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序章
第3話「彼女を守るために」
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それは、少し冷え込んだ朝だった。
サーカステントの天幕の外は曇り空。
冬の足音がすぐそこまで迫っていた。
バーニーは、少しだけ落ち着かない気持ちでいた。
朝からいつもと違う匂いが漂っていた。
鉄の匂い。油の匂い。古びた金属が軋むような、不安を含んだ空気だった。
(……なんだろう。)
団員たちは笑っていた。
「今日が千秋楽だぞ」
「この町は盛況だったな」
「きっとあの子も来てくれる」
そう言い合いながら、リハーサルの準備を進めていた。
けれど、バーニーは違和感を拭えなかった。
控えテントの奥で、風がいつもより冷たく感じた。
ステージに出る時間が近づく。
舞台袖から、ざわざわと観客の声が聞こえてきた。
そこに、いつかの匂いが混ざっていた。
(あの子……来てる。)
彼女の匂いは甘くて、やさしい。
汗と髪と、少し花の香りのような何か。
それが混じった匂いが、風に乗ってバーニーの鼻をくすぐった。
今日も来てくれたのだ。
彼は気持ちを切り替え、ステージの玉の上に乗った。
団員が照明をチェックし、司会者がマイクを握る。
「さあ、皆さん! 本日のクライマックス!
おなじみ、我らが誇る芸達者グリズリー!
“バーニー”の登場です!」
歓声が上がる。
照明が一斉に点灯する。
しかし──そのうちの一つが、激しくチカチカと瞬いた。
パチッ。
バチン。
(……?)
一瞬、照明が落ちた。
次の瞬間、天井からギシリと金属の悲鳴のような音が響いた。
「なに?」
「……天井?」
ざわつき始める観客。
調教師が何か叫ぶ。
舞台裏が動き出す。
バーニーは玉に乗ったまま、観客席を見た。
前列──左端。
彼女がいた。
栗色のツインテール。赤いワンピース。
小さな体で、今日も笑っていた。
しかし──その真上で、巨大な鉄骨が軋みながら傾き始めていた。
(だめだ──!)
考えるより早く、バーニーは玉を飛び降りた。
四肢で床を蹴り、一直線に少女のもとへ走る。
観客が叫ぶ。
団員が走る。
鉄骨がゆっくりと落ちてくる。
(まにあえ──!)
バーニーは、少女を前足ですくい上げるようにして、その身に抱いた。
そして、自分の背を──鉄骨の下へ差し出した。
轟音。
鈍い衝撃。
痛み。
背中が裂けるような衝撃が走る。
骨が軋み、皮が破れ、熱いものが背を流れた。
しかし、少女は無事だった。
バーニーの胸に抱かれて、目を見開き、涙を浮かべていた。
(……よかった。)
視界が滲んでいく。
光が遠くなる。
音が鈍くなる。
少女が泣きながら彼の顔を見ていた。
その声は聞こえなかったが、唇の動きで分かった。
「ありがとう……バーニー……!」
(泣かないで。……君が、無事で……よかったんだ。)
まぶたが重くなる。
意識が、深く深く沈んでいく。
(……もう、拍手は……聞こえないや……。)
静寂。
冷たさ。
やがて、すべてが真っ白な光に包まれていく。
──そのとき。
「──その魂に、祝福を。」
どこかで、声が響いた。
荘厳で、深く、優しい声だった。
「よくぞ、その命を賭して、他者を守った。」
「その心、我が見届けた。」
視界が開ける。
そこはどこでもない空間だった。
光に満ちた空。音のない世界。
浮遊しているような感覚。
目の前に、光の人影が立っていた。
輪郭は不明瞭だが、温かい存在。
その声が、直接心に届く。
「バーニー。否──新たなる名を授けられし者よ。」
「そなたに、異世界の調停者としての使命を託す。」
(……調停者?)
「この世界とは別の場所に、秩序を失い、争いに支配された地がある。」
「そなたの“力”と“優しき心”が、その世界に必要だ。」
光が、バーニーの体を包んだ。
心が、熱を帯びる。
知恵の火が灯る。
かつてなかった感覚が、次々と芽吹いていく。
「言葉を理解する力を授けよう。」
「しかし、“語る力”は、一部に限られるであろう。」
「その不完全さこそ、そなたにとって“鍵”となる。」
(……そうか。わかった。)
「新たなる名は──バルト。」
その名が、心に刻まれた。
光が強くなる。
全身が、意志を持って生まれ変わっていく。
(ありがとう、神様。僕は──)
──守れるなら。
また誰かの笑顔を見られるなら。
たとえ言葉が通じなくても、心が伝わるなら。
ぼくは──何度でも、命を賭ける。
(今度こそ、誰も失わない。)
──バルトは、異世界の森に降り立つ。
サーカステントの天幕の外は曇り空。
冬の足音がすぐそこまで迫っていた。
バーニーは、少しだけ落ち着かない気持ちでいた。
朝からいつもと違う匂いが漂っていた。
鉄の匂い。油の匂い。古びた金属が軋むような、不安を含んだ空気だった。
(……なんだろう。)
団員たちは笑っていた。
「今日が千秋楽だぞ」
「この町は盛況だったな」
「きっとあの子も来てくれる」
そう言い合いながら、リハーサルの準備を進めていた。
けれど、バーニーは違和感を拭えなかった。
控えテントの奥で、風がいつもより冷たく感じた。
ステージに出る時間が近づく。
舞台袖から、ざわざわと観客の声が聞こえてきた。
そこに、いつかの匂いが混ざっていた。
(あの子……来てる。)
彼女の匂いは甘くて、やさしい。
汗と髪と、少し花の香りのような何か。
それが混じった匂いが、風に乗ってバーニーの鼻をくすぐった。
今日も来てくれたのだ。
彼は気持ちを切り替え、ステージの玉の上に乗った。
団員が照明をチェックし、司会者がマイクを握る。
「さあ、皆さん! 本日のクライマックス!
おなじみ、我らが誇る芸達者グリズリー!
“バーニー”の登場です!」
歓声が上がる。
照明が一斉に点灯する。
しかし──そのうちの一つが、激しくチカチカと瞬いた。
パチッ。
バチン。
(……?)
一瞬、照明が落ちた。
次の瞬間、天井からギシリと金属の悲鳴のような音が響いた。
「なに?」
「……天井?」
ざわつき始める観客。
調教師が何か叫ぶ。
舞台裏が動き出す。
バーニーは玉に乗ったまま、観客席を見た。
前列──左端。
彼女がいた。
栗色のツインテール。赤いワンピース。
小さな体で、今日も笑っていた。
しかし──その真上で、巨大な鉄骨が軋みながら傾き始めていた。
(だめだ──!)
考えるより早く、バーニーは玉を飛び降りた。
四肢で床を蹴り、一直線に少女のもとへ走る。
観客が叫ぶ。
団員が走る。
鉄骨がゆっくりと落ちてくる。
(まにあえ──!)
バーニーは、少女を前足ですくい上げるようにして、その身に抱いた。
そして、自分の背を──鉄骨の下へ差し出した。
轟音。
鈍い衝撃。
痛み。
背中が裂けるような衝撃が走る。
骨が軋み、皮が破れ、熱いものが背を流れた。
しかし、少女は無事だった。
バーニーの胸に抱かれて、目を見開き、涙を浮かべていた。
(……よかった。)
視界が滲んでいく。
光が遠くなる。
音が鈍くなる。
少女が泣きながら彼の顔を見ていた。
その声は聞こえなかったが、唇の動きで分かった。
「ありがとう……バーニー……!」
(泣かないで。……君が、無事で……よかったんだ。)
まぶたが重くなる。
意識が、深く深く沈んでいく。
(……もう、拍手は……聞こえないや……。)
静寂。
冷たさ。
やがて、すべてが真っ白な光に包まれていく。
──そのとき。
「──その魂に、祝福を。」
どこかで、声が響いた。
荘厳で、深く、優しい声だった。
「よくぞ、その命を賭して、他者を守った。」
「その心、我が見届けた。」
視界が開ける。
そこはどこでもない空間だった。
光に満ちた空。音のない世界。
浮遊しているような感覚。
目の前に、光の人影が立っていた。
輪郭は不明瞭だが、温かい存在。
その声が、直接心に届く。
「バーニー。否──新たなる名を授けられし者よ。」
「そなたに、異世界の調停者としての使命を託す。」
(……調停者?)
「この世界とは別の場所に、秩序を失い、争いに支配された地がある。」
「そなたの“力”と“優しき心”が、その世界に必要だ。」
光が、バーニーの体を包んだ。
心が、熱を帯びる。
知恵の火が灯る。
かつてなかった感覚が、次々と芽吹いていく。
「言葉を理解する力を授けよう。」
「しかし、“語る力”は、一部に限られるであろう。」
「その不完全さこそ、そなたにとって“鍵”となる。」
(……そうか。わかった。)
「新たなる名は──バルト。」
その名が、心に刻まれた。
光が強くなる。
全身が、意志を持って生まれ変わっていく。
(ありがとう、神様。僕は──)
──守れるなら。
また誰かの笑顔を見られるなら。
たとえ言葉が通じなくても、心が伝わるなら。
ぼくは──何度でも、命を賭ける。
(今度こそ、誰も失わない。)
──バルトは、異世界の森に降り立つ。
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