澪のかたち

naomikoryo

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【第4話】実験データの闇

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午前二時。

研究室の蛍光灯が静かに唸っていた。

無人のフロアに、ただ一人。

俺はディスプレイに浮かぶ膨大な数値とグラフを、じっと睨んでいた。

冷たいブラックコーヒーが、机の端に放置されている。

(間違いない……このデータ、何かがおかしい)

プロジェクト「エスラミン」。

脳内神経伝達物質に干渉し、記憶形成を“修復・強化”するという次世代型の精神医療薬。

その臨床前試験データを数ヶ月前から密かに調査していたが、今日ついに決定的な“不一致”を発見した。

(被験者04、05、07……)

どのログも、数値が理論的すぎる。

乱数のばらつきが少なすぎるのだ。

まるであらかじめ用意された“理想的な反応”を貼り付けたようなグラフ。

とりわけ「被験者07」
――澪に関連すると思われるデータには、極めて特異な挙動が記録されていた。

「自己再帰性」「記憶再構築の自律的反応」「感情反応の同期曲線」

そんな用語がずらりと並ぶ。

(こんな言葉、正式な臨床記録ではまず見かけない)

(誰が書いた?)

(そして、なぜこのデータを残した?)

俺はファイル構成の履歴ログを遡った。

そこにはひとつ、目を疑うような文言があった。

「改ざん実施ログ:Kambara_TY」

神原泰親
――本部長のアカウントだ。

(やっぱり……)

背筋が、粟立つように震えた。

(この男が“改ざん”を主導していた)

エスラミンの開発は、元々は“精神疾患の症状を和らげる”ことが目的だったはずだ。

だが今見ている実験ログは、「記憶の操作」「感情の再定義」「人格の統合」など、人間の意識構造そのものに干渉する内容にすり替わっている。

(これはもう、“医療”じゃない)

(人間の脳を……書き換えている)

USBメモリに手を伸ばし、最新ログを保存する。

その瞬間、廊下からかすかな足音が聞こえた。

(……誰かいる)

息を止める。

足音は、ゆっくりと近づいてくる。

ガラス越しにぼんやりと見える人影。

誰かが、研究室の前で立ち止まった。

ドアの鍵は閉めてある。

だがノックもせず、ただ、そこに立ち尽くしている。

(監視か……?)

(それとも、また“彼女”か?)

数十秒。

その影は、静かに去っていった。

俺は肩で荒く息を吐く。

手のひらが、汗でじっとり濡れていた。

◇◆◇

翌日。

神原本部長が、朝から会議室にこもっていた。

関係者以外立ち入り禁止。警備員までついている。

何か大きな動きがある
――そんな空気がフロアを包んでいた。

(情報統制が強まってる)

(俺が抜き出したログに気づいたか?)

俺は静かに社内ネットワークへアクセスを開始する。

“SystemAccess_AltKey”
――非常時用に自作した管理ルート。

そこから、神原のメールボックスへ。

機密性の高いスレッドには、外部の名前が並んでいた。

「CRESTBIOSYS・冴木玲央」
「SHIRASU CONSULTING」
「Protocol E-MN Transfer」

(……冴木?)

この名前には見覚えがある。

社内の裏噂で出てくる、裏ルートのデータブローカー。

共同研究企業の中に、裏社会の手先が入り込んでいるという疑惑が現実味を帯びてきた。

(つまり……このプロジェクトは最初から“売るため”のものだった)

企業の“開発”ではない。

誰かに“渡すため”の技術。

そしてその対象は
――記憶。

(澪……お前は、売られる側なのか?)

◇◆◇

その日の夕方。

澪が、俺のデスクを訪れた。

「……如月さん、今日、少し時間ありますか?」

「どうかしたか?」

「相談したいことがあって」

俺は一瞬、躊躇した。

だが、澪の表情が
――どこか助けを求めるように見えた。

◇◆◇

午後五時過ぎ、外は雨が降っていた。

研究棟の屋上。
社員のほとんどが帰宅した時間帯。

澪は、傘も差さずに空を見上げていた。

雨粒が、彼女の肩を静かに濡らしている。

「……私、変なんです」

彼女は言った。

「夢と現実の区別が、最近つかなくて」

「朝起きると、昨日の記憶が消えてることがあるんです。
でも、代わりに“違う誰か”の記憶があるんです」

俺は喉を詰まらせた。

(違う誰かの記憶……?)

「しかも、それがすごく――懐かしいんです」

「昔の風景とか、人の顔とか。
知らないはずなのに、泣きたくなるくらい懐かしい」

「その人が笑うと、私も笑ってしまって。
怖いのに、どうしようもなく、嬉しくて……」

澪の目が、俺をまっすぐに見つめていた。

(やめろ……その目は、あのときの由衣と同じだ)

彼女は雨に濡れた髪を、無意識に耳の後ろへかけた。

その仕草まで
――あまりにも、同じだった。

その夜、再びUSBメモリを確認すると、保存されていたログファイルのひとつに、新しいフォルダが追加されていた。

【MN-Prototype-Mirror】

明らかに俺の知らない名前。

開くと、そこには**“記憶ミラーリング”**という言葉が並んでいた。

《記憶ミラーリングとは、被験者Aの記憶情報を、他者(被験者B)へ意図的に“同期”させる技術である。
目的は、記憶の代替継承、人格連動、感情模写。
条件:高濃度エスラミン投与+ニューロ信号同調下における記憶の受容素質の高い対象に限る。》

(……由衣の記憶を、澪に……?)

(そんなことが、できるのか……?)

ファイルの最下部に、記述があった。

《初期試験記録:MN_01 → 終了(対象消滅)
MN_02 → 終了(記憶混濁)
MN_03 → 異常反応(データ封鎖)
MN_04 → 安定進行中(現対象)》

その後ろに、ひとつだけ名前が記されていた。

「葉山 澪」

気づけば、頭がぐらりと傾いた。

視界が歪み、脳の奥に冷たい手が差し込まれたような錯覚。

USBメモリを握る手が汗ばみ、膝がわずかに震えていた。

(澪は……“誰か”の記憶を、なぞって生きている)

(それは、由衣の……)

「如月さん」

背後から声がした。

澪が、研究室のドアの前に立っていた。

「……大丈夫ですか? 顔色、悪いです」

彼女の顔は、いつも通りだった。

だが、俺にはその中に別の人格が見えてしまった。

(俺は今、誰と話してる?)

(葉山澪か? それとも――)

夜が、ゆっくりと深くなっていく。

USBメモリに記された数々の“闇”。

由衣の死の背後にあった、“記憶の売買”。

そして、笑顔の裏に潜む、澪の“空白”。

もう逃げられない。

俺は今、取り返しのつかない扉の前に立っている。

その扉を開ければ、もう二度と、元の世界には戻れない。

でも、どうしても、開けずにはいられない。

――この女の、正体を知るために。
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