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第1章:「異世界の空、初めての戦場」
第7話「追撃の夜、魔族の眼」
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森が、動いた。
風はない。月も雲に隠れている。だが、確かに“何か”が揺れた。
剛は、その気配にすぐ気づいた。
前回の任務で覚えた感知魔法が、彼の皮膚を這うようにざわついている。
(いる……どこか近くに。普通の動物じゃない)
カスレの森。潜伏任務二日目の夜。
斥候隊は魔族の潜伏地の特定に成功し、今はその監視任務に移っていた。
本隊とは少し離れた位置に、剛と数名の斥候兵が待機している。
グレイは別のルートからの追尾を指揮しており、リアも支援班にまわっていた。
剛はその一角、見張りの交代時間に、わずかな独りの時間を与えられていた。
――その時だった。
背後から、草を踏む音がした。
小さな、しかし紛れもない足音。
「誰だ……!」
剛は反射的に剣を抜いた。鋼の刃が月明かりを受けて一瞬光る。
振り返ると、そこに立っていたのは――
一人の青年だった。
人間とよく似た姿。やや褐色の肌。肩まで流れる黒髪。
目は鮮やかな琥珀色。静かで、冷たい光を湛えている。
だが、何よりも印象的だったのは、その眼差しだった。
それは“言葉を持った者の眼”だった。
野生の魔獣ではない。理性と知性を持った、“誰か”の瞳。
「……魔族、か?」
剛がそう尋ねると、青年はふっと微笑んだ。
「君の反応は、前の“勇者”とは違うな。もっと躊躇なく斬りかかってきたものだ」
「……知ってるのか、タケルを?」
「もちろんだ。“英雄タケル”の名は、我々にとっても特別な響きだよ」
その口調は穏やかだった。
まるで長く知り合いだった友人と話しているかのように、青年は自然体で話し続ける。
「お前、何者だ……。名前は?」
「それを聞くのか? 勇者殿」
「……聞かせてくれ」
「――“ノア”。魔王軍、第八参謀隊所属。君たちの言う“残党”のひとり、ということになるかな」
剛は目を細めた。
敵、のはずだ。けれど、彼の言葉に攻撃性はない。
むしろ、どこか諦念と皮肉が混じったような、疲れた戦士のような響きだった。
「なぜ、俺の前に現れた?」
「偶然だよ。感知の術に反応した。だが、これは好機かもしれないと思ってな」
「好機……?」
「君と話すことで、“今の勇者”がどういう存在かを知ることができるからだ」
剛は警戒を解かなかったが、攻撃の意志がないことは明らかだった。
それでも距離は保ったまま、ゆっくりと言葉を返す。
「戦いたくないのか?」
「“戦争”は命令だ。だが、“殺すこと”は個人の選択だ」
「……それが、魔族の考え方なのか?」
「違う。俺個人の意見だ。だが、こうして言葉を交わせる魔族もいると、覚えておくといい」
ノアは夜の空を見上げ、ぽつりと呟くように言った。
「我々は、“生き延びる”ために戦っている。君たちが、我らの土地を“浄化”と称して奪っていく限り、我々は武器を捨てられない」
「土地を……?」
「“魔族”というだけで、村ごと焼かれ、子を殺され、命を奪われてきた。その現実を知ってなお、君は“勇者”でいられるか?」
その言葉は、剛の胸を突いた。
リアからも聞かされていない、魔族側の現実。
それは、今まで“討伐対象”としか見られてこなかった者たちの、確かに生きた人生だった。
「君は、タケルではないな」
その言葉に、剛は一瞬息を呑んだ。
だがノアは、続けて微笑んだ。
「……目を見れば分かる。“殺す覚悟”を知っている目じゃない。あの男は、目を曇らせずに剣を振れる人間だった」
「……俺は、タケルじゃない」
剛は、ぽつりと呟いた。
だがすぐに、それを訂正するように続ける。
「でも……この世界で、“誰かを守りたい”って気持ちは、本物だ。俺は、俺のままで、それを選びたい」
ノアはしばし黙っていたが、やがてふっと目を細めた。
「面白い。“勇者”が、初めて“人間”に見えたよ」
そのとき――風が一気に吹き抜けた。
それは感知魔法の警戒が作動した合図でもあった。
剛が反射的に構えると、ノアは軽く身を引いた。
「話はここまでだ。また、戦場で会おう。勇者ではない“君”としての答えを、その時聞かせてくれ」
ノアは音もなく闇に溶けた。
剛はその場に立ち尽くしたまま、手の中の剣の重みを感じていた。
(敵だ。でも……敵じゃなかった)
(俺は、“戦ってる相手”のことを何も知らなかった)
その夜、陣地に戻った剛を迎えたのは、リアだった。
「何かあった?」
「……いや、ただ、風が変わっただけだよ」
剛はそう言って笑った。
けれど、彼の瞳は確かに、何かを見つめ始めていた。
正義と悪、勇者と魔王、敵と味方。
それらが、思っていたほど単純ではないという現実。
その夜、剛の中に芽生えた疑問は、確かに彼の“勇者”としての在り方を揺さぶり始めていた。
風はない。月も雲に隠れている。だが、確かに“何か”が揺れた。
剛は、その気配にすぐ気づいた。
前回の任務で覚えた感知魔法が、彼の皮膚を這うようにざわついている。
(いる……どこか近くに。普通の動物じゃない)
カスレの森。潜伏任務二日目の夜。
斥候隊は魔族の潜伏地の特定に成功し、今はその監視任務に移っていた。
本隊とは少し離れた位置に、剛と数名の斥候兵が待機している。
グレイは別のルートからの追尾を指揮しており、リアも支援班にまわっていた。
剛はその一角、見張りの交代時間に、わずかな独りの時間を与えられていた。
――その時だった。
背後から、草を踏む音がした。
小さな、しかし紛れもない足音。
「誰だ……!」
剛は反射的に剣を抜いた。鋼の刃が月明かりを受けて一瞬光る。
振り返ると、そこに立っていたのは――
一人の青年だった。
人間とよく似た姿。やや褐色の肌。肩まで流れる黒髪。
目は鮮やかな琥珀色。静かで、冷たい光を湛えている。
だが、何よりも印象的だったのは、その眼差しだった。
それは“言葉を持った者の眼”だった。
野生の魔獣ではない。理性と知性を持った、“誰か”の瞳。
「……魔族、か?」
剛がそう尋ねると、青年はふっと微笑んだ。
「君の反応は、前の“勇者”とは違うな。もっと躊躇なく斬りかかってきたものだ」
「……知ってるのか、タケルを?」
「もちろんだ。“英雄タケル”の名は、我々にとっても特別な響きだよ」
その口調は穏やかだった。
まるで長く知り合いだった友人と話しているかのように、青年は自然体で話し続ける。
「お前、何者だ……。名前は?」
「それを聞くのか? 勇者殿」
「……聞かせてくれ」
「――“ノア”。魔王軍、第八参謀隊所属。君たちの言う“残党”のひとり、ということになるかな」
剛は目を細めた。
敵、のはずだ。けれど、彼の言葉に攻撃性はない。
むしろ、どこか諦念と皮肉が混じったような、疲れた戦士のような響きだった。
「なぜ、俺の前に現れた?」
「偶然だよ。感知の術に反応した。だが、これは好機かもしれないと思ってな」
「好機……?」
「君と話すことで、“今の勇者”がどういう存在かを知ることができるからだ」
剛は警戒を解かなかったが、攻撃の意志がないことは明らかだった。
それでも距離は保ったまま、ゆっくりと言葉を返す。
「戦いたくないのか?」
「“戦争”は命令だ。だが、“殺すこと”は個人の選択だ」
「……それが、魔族の考え方なのか?」
「違う。俺個人の意見だ。だが、こうして言葉を交わせる魔族もいると、覚えておくといい」
ノアは夜の空を見上げ、ぽつりと呟くように言った。
「我々は、“生き延びる”ために戦っている。君たちが、我らの土地を“浄化”と称して奪っていく限り、我々は武器を捨てられない」
「土地を……?」
「“魔族”というだけで、村ごと焼かれ、子を殺され、命を奪われてきた。その現実を知ってなお、君は“勇者”でいられるか?」
その言葉は、剛の胸を突いた。
リアからも聞かされていない、魔族側の現実。
それは、今まで“討伐対象”としか見られてこなかった者たちの、確かに生きた人生だった。
「君は、タケルではないな」
その言葉に、剛は一瞬息を呑んだ。
だがノアは、続けて微笑んだ。
「……目を見れば分かる。“殺す覚悟”を知っている目じゃない。あの男は、目を曇らせずに剣を振れる人間だった」
「……俺は、タケルじゃない」
剛は、ぽつりと呟いた。
だがすぐに、それを訂正するように続ける。
「でも……この世界で、“誰かを守りたい”って気持ちは、本物だ。俺は、俺のままで、それを選びたい」
ノアはしばし黙っていたが、やがてふっと目を細めた。
「面白い。“勇者”が、初めて“人間”に見えたよ」
そのとき――風が一気に吹き抜けた。
それは感知魔法の警戒が作動した合図でもあった。
剛が反射的に構えると、ノアは軽く身を引いた。
「話はここまでだ。また、戦場で会おう。勇者ではない“君”としての答えを、その時聞かせてくれ」
ノアは音もなく闇に溶けた。
剛はその場に立ち尽くしたまま、手の中の剣の重みを感じていた。
(敵だ。でも……敵じゃなかった)
(俺は、“戦ってる相手”のことを何も知らなかった)
その夜、陣地に戻った剛を迎えたのは、リアだった。
「何かあった?」
「……いや、ただ、風が変わっただけだよ」
剛はそう言って笑った。
けれど、彼の瞳は確かに、何かを見つめ始めていた。
正義と悪、勇者と魔王、敵と味方。
それらが、思っていたほど単純ではないという現実。
その夜、剛の中に芽生えた疑問は、確かに彼の“勇者”としての在り方を揺さぶり始めていた。
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