境界人たち

naomikoryo

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零話:きさらぎ駅・記録

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都市伝説というものは、最初から「伝説」の顔をして現れるわけではない。
大抵は、誰かの曖昧な体験談として、掲示板の片隅に投げ捨てられる。
それが偶然、拾われる。
面白がられる。
検証される。
否定される。
否定しきれない部分だけが残り、やがて「型」になる。
そして型になったものは、たとえ真偽が曖昧でも、人を連れていく力を持つ。

「きさらぎ駅」も、その類だ。
検索すれば出てくる。
まとめサイトがある。
動画もある。
地図上の候補地まで語られる。
だが、面白半分で覗いていた者ほど、途中から笑えなくなる。
それは内容が怖いからだけではない。
この話が、妙に「現実の手触り」を残しているからだ。

発端は、深夜の投稿だったと言われている。
終電を逃した。
普段乗り慣れている路線に乗った。
気づけば、車内の空気がいつもと違った。
外の景色が流れない。
停車する駅の名前が見慣れない。
乗客がいない。
車掌のアナウンスがない。
そういう細部の積み重ねが、読んでいるこちらの神経をじわじわ削ってくる。

決定的なのは、「駅名」だ。
きさらぎ。
漢字でどう書くのかは語られない場合もある。
ひらがなだった、という話もある。
ただ、音だけが残る。
きさらぎ。
季節の呼び名のようで、個人名のようで、駅名らしくもある。
それが不気味にちょうどいい。

そして、ここから先が「型」になる。
きさらぎ駅の話は、いくつかの定番の要素を持つ。
読み手は最初、創作のテンプレートだと思う。
だが、テンプレートにしては生々しい。
妙に手順が具体的なのだ。

例えば、こうだ。
降りてはいけない。
駅の外へ出てはいけない。
線路沿いを歩いてはいけない。
知らない人についていってはいけない。
振り返ってはいけない。
名前を呼ばれても返事をしてはいけない。

(子どもの頃に聞いた「夜道の言いつけ」に似ている。)
(でも、似ているからこそ怖い。)
(言いつけは大抵、何かが起きた後に作られる。)

きさらぎ駅の投稿が面白いのは、体験者が「実況」めいた形で書き込む点にある。
いま駅にいる。
いまホームだ。
いま外へ出た。
いま線路を歩いている。
いま遠くで太鼓みたいな音がする。
いま誰かがいる。
いま携帯の電波が弱い。
いま電池が減っている。

読者はページをめくる手を止められない。
止められない理由は単純だ。
「この人は帰れるのか」を知りたいからではない。
「次に何が来るのか」を、予感してしまうからだ。

きさらぎ駅には、駅員が出ることがある。
顔がよく見えない。
表情がない。
帽子の影で目が落ちている。
制服が時代遅れに見える。
そして、足がない、という語りが混ざる。
足がないのではなく、片足だけが欠けている、と言う者もいる。
どちらにせよ、身体の欠落が「駅」という場所と噛み合ってしまう。
ホームと線路は、人を落とすためにあるわけではないのに。

さらに、鈴の音が語られる。
チリン。
チリン。
改札の鈴か。
神社の鈴か。
踏切の警報とは違う。
小さくて、乾いていて、やけに近い。
投稿ではしばしば、その音が「合図」のように扱われる。
何かが始まる合図。
あるいは、何かに見つかった合図。

(合図は本来、味方に送るものだ。)
(でも、合図が敵のために鳴ることだってある。)

きさらぎ駅を読んだ人間が一度は想像するのが、「もし自分だったら」だ。
誰もいない深夜のホーム。
知らない駅名。
風の匂いが違う。
広告が読めない。
電光掲示板が点滅しているのに、時刻表が表示されない。
自販機があるのに、光っていない。
線路の先が闇に吸われている。
改札の向こうが、街ではなく真っ黒な空洞に見える。

そのとき、あなたは何をするか。
戻ろうとする。
駅員に聞こうとする。
スマホで検索する。
誰かに電話する。
位置情報を確認する。
電車が来るのを待つ。
線路沿いに歩けば次の駅に行けると思ってしまう。

きさらぎ駅の怖さは、その「判断」がことごとく、こちらの常識を利用している点だ。
現実では正しい行動が、あちらでは罠になる。
待つのが正しいかもしれない。
動くのが正しいかもしれない。
だが、どちらを選んでも、選んだ瞬間に「選ばされた」感じが残る。
まるで最初から、正解がこちらの手に渡っていないような。

話が広まるにつれ、派生も増えた。
同じ駅に行ったという人。
似たような駅に行ったという人。
駅名だけが違う人。
帰れたという人。
帰れなかったという人。
途中で投稿が途切れた人。
その後、別人がそのアカウントを使い始めたという噂。

検証勢も現れる。
地名を探す。
線路の形を照合する。
方言を拾う。
投稿時間のズレを疑う。
創作だと断言する。
だが、どれだけ断言しても、最後に残る感触がある。
「創作にしては、怖がらせ方が上手すぎる」という感触だ。
怖がらせ方が上手すぎるものは、しばしば、作者が一番怖がっている。
そして、怖がっている人間が書く文章には、妙な焦りが混じる。

焦りが混じる文章は、伝染する。
読者に、焦りを移す。
焦りを移された読者は、次の読者に話す。
そうして、噂は呼吸を始める。

きさらぎ駅の定番には「帰還」がある。
気づいたら、地元の駅のベンチにいた。
朝になっていた。
誰にも信じてもらえなかった。
だが、その後から世界が少しズレた。

駅の階段が違う。
看板の文字が違う。
友人の記憶が違う。
自分の記憶だけが、置いていかれたようだ。

ここまで来ると、きさらぎ駅は単なる「怖い話」ではない。
異界に行く話でもない。
異界から帰ってくる話だ。
帰ってきたあと、日常が壊れ始める話だ。

つまり、読んだ瞬間に刺さる。
「帰ってきたのは本当に自分か」と。
「ここは本当に元の場所か」と。
そんな疑いは、普段の生活では役に立たない。
役に立たない疑いほど、人を内側から壊す。

(疑いは、確信より長生きする。)
(確信は、外から折られる。)
(疑いは、内側で増える。)

きさらぎ駅の情報には、妙な「誘い文句」が混ざることがある。
探しているなら行ける。
気にしているなら近づく。
話題にしたら寄ってくる。
夢に出たら危ない。
名前を呼ばれたら終わり。

もちろん、どれも根拠は薄い。
だが、根拠が薄いからこそ厄介だ。
否定しても、否定の言葉が「話題にした」という事実だけを残す。
話題にした事実だけが、どこかへ飛んでいく。

だから、古いまとめには、最後にこう書かれていたりする。
「読んだら忘れろ」。
「調べるな」。
「位置を特定するな」。
「面白がるな」。

そして、こうも。
「もし行ってしまったら、帰り道を探すな」。
「帰ることだけを考えろ」。
「自分の名前を確かめろ」。

自分の名前を確かめろ。
それは一見、気休めに見える。
だが、気休めにしては具体的だ。
まるで、実際に名前を失いかけた人間が書いたみたいに。

きさらぎ駅は、今日もネットの海で漂っている。
誰かが語れば、浮上する。
誰かが笑えば、軽くなる。
誰かが怖がれば、重くなる。
そして重くなった噂は、ふとした拍子に、現実の隙間へ沈んでいく。

深夜。
終電。
酔い。
うたた寝。
気づけば、見知らぬ駅。
駅名は、きさらぎ。

ここまで読んだあなたは、もう一度だけ確認したほうがいい。
いま、自分のいる駅の名前を。
いま、自分の名字を。
いま、鏡に映る目が、自分のものかを。

チリン。
チリン。

どこかで鈴が鳴った気がしても、振り返らないほうがいい。
それが本当に音だったのかどうかを、確かめる術はない。
確かめようとした瞬間から、話はあなたの番になる。
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