25歳差の恋愛指南、それは人生最大の不覚でした

naomikoryo

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第五話:すみません、僕……無理かもしれません

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夜の街は、昼とは違う音をしている。
車のライト、信号の明滅、雑踏に混じる笑い声。
そのすべてが、まるで“他人の世界”のように感じられていた。

——僕には、無理かもしれない。

手のひらにまだ残る、微かな温もり。
それが、火傷の跡みたいに皮膚に貼りついて離れない。

凛華さんとの二回目の“擬似恋愛レッスン”。
手をつなぎ、カフェで過ごし、帰り道を並んで歩いた。

それだけのこと。

なのに、胸の内には重たいものが残っていた。

**

「……安心できる人が好き、か。理奈社長、なんて言うかな……」

思わず声に出してしまい、我に返る。

(……まただ)

気づけば、彼女の名前を思い浮かべている。
痴漢に遭っていたあの日。無理やり助けようとした自分を、受け入れてくれたあの柔らかな声。
授賞式のあの目。冷たいようで、深くて、何かを隠しているような——あの目。

社長として、立場の違いがあるのはわかってる。
けれど、彼女の前では、無理に背伸びしなくて済んだ。

**

僕は決めた。

——話をしよう。正直に。

それが失礼でも、仕事を台無しにしてしまうとしても。

もう、無理をしたくなかった。

**

夜の結文社。
社員たちの多くはすでに帰宅していて、オフィスの明かりは最小限。
社長室のドアがまだ開いているのが見えた。

(……いる)

指先が震える。けれど、逃げたくない。

僕はノックをした。

「……どうぞ」

聞き慣れた、落ち着いた声。
ドアを開けると、結城理奈社長はソファに座って資料に目を通していた。
丸メガネをかけていて、表情は読めない。

「あら。もう帰ったと思ってたわ」

「……社長、少し、お話してもいいですか」

視線がこちらに向けられる。
鋭く、それでいて優しい。まるで何でも見透かされているような感覚。

「もちろん。どうぞ」

僕は、おそるおそるソファの対面に腰を下ろした。
どう切り出せばいいかわからない。
でも、今日ここに来なければ、きっとずっと後悔する。

「……佐久間さんのことなんですが」

「ああ、凛華ね。どうだった? 少しは役に立った?」

「……あの、すごく明るくて、気配りもできて、優しくて……でも」

口が乾いている。

理奈社長は何も言わず、ただ静かに聞いてくれていた。
だからこそ、余計に言いづらかった。

「……僕、たぶん……無理かもしれません」

静かな言葉。
自分でも、どこかで期待していた言葉。

けれど、その言葉に、理奈社長は驚いた顔をしなかった。

「無理……というのは?」

「その……佐久間さんみたいに、距離を詰めてこられると、どう接していいのか……わからなくなるんです。怖いというか、逃げたくなるというか」

「……ふむ」

「話も……合わせられなくて。自分が“教わってる”んじゃなくて、何かを“試されてる”ような感覚で……」

理奈社長は、腕を組みながらわずかに視線を下げた。
その横顔は、どこか考え込んでいるようで、でも口元にはうっすら笑みがあった。

「……言葉にできただけ、上出来よ」

「……?」

「ちゃんと“向き合おうとした”証拠だもの。……凛華はたしかに、ちょっと押しが強いものね。あなたには、合わなかったのかもしれない」

その言葉に、心がふっと軽くなるのを感じた。

責められると思っていた。
甘えるな、と言われると思っていた。
でも、彼女は否定しなかった。

「……すみません。僕、わがままだと思ってて」

「違うわ。人との距離感なんて、正解はないの。あなただけの感覚を、恥じることはない」

理奈社長の言葉は、いつも少なくて、でも芯があって。
彼女に言われると、自分がちゃんと“認められてる”気がする。

(……この人の言葉って、どうして、こんなに響くんだろう)

**

ふいに、理奈社長が机の引き出しから封筒を取り出した。

「これは、あなたの次の仮想恋愛相手の資料よ」

「え……次?」

「ええ。今度は、吉田清美。二十三歳。事務担当で、物腰は柔らかいけど芯はある子よ。……今度はきっと、もう少し穏やかに向き合えると思うわ」

「……そうですか」

(また“誰か”と……)

けれど、自分が言い出したことだ。恋愛小説を書くために、必要な過程。

覚悟を決めて立ち上がった時。

「——でも、もし彼女とも合わなかったら?」

僕の言葉に、理奈社長はわずかに目を細めて言った。

「その時は……私が出ていくしかないわね」

「……え?」

「あなた、意外と手がかかるから」

その声に、僕は一瞬、笑ってしまいそうになった。
でも、口元だけでそっと笑って、頭を下げた。

「……ありがとうございます」

本当に、ありがとうございます。

心の底からそう思った。

(僕は……たぶん、この人に“書かされている”)

物語を、じゃない。

“自分の気持ち”を。

知らなかった恋。わからなかった心。
それを、ひとつひとつ、紐解かれている。

静かに、でも確実に。
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