中より、ずっと広くて、静かだ。)
バルトは、陽のあたる岩の上で、丸くなっていた。
その腹の上では、三匹のリスの子どもたちが無遠慮に跳ね回っていた。
「あいつら……完全に遊具だと思ってるな。」
フィンがため息を吐きながら、その様子を見ていた。
その足元では、別の小さなテンが尻尾にじゃれついている。
「……王ってのは、威厳があるもんじゃないのか。」
バルトは、ちらりと目線だけでフィンを見た。
口をきけなくても、“分かっている”という表情だった。
(守るって、こういうことだろう?)
彼の胸に登る子鹿のひづめがかすかに食い込んだ。
それすら痛いとも思わず、ただ静かに受け止めていた。
グロムは谷の外れで、無言で岩を積み上げていた。
新たな獣たちの寝床となる、岩壁の簡易な防風施設だった。
作りは粗いが、堅牢だった。
「すげえな……あれも誰に言われたわけでもないのに、動いてる。」
フィンはしばし黙り、バルトを見つめた。
「……お前に、言葉はいらないんだな。」
バルトは、小さく頷いた。
言葉が通じない。
けれど、その背で眠る子どもたちがいた。
その足元に身を寄せる親たちがいた。
自分のそばに居ようとする者が、こんなにもいた。
(舞台の上では、拍手が答えだった。
今は──こうして、生きていることが、答えなんだ。)
*
その頃、森辺の村。
リリ・ノポルは、薬草を干しながら、村の広場の様子をぼんやりと眺めていた。
周囲の人々は忙しそうにしているが、どこか殺気立っていた。
兵装をした男たちが増え、村を巡回する兵士の数が明らかに多くなっていた。
(……来る。きっともうすぐ、何かが起きる。)
バルトの存在が「噂」から「異物」へと変わろうとしていた。
村に流れる情報の中で、「言葉を解す魔獣」が、ただの面白話ではなく、「危険視される対象」になっていったのだ。
「リリ、また“あのクマ”のことを調べてるのか。」
声をかけてきたのは、同じ薬草師の見習い仲間だった。
リリは小さく頷いた。
「私は……確かに助けられたの。
あの目は、獣の目じゃなかった。
それを、誰にも信じてもらえなくても──忘れたくないの。」
「でも……ギデオン様は、本格的に“討伐軍”を組むつもりらしいよ。」
「……!」
リリは立ち上がる。
その足がふらつくほど、心が動揺していた。
「止めなきゃ……!」
「リリ、無理だよ。
“あれ”がもし人を襲ったらどうする? 君は、命を救われたんだろう?
でも、他の人はどうだか……。」
リリは、その言葉を否定できなかった。
確かに、バルトが誰かを“襲わない”保証は、彼女の感覚の中にしかなかった。
(でも……誰かが信じなきゃ、何も始まらない。)
彼女は、小さな薬草籠を抱え、森の方へ歩き出した。
「……私は、もう一度あのクマに会いたい。
ちゃんと、目を見て話したい。
この目で、“敵じゃない”って証明したい。」
遠くで、城塞のような館の屋根が見えた。
辺境伯ギデオンの居城だった。
*
その夜。
フィンが森の獣たちに語りかけていた。
「いいか。人間は、近いうちに動く。
奴らは俺たちの縄張りを“森の資源”としか見ていない。
だが、俺たちには、もう“守る場所”がある。
バルトが、それを築いた。
あとは──お前らが、信じて、守る番だ。」
バルトは、その光景を見つめながら、静かに岩の上に座っていた。
彼は王として演説することはない。
剣を振るって指示を出すこともない。
だが、彼の存在そのものが、谷に集う者たちに“ここが居場所だ”と伝えていた。
(次は……来る。
人間か。魔物か。それとも……両方か。)
バルトの視線が夜空を見上げる。
星々の光は、静かに谷を照らしていた。
今、ここにいる全ての命を──照らしていた。
葉の間を縫う風は柔らかく、鳥たちは恐れることなく枝に戻り、小動物たちはかすかに笑っているかのような足音で走り回っていた。
(ここは……檻の中より、ずっと広くて、静かだ。)
バルトは、陽のあたる岩の上で、丸くなっていた。
その腹の上では、三匹のリスの子どもたちが無遠慮に跳ね回っていた。
「あいつら……完全に遊具だと思ってるな。」
フィンがため息を吐きながら、その様子を見ていた。
その足元では、別の小さなテンが尻尾にじゃれついている。
「……王ってのは、威厳があるもんじゃないのか。」
バルトは、ちらりと目線だけでフィンを見た。
口をきけなくても、“分かっている”という表情だった。
(守るって、こういうことだろう?)
彼の胸に登る子鹿のひづめがかすかに食い込んだ。
それすら痛いとも思わず、ただ静かに受け止めていた。
グロムは谷の外れで、無言で岩を積み上げていた。
新たな獣たちの寝床となる、岩壁の簡易な防風施設だった。
作りは粗いが、堅牢だった。
「すげえな……あれも誰に言われたわけでもないのに、動いてる。」
フィンはしばし黙り、バルトを見つめた。
「……お前に、言葉はいらないんだな。」
バルトは、小さく頷いた。
言葉が通じない。
けれど、その背で眠る子どもたちがいた。
その足元に身を寄せる親たちがいた。
自分のそばに居ようとする者が、こんなにもいた。
(舞台の上では、拍手が答えだった。
今は──こうして、生きていることが、答えなんだ。)
*
その頃、森辺の村。
リリ・ノポルは、薬草を干しながら、村の広場の様子をぼんやりと眺めていた。
周囲の人々は忙しそうにしているが、どこか殺気立っていた。
兵装をした男たちが増え、村を巡回する兵士の数が明らかに多くなっていた。
(……来る。きっともうすぐ、何かが起きる。)
バルトの存在が「噂」から「異物」へと変わろうとしていた。
村に流れる情報の中で、「言葉を解す魔獣」が、ただの面白話ではなく、「危険視される対象」になっていったのだ。
「リリ、また“あのクマ”のことを調べてるのか。」
声をかけてきたのは、同じ薬草師の見習い仲間だった。
リリは小さく頷いた。
「私は……確かに助けられたの。
あの目は、獣の目じゃなかった。
それを、誰にも信じてもらえなくても──忘れたくないの。」
「でも……ギデオン様は、本格的に“討伐軍”を組むつもりらしいよ。」
「……!」
リリは立ち上がる。
その足がふらつくほど、心が動揺していた。
「止めなきゃ……!」
「リリ、無理だよ。
“あれ”がもし人を襲ったらどうする? 君は、命を救われたんだろう?
でも、他の人はどうだか……。」
リリは、その言葉を否定できなかった。
確かに、バルトが誰かを“襲わない”保証は、彼女の感覚の中にしかなかった。
(でも……誰かが信じなきゃ、何も始まらない。)
彼女は、小さな薬草籠を抱え、森の方へ歩き出した。
「……私は、もう一度あのクマに会いたい。
ちゃんと、目を見て話したい。
この目で、“敵じゃない”って証明したい。」
遠くで、城塞のような館の屋根が見えた。
辺境伯ギデオンの居城だった。
*
その夜。
フィンが森の獣たちに語りかけていた。
「いいか。人間は、近いうちに動く。
奴らは俺たちの縄張りを“森の資源”としか見ていない。
だが、俺たちには、もう“守る場所”がある。
バルトが、それを築いた。
あとは──お前らが、信じて、守る番だ。」
バルトは、その光景を見つめながら、静かに岩の上に座っていた。
彼は王として演説することはない。
剣を振るって指示を出すこともない。
だが、彼の存在そのものが、谷に集う者たちに“ここが居場所だ”と伝えていた。
(次は……来る。
人間か。魔物か。それとも……両方か。)
バルトの視線が夜空を見上げる。
星々の光は、静かに谷を照らしていた。
今、ここにいる全ての命を──照らしていた。
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