25歳差の恋愛指南、それは人生最大の不覚でした

naomikoryo

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第二話:擬似恋愛契約、始まる前夜

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拍手の音が、まだ耳に残っていた。
会場の壇上で一礼し、賞状と記念品を受け取った新田純は、控えめに笑っていた。
どこか所在なげな雰囲気はそのままだが、スーツ姿は思った以上に整っていて、妙に“きちんとしていた”。

(やっぱり……あの朝の子。)

理奈は、胸の奥で静かに確信していた。
フードを被っていたあの朝の姿と、壇上の青年とを重ねたとき、彼女の中で記憶の断片がぴたりと一致した。
言葉も、目線も、そしてあの“声”も——同じだった。

授賞式のあと、理奈は控室に向かった。
受賞者と編集担当者との顔合わせの場だ。
例年通りの挨拶と、今後の作品展開に向けた初動の打ち合わせが行われる。

小さな部屋に、純は一人で座っていた。
やはり長い髪をそのまま後ろに束ね、瓶底メガネ越しにこちらを見る表情は、どこか影を落としている。
礼儀はある。だが、人との接し方に慣れていないのが見て取れた。

「初めまして、新田純さん。結文社の代表を務めております、結城理奈です。」

理奈が声をかけると、純はすっと立ち上がり、深く頭を下げた。

「……あの時は……ありがとうございました。」

彼がそう呟いた。

理奈は、少しだけ微笑んだ。

「本当は、私が言うべきよ。あの朝のこと、助けてくれてありがとう。」

純の頬が、かすかに赤くなる。

「……気づいてましたか。」

「もちろん。あんなに堂々と“知り合い”のフリをされたら、忘れようがないわ。」

淡く笑って返すと、純は視線を伏せた。
理奈は、そこに年齢差とは違う“距離”を感じた。
この青年は、若いとか未熟とか以前に——恋愛の領域そのものに、縁がなかったのだと。

そして次の瞬間、純がポツリと、予想外の言葉を口にした。

「……あの、小説のことなんですが。」

「ええ。あなたの“赤の戦場”、素晴らしかったわ。編集部でも満場一致だった。」

「ありがとうございます。でも、あれは……まだ自分の理想とは違うんです。」

理奈は眉を少し上げた。

「理想……?」

「次は、恋愛小説を書きたいんです。」

静かな声だった。だが、真剣だった。
この無口な青年が口にするには、あまりに鮮やかなジャンルの名前。

「恋愛……?」

「はい。愛とか、心が交わる瞬間を書いてみたい。だけど、自分には経験も、感覚も……本当に、まるでないんです。」

理奈は黙って耳を傾けていた。

「だから、疑似的でもいいから、“恋愛”を学べる相手がほしいんです。理論じゃなく、実感を伴う学習として。」

(擬似恋愛、の相手……?)

その言葉に、社長としてではなく、一人の女としての理奈が、わずかに動揺した。

——まるで、恋の家庭教師を求められているような感覚。

「具体的には、どういうことを?」

「たとえば、デートの誘い方、褒め方、手のつなぎ方、心を掴む会話……そういったものを段階的に体験して、それをベースに物語を構築したいんです。」

「それは……小説のために?」

「はい。」

(徹底しているわね……。でも——)

理奈はふと、社内の顔ぶれを思い浮かべた。
佐久間凛華、29歳。
美人で愛嬌もあり、誰とでもすぐに打ち解けるタイプ。
吉田清美、23歳。
控えめで真面目。年齢的には近いけれど、対極の性格。

(確かに、誰か若手に“体験”させてみるのも一つの手……)

けれど、自分の中にふとよぎる一抹の違和感があった。

(なぜ、こんなにも私はこの子に、気を取られているの?)

ただの新人作家。たまたま助けられた偶然。
けれど、彼の目の奥にある“何か”が、理奈の心に絡みついていた。

「わかったわ。……社内で、誰か適任者を探してみる。」

「……ありがとうございます。」

深く頭を下げた純の背筋は、妙に真っ直ぐだった。
そして、彼が部屋を出て行ったあとも、その余韻が理奈の中に残っていた。

(恋愛小説を書きたいから、恋を学びたい……か)

なんて不器用で、まっすぐな理由だろう。

それでいて、彼の言葉には不思議な“真実味”があった。
理奈は、自分の胸の中に、どこか遠い記憶がふと蘇っているのを感じていた。

(私も……そうだったかもしれない)

夫と出会ったのは、見合いだった。
恋に落ちたというより、静かに寄り添うように、安心感を築いた。
本物の“恋”をしたことがあるかと問われれば、答えに詰まるかもしれない。

彼のまっすぐな言葉は、理奈の心の深くに眠っていた感情に、かすかに触れていた。

その夜、理奈は珍しく仕事を早く切り上げた。
自宅のリビングにコーヒーを淹れ、ソファに腰を下ろす。
薄手のカーディガンの袖をまくりながら、左手の薬指の指輪を見下ろした。

(あなたなら、この子のこと……どう思うかしら)

亡き夫・晴臣の面影を思い出しながら、理奈はそっと目を閉じた。

恋など、もう自分には関係のないものだと思っていた。
けれど、心のどこかで、忘れかけていた“火”のようなものが、微かに、灯っていた。

それはまだ、言葉にならないほどの、かすかな温もり。

けれど、確かに——感じていた。
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