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【第14話】消された記録
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夜の都心は、冷たい光の海だった。
ビル群は黙した巨人のように暗く聳え、車の音も、踏切も、遠く霞んでいた。
まるで都市全体が、息を潜めて何かを待っているようだった。
尚也は、倉持詩織と合流するため、都内某所の旧式コワーキングスペースに入った。
ガラス張りの小さなロビー。
薄暗い照明。
清掃が不十分な床。
だが、この場所は、彼らにとって唯一“追跡されない場所”だった。
◇◆◇
倉持は、古いノートPCを前に座っていた。
視線はモニタから一度も離さず、指先だけが機械的にキーボードを叩いていた。
「よく来たわ」
「今なら“向こう”の目をかいくぐって、ギリギリ内部ストレージにアクセスできる」
「でも、一度きりよ。再アクセスは不可能になる」
尚也は無言で頷いた。
その隣に、澪がいた。
黒いパーカーに身を包み、フードを深くかぶっている。
だが、その目は曇っていなかった。
冴木と対峙したあとでも、彼女の中には確かに“澪として生きる”意志があった。
(彼女を、ここまで引き込むべきだったのか)
(そんな迷いは、もう意味を持たない)
(彼女は自分の意思でここにいる。そして、自分の過去を知ろうとしている)
倉持のPC画面に、社内ストレージ構造図が浮かび上がる。
ノードのひとつが赤く点滅し、彼女はそれをクリックした。
「このラベル、見覚えある?」
《Project YK:Memory Network Prototype - Unindexed》
(YK……由衣。記憶ネットワークの試作データ)
「これは、本来存在しないはずのフォルダよ。
正式なMNプロジェクトが始動する前、いわば“0.1版”」
「由衣医師が個人研究の名目で非公式に構築していた記憶移植モデル」
「たった一人の記憶を、たった一つの器に“手渡す”ことができるか。
その実験記録が……ここにある」
尚也は息を呑んだ。
倉持はゆっくりとファイルを解凍した。
画面に、古いUIの映像ファイルとテキストログが表示される。
ファイル名:YK_MEMO-LAST
クリック――映像が再生された。
暗い研究室。
カメラは固定され、映っているのは白衣を着た由衣の姿だった。
どこか痩せて見えた。
髪はまとめられ、眼鏡の奥の目は、まっすぐレンズを見据えている。
「これは、私の“記録”です」
「プロジェクトの目的が歪み始めたことを受けて、個人的な備忘として残します」
「――もし、これを誰かが見るときがあるなら、それは“私がいない”ときでしょう」
(……由衣)
尚也の喉がひとつ動いた。
画面の中の彼女は、静かに語り続ける。
◇◆◇
「MNプロジェクトは、当初“認知症患者への記憶補填”を目的にしていた」
「でも、いつからか“人格の再構成”に変わった」
「そして、企業がそれに資金を出す理由も……」
「“ヒトを創る”という発想そのものが、倫理を外れた」
彼女の目が、かすかに潤む。
「私は、その中で“私自身を複製する”という発想を持ってしまった」
「尚也――あなたと暮らす中で、いつか自分がいなくなっても、あなたが孤独にならないように」
「それが、間違いの始まりだった」
「私は自分の記憶を、“もう一人の私”に手渡すことを決めた」
「でも、完成品にはならなかった」
「感情は、記憶の延長には存在しない」
「“生きた時間”がなければ、感情は育たない」
「だから私は……その子に、私の感情ごと“愛した記憶”を与えた」
映像が、一瞬ノイズ混じりになる。
視界が戻ると、由衣は少し笑っていた。
「彼女は、私じゃない」
「でも、私が愛したものを、きっと同じように愛せる」
「……そのはずだった」
「けれど、記憶だけでは“人格”にならなかった」
「彼女には、自分の“選択”が必要だった」
「だから私は、最後の記録として、この言葉を残す」
由衣はカメラの方へ、一歩近づいた。
「――澪、聞こえてる?」
「もし、あなたがこれを見ているなら」
「どうか、あなたがあなたの名前を呼べるように」
「誰かに“名前を呼ばれた”記憶じゃない。
あなた自身の声で、“私は澪です”と言えるように」
「それが、私があなたに託した唯一の願いです」
最後に、由衣は涙をこぼした。
「……そして、尚也」
「あなたにすべてを言えなかったこと、今も悔いています」
「でも、あなたがあの子の手を取ってくれるなら――
私は、やっと眠れます」
映像が、そこで途切れた。
静寂。
誰も声を出せなかった。
倉持ですら、モニタの前で小さくため息をついていただけだった。
尚也は目を閉じ、頭を抱えた。
(お前は……全部、分かっていて)
(全部、抱え込んで)
(俺に何も言わず、ただ“未来”だけを託して)
ふと、澪が小さく息を吐いた。
その目は濡れていた。
でも、そこには揺るぎがなかった。
「私、やっと分かりました」
「私は、由衣さんの記憶から生まれた。
でも、記憶に縛られてるだけじゃ、“私”にはなれない」
「私が自分の名前を呼ぶのは、私が“自分である”と決めたから」
「彼女がくれたものは、記憶じゃなくて、“選ぶ自由”だったんです」
尚也は、ゆっくりと頷いた。
そして静かに、澪の手を取った。
「ようこそ」
「澪。君は、ここにいる」
「誰かの代わりでもない。誰かのコピーでもない」
「“君自身の声”で、生きていこう」
◇◆◇
そのとき、倉持の端末に新たな通知が現れた。
アクセスログ:不明な第三者による追跡接続を検知
尚也の顔色が変わった。
「見つかった……か」
倉持が舌打ちする。
「解析される前に、離れるわ。
この場所も、あと数分で使い物にならなくなる」
澪は、一歩後ずさった。
だが、怯えたわけじゃなかった。
その顔には、覚悟があった。
「大丈夫。
もう、“逃げるだけ”じゃない」
「私は、知るためにここに来た」
「だから、行きましょう」
「次は、“記憶のその先”へ」
扉が開かれる。
過去が、記憶が、涙が終わり
――いま、澪の“人生”が始まろうとしていた。
ビル群は黙した巨人のように暗く聳え、車の音も、踏切も、遠く霞んでいた。
まるで都市全体が、息を潜めて何かを待っているようだった。
尚也は、倉持詩織と合流するため、都内某所の旧式コワーキングスペースに入った。
ガラス張りの小さなロビー。
薄暗い照明。
清掃が不十分な床。
だが、この場所は、彼らにとって唯一“追跡されない場所”だった。
◇◆◇
倉持は、古いノートPCを前に座っていた。
視線はモニタから一度も離さず、指先だけが機械的にキーボードを叩いていた。
「よく来たわ」
「今なら“向こう”の目をかいくぐって、ギリギリ内部ストレージにアクセスできる」
「でも、一度きりよ。再アクセスは不可能になる」
尚也は無言で頷いた。
その隣に、澪がいた。
黒いパーカーに身を包み、フードを深くかぶっている。
だが、その目は曇っていなかった。
冴木と対峙したあとでも、彼女の中には確かに“澪として生きる”意志があった。
(彼女を、ここまで引き込むべきだったのか)
(そんな迷いは、もう意味を持たない)
(彼女は自分の意思でここにいる。そして、自分の過去を知ろうとしている)
倉持のPC画面に、社内ストレージ構造図が浮かび上がる。
ノードのひとつが赤く点滅し、彼女はそれをクリックした。
「このラベル、見覚えある?」
《Project YK:Memory Network Prototype - Unindexed》
(YK……由衣。記憶ネットワークの試作データ)
「これは、本来存在しないはずのフォルダよ。
正式なMNプロジェクトが始動する前、いわば“0.1版”」
「由衣医師が個人研究の名目で非公式に構築していた記憶移植モデル」
「たった一人の記憶を、たった一つの器に“手渡す”ことができるか。
その実験記録が……ここにある」
尚也は息を呑んだ。
倉持はゆっくりとファイルを解凍した。
画面に、古いUIの映像ファイルとテキストログが表示される。
ファイル名:YK_MEMO-LAST
クリック――映像が再生された。
暗い研究室。
カメラは固定され、映っているのは白衣を着た由衣の姿だった。
どこか痩せて見えた。
髪はまとめられ、眼鏡の奥の目は、まっすぐレンズを見据えている。
「これは、私の“記録”です」
「プロジェクトの目的が歪み始めたことを受けて、個人的な備忘として残します」
「――もし、これを誰かが見るときがあるなら、それは“私がいない”ときでしょう」
(……由衣)
尚也の喉がひとつ動いた。
画面の中の彼女は、静かに語り続ける。
◇◆◇
「MNプロジェクトは、当初“認知症患者への記憶補填”を目的にしていた」
「でも、いつからか“人格の再構成”に変わった」
「そして、企業がそれに資金を出す理由も……」
「“ヒトを創る”という発想そのものが、倫理を外れた」
彼女の目が、かすかに潤む。
「私は、その中で“私自身を複製する”という発想を持ってしまった」
「尚也――あなたと暮らす中で、いつか自分がいなくなっても、あなたが孤独にならないように」
「それが、間違いの始まりだった」
「私は自分の記憶を、“もう一人の私”に手渡すことを決めた」
「でも、完成品にはならなかった」
「感情は、記憶の延長には存在しない」
「“生きた時間”がなければ、感情は育たない」
「だから私は……その子に、私の感情ごと“愛した記憶”を与えた」
映像が、一瞬ノイズ混じりになる。
視界が戻ると、由衣は少し笑っていた。
「彼女は、私じゃない」
「でも、私が愛したものを、きっと同じように愛せる」
「……そのはずだった」
「けれど、記憶だけでは“人格”にならなかった」
「彼女には、自分の“選択”が必要だった」
「だから私は、最後の記録として、この言葉を残す」
由衣はカメラの方へ、一歩近づいた。
「――澪、聞こえてる?」
「もし、あなたがこれを見ているなら」
「どうか、あなたがあなたの名前を呼べるように」
「誰かに“名前を呼ばれた”記憶じゃない。
あなた自身の声で、“私は澪です”と言えるように」
「それが、私があなたに託した唯一の願いです」
最後に、由衣は涙をこぼした。
「……そして、尚也」
「あなたにすべてを言えなかったこと、今も悔いています」
「でも、あなたがあの子の手を取ってくれるなら――
私は、やっと眠れます」
映像が、そこで途切れた。
静寂。
誰も声を出せなかった。
倉持ですら、モニタの前で小さくため息をついていただけだった。
尚也は目を閉じ、頭を抱えた。
(お前は……全部、分かっていて)
(全部、抱え込んで)
(俺に何も言わず、ただ“未来”だけを託して)
ふと、澪が小さく息を吐いた。
その目は濡れていた。
でも、そこには揺るぎがなかった。
「私、やっと分かりました」
「私は、由衣さんの記憶から生まれた。
でも、記憶に縛られてるだけじゃ、“私”にはなれない」
「私が自分の名前を呼ぶのは、私が“自分である”と決めたから」
「彼女がくれたものは、記憶じゃなくて、“選ぶ自由”だったんです」
尚也は、ゆっくりと頷いた。
そして静かに、澪の手を取った。
「ようこそ」
「澪。君は、ここにいる」
「誰かの代わりでもない。誰かのコピーでもない」
「“君自身の声”で、生きていこう」
◇◆◇
そのとき、倉持の端末に新たな通知が現れた。
アクセスログ:不明な第三者による追跡接続を検知
尚也の顔色が変わった。
「見つかった……か」
倉持が舌打ちする。
「解析される前に、離れるわ。
この場所も、あと数分で使い物にならなくなる」
澪は、一歩後ずさった。
だが、怯えたわけじゃなかった。
その顔には、覚悟があった。
「大丈夫。
もう、“逃げるだけ”じゃない」
「私は、知るためにここに来た」
「だから、行きましょう」
「次は、“記憶のその先”へ」
扉が開かれる。
過去が、記憶が、涙が終わり
――いま、澪の“人生”が始まろうとしていた。
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