16 / 27
第二部:「混沌の調停者」
第5話「血の川の前で」
しおりを挟む
夜が明ける前から、森はざわついていた。
鳥の鳴き声はなく、風は重く湿っている。
北からは低く響く咆哮、南からは鎧と槍の音──ふたつの軍勢が、同じ一点へ向かっていた。
その地点は、森の中央を横切る大河。
普段は静かに流れるその川も、今は赤黒い朝焼けを映し、戦場になることを予感させていた。
*
リリは必死に森を駆けていた。
昨日の夜から走り続け、足は泥にまみれ、息は苦しく、胸は焼けるようだった。
(間に合わなきゃ……! バルトに知らせなきゃ……!)
枝をかき分けるたびに、服に小さな裂け目が増えていく。
それでも止まらない。
バルトが知らずに戦いに巻き込まれれば、あの日と同じ悲劇になる──いや、それ以上の。
*
その頃、川の北岸。
黒旗を掲げた魔物軍が集結していた。
オーク、トロル、飛行魔物──そして、その中央に立つのは魔将ザルガス。
鎧の継ぎ目から覗く肌は硬い鱗のようで、眼光は鋼をも溶かす冷たさを帯びていた。
「川を渡る前に人間を叩き潰す。」
その声は低く、だが軍全体に響いた。
南岸には、人間軍が盾を並べ、弓兵が矢を番えている。
カロル・ヴァイスが先頭で馬にまたがり、鋭い声で命令を飛ばす。
「奴らが動いたら、一斉射撃だ!」
両軍の間には、わずか十数歩分の川幅しかない。
一陣の風が吹けば、戦いが始まる距離。
*
その時だった。
川の中央の浅瀬に、巨大な影が現れた。
バルトだった。
水しぶきを上げながら、ゆっくりと川を渡り、両軍の間に立つ。
濡れた毛皮が朝の光を反射し、体躯はまるで黒い壁のようにそびえていた。
(……やめろ。これ以上、森を血で汚すな。)
彼は言葉を発せず、ただ両軍に向かって咆哮を上げた。
その声は雷鳴のように空気を震わせ、兵士も魔物も一瞬動きを止めた。
だが──
矢羽の音が、静寂を破った。
誰の指示でもなかった。
人間側の一人の兵が、恐怖と焦りで矢を放ってしまったのだ。
同時に、魔物側の飛行兵が突撃し、川面を蹴って南岸へ向かった。
次の瞬間、戦場が動いた。
*
バルトは飛んできた矢を前脚で払い落とし、飛行魔物の進路に体当たりした。
水しぶきが舞い、二つの軍勢の先頭が一気に乱れる。
その混乱の中、ザルガスが吼えた。
「構うな! 川を越えろ!」
カロルも剣を掲げる。
「全軍、突撃!」
轟音のような掛け声と共に、両軍が川へなだれ込む。
バルトはそれを止めようと、目の前の兵士たちを押し返し、魔物の突進を阻む。
だが、あまりにも数が多すぎた。
視界の隅で、巨大な影が動いた。
グロムだった。
「バルト……!」
その声と共に、彼はバルトの前に立ち、迫る槍を受け止める。
鉄と石がぶつかる衝撃音。
しかし次の瞬間、魔物の刃がグロムの肩を裂いた。
石片が飛び散り、彼の巨体がわずかによろめく。
(……守らなきゃ。)
バルトの胸の奥で、熱いものが爆ぜた。
*
岸辺に辿り着いたリリは、凄惨な光景に息を呑んだ。
両軍が入り乱れ、川は赤く染まり始めている。
その中心で、バルトが濁流のような敵を押し返していた。
「バルト……!」
彼女の声は届かない。
だが、その視線だけは確かにバルトの背を追っていた。
(まだ……終わらせない。森を、守る。)
鳥の鳴き声はなく、風は重く湿っている。
北からは低く響く咆哮、南からは鎧と槍の音──ふたつの軍勢が、同じ一点へ向かっていた。
その地点は、森の中央を横切る大河。
普段は静かに流れるその川も、今は赤黒い朝焼けを映し、戦場になることを予感させていた。
*
リリは必死に森を駆けていた。
昨日の夜から走り続け、足は泥にまみれ、息は苦しく、胸は焼けるようだった。
(間に合わなきゃ……! バルトに知らせなきゃ……!)
枝をかき分けるたびに、服に小さな裂け目が増えていく。
それでも止まらない。
バルトが知らずに戦いに巻き込まれれば、あの日と同じ悲劇になる──いや、それ以上の。
*
その頃、川の北岸。
黒旗を掲げた魔物軍が集結していた。
オーク、トロル、飛行魔物──そして、その中央に立つのは魔将ザルガス。
鎧の継ぎ目から覗く肌は硬い鱗のようで、眼光は鋼をも溶かす冷たさを帯びていた。
「川を渡る前に人間を叩き潰す。」
その声は低く、だが軍全体に響いた。
南岸には、人間軍が盾を並べ、弓兵が矢を番えている。
カロル・ヴァイスが先頭で馬にまたがり、鋭い声で命令を飛ばす。
「奴らが動いたら、一斉射撃だ!」
両軍の間には、わずか十数歩分の川幅しかない。
一陣の風が吹けば、戦いが始まる距離。
*
その時だった。
川の中央の浅瀬に、巨大な影が現れた。
バルトだった。
水しぶきを上げながら、ゆっくりと川を渡り、両軍の間に立つ。
濡れた毛皮が朝の光を反射し、体躯はまるで黒い壁のようにそびえていた。
(……やめろ。これ以上、森を血で汚すな。)
彼は言葉を発せず、ただ両軍に向かって咆哮を上げた。
その声は雷鳴のように空気を震わせ、兵士も魔物も一瞬動きを止めた。
だが──
矢羽の音が、静寂を破った。
誰の指示でもなかった。
人間側の一人の兵が、恐怖と焦りで矢を放ってしまったのだ。
同時に、魔物側の飛行兵が突撃し、川面を蹴って南岸へ向かった。
次の瞬間、戦場が動いた。
*
バルトは飛んできた矢を前脚で払い落とし、飛行魔物の進路に体当たりした。
水しぶきが舞い、二つの軍勢の先頭が一気に乱れる。
その混乱の中、ザルガスが吼えた。
「構うな! 川を越えろ!」
カロルも剣を掲げる。
「全軍、突撃!」
轟音のような掛け声と共に、両軍が川へなだれ込む。
バルトはそれを止めようと、目の前の兵士たちを押し返し、魔物の突進を阻む。
だが、あまりにも数が多すぎた。
視界の隅で、巨大な影が動いた。
グロムだった。
「バルト……!」
その声と共に、彼はバルトの前に立ち、迫る槍を受け止める。
鉄と石がぶつかる衝撃音。
しかし次の瞬間、魔物の刃がグロムの肩を裂いた。
石片が飛び散り、彼の巨体がわずかによろめく。
(……守らなきゃ。)
バルトの胸の奥で、熱いものが爆ぜた。
*
岸辺に辿り着いたリリは、凄惨な光景に息を呑んだ。
両軍が入り乱れ、川は赤く染まり始めている。
その中心で、バルトが濁流のような敵を押し返していた。
「バルト……!」
彼女の声は届かない。
だが、その視線だけは確かにバルトの背を追っていた。
(まだ……終わらせない。森を、守る。)
0
あなたにおすすめの小説
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
一級魔法使いになれなかったので特級厨師になりました
しおしお
恋愛
魔法学院次席卒業のシャーリー・ドットは、
「一級魔法使いになれなかった」という理由だけで婚約破棄された。
――だが本当の理由は、ただの“うっかり”。
試験会場を間違え、隣の建物で行われていた
特級厨師試験に合格してしまったのだ。
気づけばシャーリーは、王宮からスカウトされるほどの
“超一流料理人”となり、国王の胃袋をがっちり掴む存在に。
一方、学院首席で一級魔法使いとなった
ナターシャ・キンスキーは、大活躍しているはずなのに――
「なんで料理で一番になってるのよ!?
あの女、魔法より料理の方が強くない!?」
すれ違い、逃げ回り、勘違いし続けるナターシャと、
天然すぎて誤解が絶えないシャーリー。
そんな二人が、魔王軍の襲撃、国家危機、王宮騒動を通じて、
少しずつ距離を縮めていく。
魔法で国を守る最強魔術師。
料理で国を救う特級厨師。
――これは、“敵でもライバルでもない二人”が、
ようやく互いを認め、本当の友情を築いていく物語。
すれ違いコメディ×料理魔法×ダブルヒロイン友情譚!
笑って、癒されて、最後は心が温かくなる王宮ラノベ、開幕です。
貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。
黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
神様の忘れ物
mizuno sei
ファンタジー
仕事中に急死した三十二歳の独身OLが、前世の記憶を持ったまま異世界に転生した。
わりとお気楽で、ポジティブな主人公が、異世界で懸命に生きる中で巻き起こされる、笑いあり、涙あり(?)の珍騒動記。
【完結】転生したら最強の魔法使いでした~元ブラック企業OLの異世界無双~
きゅちゃん
ファンタジー
過労死寸前のブラック企業OL・田中美咲(28歳)が、残業中に倒れて異世界に転生。転生先では「セリア・アルクライト」という名前で、なんと世界最強クラスの魔法使いとして生まれ変わる。
前世で我慢し続けた鬱憤を晴らすかのように、理不尽な権力者たちを魔法でバッサバッサと成敗し、困っている人々を助けていく。持ち前の社会人経験と常識、そして圧倒的な魔法力で、この世界の様々な問題を解決していく痛快ストーリー。
異世界転生した時に心を失くした私は貧民生まれです
ぐるぐる
ファンタジー
前世日本人の私は剣と魔法の世界に転生した。
転生した時に感情を欠落したのか、生まれた時から心が全く動かない。
前世の記憶を頼りに善悪等を判断。
貧民街の狭くて汚くて臭い家……家とはいえないほったて小屋に、生まれた時から住んでいる。
2人の兄と、私と、弟と母。
母親はいつも心ここにあらず、父親は所在不明。
ある日母親が死んで父親のへそくりを発見したことで、兄弟4人引っ越しを決意する。
前世の記憶と知識、魔法を駆使して少しずつでも確実にお金を貯めていく。
俺に王太子の側近なんて無理です!
クレハ
ファンタジー
5歳の時公爵家の家の庭にある木から落ちて前世の記憶を思い出した俺。
そう、ここは剣と魔法の世界!
友達の呪いを解くために悪魔召喚をしたりその友達の側近になったりして大忙し。
ハイスペックなちゃらんぽらんな人間を演じる俺の奮闘記、ここに開幕。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる