25歳差の恋愛指南、それは人生最大の不覚でした

naomikoryo

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第十話:恋を教えるなんて、簡単じゃない

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「来るの、初めてなんです。渋谷の駅からこんなに歩いたの、いつぶりかしら」

カフェの入口で、そう話す彼は、相変わらずの瓶底メガネに黒のフードパーカー。
それでも、ロン毛の一部はゴムでまとめられていて、少し“マシ”になっている。

私は、そんな彼を見て、心の中でそっと息をついた。

(最初は、視線すら合わせられなかったのに……)

一歩ずつ。ほんの少しずつ。
けれど確かに、彼の態度には変化があった。

とはいえ——

「新田くん、家から出るのはあまり好きじゃないのよね?」

「はい……基本的に、在宅で作業しています」

「じゃあ、こうして会うだけで、かなり貴重な体験なわけね」

「……ええ、“社長命令”ですから」

くすりと笑った彼の表情は、わずかに柔らかかった。

秋の風が吹き抜けるテラス席。
午前11時、予約していたこのカフェは私のお気に入りの一つだった。
若者向けではないけれど、静かで落ち着いていて、周囲の視線を気にせず話ができる。

店員がやってきて、二人分のランチセットを置いていく。
私はコーヒー、彼は紅茶を頼んでいた。

「さて、今日は“初回レッスン”よ。教えるって言っても、私は教師でもカウンセラーでもないから……ある程度、自分から動いてもらうわよ?」

「……はい。わかってます」

彼は、テーブルに置いたノートを開いた。

(……本当に、真面目ね)

小さな文字で、すでに何行もびっしりと書かれている。

「今日のテーマは、“会話を続ける”よ。あなた、会話が途切れると、すぐ黙っちゃうから」

「……すみません」

「謝らなくていいの。練習するために、私と会ってるんでしょう?」

「……はい」

「じゃあ、まずは、私にひとつ“質問”して」

「……質問、ですか?」

「なんでもいいわ。“今日はどんな服装ですか?”とか、“最近ハマってることは?”とか……一問一答じゃなく、そこから話を広げるの。さ、どうぞ」

彼はしばらく考えてから、おそるおそる口を開いた。

「……社長の、好きな映画は、何ですか?」

「……ふふ、そう来たのね。いいわ。好きな映画……いくつかあるけど、“めぐり逢えたら”かしら」

「……ラブストーリー、ですね?」

「ええ。古いけど、好きなの。何度観ても泣けるのよ」

「……どういうところが?」

「“待つことの強さ”かしら。あの映画って、恋愛を美しく見せるけど、実はすごく孤独な話なのよ」

彼は、ノートにメモを取っている。

「……それは、社長が、今も“誰かを待っている”って意味ですか?」

その一言に、私は少しだけ目を細めた。

「……さあ、それはどうかしらね」

彼の質問は、時々ドキリとする。
本人は無自覚かもしれないけれど、妙に核心を突いてくる時がある。

(……あれから23年。私は、待っているのかしら)

誰を。何を。
わからないけれど、空白のままになっている場所が、確かに自分の中にはあった。

**

ランチを終えた後、私は彼を近くの古本屋に誘った。

「デートって、目的地があっても“間”があるものなの。どこかに寄ったり、何気ない話をしたり。そういう“寄り道”を知るのも、大事よ」

彼はうなずきながら、棚に並んだ文庫本に目を走らせていた。

「……社長」

「なに?」

「……こうやって、誰かと時間を過ごすのって、変な感じですね。緊張するけど、なんか……あったかいです」

「……あら、それは“恋の始まり”かしら?」

そう冗談めかして言ったら、彼はあわてて首を振った。

「ち、違います。そういう意味じゃなくて……その、なんというか……その……」

私は笑った。

その反応が、あまりに青くて、まだどこか子どもで。
でも、真剣で。

だからこそ、私は言葉を選んだ。

「大丈夫。そう簡単に“恋”にはならないわ。でも、誰かと一緒にいて“心が動く”こと、それが恋の原型かもしれない。だから、今感じてることを大事にして」

「……はい」

**

帰り道。
私は彼に聞いた。

「今日の感想は?」

「……正直、緊張しっぱなしでした。でも……」

「でも?」

「社長と一緒だと、“勉強”じゃなくて、何か……“物語”にいるみたいで」

私は歩きながら、ふっと笑った。

「作家らしい感想ね。でも、悪くないわ」

彼の歩幅は、私より少し大きかったけれど、今はちゃんと合わせてくれている。

私たちの影が、夕陽の中で重なっていた。

これは、あくまで“恋愛レッスン”。
疑似恋愛の、取材のための関係。

——そう、言い聞かせているのに。

心のどこかで、かすかに“嬉しい”と思ってしまった自分がいる。

(ダメよ、理奈。これは仕事。これは……)

だけど、あの子の素直な言葉が、ほんの少しずつ、心の中の“凍っていた部分”に触れているのを感じていた。
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