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【第6話】データブローカー
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金曜の夜、研究棟の廊下はほとんど無人だった。
照明が落ち、自動ドアの駆動音すら止まったフロアを、尚也は一人歩いていた。
ポケットには、例のUSBメモリ。
記憶のミラーリング、澪の被験記録、由衣の音声データ――
(これを持っている限り、俺はもう“研究員”じゃない)
(完全に……標的だ)
彼は自分の靴音に耳を澄ませながら、非常階段を使って1階の裏口へと向かった。
深夜、守衛の視線を避けるルートは限られている。
こうして抜け出すのも、これで何度目になるだろう。
(USBを、別の場所に隠さなければ)
(家も会社も、もう信用できない)
◇◆◇
自転車置き場の死角に差し掛かったとき、背後から誰かの気配がした。
一瞬、足が止まる。
「よう、如月さん」
低く抑えた男の声だった。
振り向くと、街灯の陰から男が一人現れた。
革のジャケット。
鋭く切れ込んだ目。
頬の骨が浮き出て、何かを噛み締めるように口元が吊り上がっている。
(誰だ……)
「名乗らなくてもわかるだろう。お前が探ってる“裏の方”の人間さ」
「冴木……玲央」
その名を口にしたとたん、男の目が薄く笑った。
「USB、持ってるな?」
尚也の背筋が、氷のように冷たくなった。
「……なんの話だ」
「下手な芝居はやめろ」
「お前が抜き出したログ、エスラミンの記録、澪のデータ……ぜんぶ、その中にある」
「俺の“客”が欲しがってるのは、その情報なんだよ」
冴木はポケットから、銀色のZIPPOを取り出した。
火を灯しながら、まるで気にも留めていないような仕草で話す。
「言っとくが、これは“ビジネス”だ」
「俺はお前を殺したいわけじゃない。ただな、そのデータが市場に出回る前に、手に入れなきゃならない」
「それだけだ」
尚也は足を半歩引いた。
緊張が膝に伝わり、立ったまま呼吸のリズムが狂っていく。
(こいつは、ただのブローカーじゃない)
(目が……人間の目じゃない)
「逃げても無駄だぞ、如月さん。君、もう何人か“消えた”の、知ってるか?」
「プロジェクト関係者で、内部告発の兆候があった人間。
三人――全員、不審死だ」
「今朝のニュース、見てないのか?」
冴木はスマホを取り出し、画面を見せた。
そこには、尚也の元同僚であり、かつて同じ開発班にいた男――柚木和真の名前が、ニュース速報として表示されていた。
《研究員・柚木和真、都内ホテルで死亡 薬物の過剰摂取か》
(……柚木)
昨日、USBの複製について話したばかりだった。
(殺された……?)
(俺と話した翌日に?)
「次は、お前かもしれない」
「でもな――俺は、選ばせてやる」
「そのデータ、俺に渡せ。そうすれば……お前も、澪も、無事でいられる」
「いい条件だと思うがな?」
(澪まで、知っている)
(こいつ……最初から“澪を狙って”プロジェクトに関わってる)
尚也は、言葉を飲み込んだまま、強くUSBを握った。
「……どうして、お前たちは彼女を狙う」
「彼女はただの研究アシスタントだ。記憶を移植された“被験体”だとしても――人間なんだぞ」
冴木は笑った。
その笑いに、血の通った感情はひとかけらもなかった。
「人間?」
「お前は未だに、“人間”って言葉に価値を置いてるのか」
「澪はな、“記憶媒体”だよ。
最新型の、生体記憶ホルダー。魂のレプリカ。
その価値は、下手すりゃ一国の機密情報より重い」
「お前、気づいてないだろ?」
「澪の中には、“他人の記憶”だけじゃなく、“お前の記憶”も一部、混ざってんだよ」
「それが“予期せぬ副作用”ってやつさ」
(……俺の記憶?)
(まさか)
「由衣が死ぬ前に、自分の記憶の一部を澪に移植した」
「だけどそれだけじゃ足りなかった。
記憶ってのは、単なるデータじゃない。
“感情”や“関係性”がセットでなけりゃ、ただの無意味な断片だ」
「お前との記憶。
一緒にいた時間。
愛した記憶――それらがあって初めて、“澪の中の由衣”は完成する」
「それを、お前自身が、知らず知らずのうちに――“与えた”んだよ」
頭の中が真っ白になった。
今まで感じていた澪との奇妙な“繋がり”。
仕草や言葉が重なっていく理由。
夢の中にまで侵食してくる、由衣の存在。
(俺の感情が……澪の中に流れ込んでる?)
(それが由衣の“願い”だった?)
(それとも……誰かが、最初から計画していた?)
「なあ、如月さん」
「お前、このまま“正義”気取って死にたいか?」
「それとも、俺と手を組んで、真相を暴きたいか?」
冴木は一歩、近づいてきた。
肩越しに、タバコの煙が流れてくる。
その視線は、まるで答えを強要するかのように、鋭く突き刺さる。
尚也は沈黙のまま、視線を逸らさずに言った。
「俺は……“あの子”を守る」
「たとえそれが、由衣の記憶でできた幻でも――彼女が自分で生きようとしてるなら、それを壊す権利は誰にもない」
冴木は短く息を吐いて、笑った。
「なら――お前も“敵側”だな」
「覚悟しろ。如月」
「次に会うとき、お前の選択がどうなってるか、楽しみにしてるぜ」
そう言い残して、冴木は闇の中へと消えていった。
靴音が遠ざかると、代わりに雨の音が耳に満ちた。
まだポケットの中にあるUSBが、熱を持っているように感じられる。
(澪の中に、由衣がいて)
(そして俺の記憶までもが、そこに宿っている)
(それでも、あの子は“他人”じゃない)
(でも――“由衣”でもない)
(俺は何を信じるべきだ?)
◇◆◇
深夜、帰宅すると、テーブルの上に小さなメモが置かれていた。
《今夜、また夢で会いましょう。
でも、もし夢が嘘なら――現実であなたを見つけて》
字は、由衣の筆跡に酷似していた。
そして、ベッドルームのドアが、微かに開いていた。
(……誰かが、いる)
扉の向こうに、澪の気配があった。
彼女は、そこに立っていた。
真っ暗な部屋の中、静かに、ただ、立ち尽くしていた。
「如月さん……」
「助けて」
その声は、由衣と澪、二人の声が重なったように聞こえた。
俺の鼓動が、ひとつ、跳ねた。
照明が落ち、自動ドアの駆動音すら止まったフロアを、尚也は一人歩いていた。
ポケットには、例のUSBメモリ。
記憶のミラーリング、澪の被験記録、由衣の音声データ――
(これを持っている限り、俺はもう“研究員”じゃない)
(完全に……標的だ)
彼は自分の靴音に耳を澄ませながら、非常階段を使って1階の裏口へと向かった。
深夜、守衛の視線を避けるルートは限られている。
こうして抜け出すのも、これで何度目になるだろう。
(USBを、別の場所に隠さなければ)
(家も会社も、もう信用できない)
◇◆◇
自転車置き場の死角に差し掛かったとき、背後から誰かの気配がした。
一瞬、足が止まる。
「よう、如月さん」
低く抑えた男の声だった。
振り向くと、街灯の陰から男が一人現れた。
革のジャケット。
鋭く切れ込んだ目。
頬の骨が浮き出て、何かを噛み締めるように口元が吊り上がっている。
(誰だ……)
「名乗らなくてもわかるだろう。お前が探ってる“裏の方”の人間さ」
「冴木……玲央」
その名を口にしたとたん、男の目が薄く笑った。
「USB、持ってるな?」
尚也の背筋が、氷のように冷たくなった。
「……なんの話だ」
「下手な芝居はやめろ」
「お前が抜き出したログ、エスラミンの記録、澪のデータ……ぜんぶ、その中にある」
「俺の“客”が欲しがってるのは、その情報なんだよ」
冴木はポケットから、銀色のZIPPOを取り出した。
火を灯しながら、まるで気にも留めていないような仕草で話す。
「言っとくが、これは“ビジネス”だ」
「俺はお前を殺したいわけじゃない。ただな、そのデータが市場に出回る前に、手に入れなきゃならない」
「それだけだ」
尚也は足を半歩引いた。
緊張が膝に伝わり、立ったまま呼吸のリズムが狂っていく。
(こいつは、ただのブローカーじゃない)
(目が……人間の目じゃない)
「逃げても無駄だぞ、如月さん。君、もう何人か“消えた”の、知ってるか?」
「プロジェクト関係者で、内部告発の兆候があった人間。
三人――全員、不審死だ」
「今朝のニュース、見てないのか?」
冴木はスマホを取り出し、画面を見せた。
そこには、尚也の元同僚であり、かつて同じ開発班にいた男――柚木和真の名前が、ニュース速報として表示されていた。
《研究員・柚木和真、都内ホテルで死亡 薬物の過剰摂取か》
(……柚木)
昨日、USBの複製について話したばかりだった。
(殺された……?)
(俺と話した翌日に?)
「次は、お前かもしれない」
「でもな――俺は、選ばせてやる」
「そのデータ、俺に渡せ。そうすれば……お前も、澪も、無事でいられる」
「いい条件だと思うがな?」
(澪まで、知っている)
(こいつ……最初から“澪を狙って”プロジェクトに関わってる)
尚也は、言葉を飲み込んだまま、強くUSBを握った。
「……どうして、お前たちは彼女を狙う」
「彼女はただの研究アシスタントだ。記憶を移植された“被験体”だとしても――人間なんだぞ」
冴木は笑った。
その笑いに、血の通った感情はひとかけらもなかった。
「人間?」
「お前は未だに、“人間”って言葉に価値を置いてるのか」
「澪はな、“記憶媒体”だよ。
最新型の、生体記憶ホルダー。魂のレプリカ。
その価値は、下手すりゃ一国の機密情報より重い」
「お前、気づいてないだろ?」
「澪の中には、“他人の記憶”だけじゃなく、“お前の記憶”も一部、混ざってんだよ」
「それが“予期せぬ副作用”ってやつさ」
(……俺の記憶?)
(まさか)
「由衣が死ぬ前に、自分の記憶の一部を澪に移植した」
「だけどそれだけじゃ足りなかった。
記憶ってのは、単なるデータじゃない。
“感情”や“関係性”がセットでなけりゃ、ただの無意味な断片だ」
「お前との記憶。
一緒にいた時間。
愛した記憶――それらがあって初めて、“澪の中の由衣”は完成する」
「それを、お前自身が、知らず知らずのうちに――“与えた”んだよ」
頭の中が真っ白になった。
今まで感じていた澪との奇妙な“繋がり”。
仕草や言葉が重なっていく理由。
夢の中にまで侵食してくる、由衣の存在。
(俺の感情が……澪の中に流れ込んでる?)
(それが由衣の“願い”だった?)
(それとも……誰かが、最初から計画していた?)
「なあ、如月さん」
「お前、このまま“正義”気取って死にたいか?」
「それとも、俺と手を組んで、真相を暴きたいか?」
冴木は一歩、近づいてきた。
肩越しに、タバコの煙が流れてくる。
その視線は、まるで答えを強要するかのように、鋭く突き刺さる。
尚也は沈黙のまま、視線を逸らさずに言った。
「俺は……“あの子”を守る」
「たとえそれが、由衣の記憶でできた幻でも――彼女が自分で生きようとしてるなら、それを壊す権利は誰にもない」
冴木は短く息を吐いて、笑った。
「なら――お前も“敵側”だな」
「覚悟しろ。如月」
「次に会うとき、お前の選択がどうなってるか、楽しみにしてるぜ」
そう言い残して、冴木は闇の中へと消えていった。
靴音が遠ざかると、代わりに雨の音が耳に満ちた。
まだポケットの中にあるUSBが、熱を持っているように感じられる。
(澪の中に、由衣がいて)
(そして俺の記憶までもが、そこに宿っている)
(それでも、あの子は“他人”じゃない)
(でも――“由衣”でもない)
(俺は何を信じるべきだ?)
◇◆◇
深夜、帰宅すると、テーブルの上に小さなメモが置かれていた。
《今夜、また夢で会いましょう。
でも、もし夢が嘘なら――現実であなたを見つけて》
字は、由衣の筆跡に酷似していた。
そして、ベッドルームのドアが、微かに開いていた。
(……誰かが、いる)
扉の向こうに、澪の気配があった。
彼女は、そこに立っていた。
真っ暗な部屋の中、静かに、ただ、立ち尽くしていた。
「如月さん……」
「助けて」
その声は、由衣と澪、二人の声が重なったように聞こえた。
俺の鼓動が、ひとつ、跳ねた。
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