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第十話:恋を教えるなんて、簡単じゃない
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「来るの、初めてなんです。渋谷の駅からこんなに歩いたの、いつぶりかしら」
カフェの入口で、そう話す彼は、相変わらずの瓶底メガネに黒のフードパーカー。
それでも、ロン毛の一部はゴムでまとめられていて、少し“マシ”になっている。
私は、そんな彼を見て、心の中でそっと息をついた。
(最初は、視線すら合わせられなかったのに……)
一歩ずつ。ほんの少しずつ。
けれど確かに、彼の態度には変化があった。
とはいえ——
「新田くん、家から出るのはあまり好きじゃないのよね?」
「はい……基本的に、在宅で作業しています」
「じゃあ、こうして会うだけで、かなり貴重な体験なわけね」
「……ええ、“社長命令”ですから」
くすりと笑った彼の表情は、わずかに柔らかかった。
秋の風が吹き抜けるテラス席。
午前11時、予約していたこのカフェは私のお気に入りの一つだった。
若者向けではないけれど、静かで落ち着いていて、周囲の視線を気にせず話ができる。
店員がやってきて、二人分のランチセットを置いていく。
私はコーヒー、彼は紅茶を頼んでいた。
「さて、今日は“初回レッスン”よ。教えるって言っても、私は教師でもカウンセラーでもないから……ある程度、自分から動いてもらうわよ?」
「……はい。わかってます」
彼は、テーブルに置いたノートを開いた。
(……本当に、真面目ね)
小さな文字で、すでに何行もびっしりと書かれている。
「今日のテーマは、“会話を続ける”よ。あなた、会話が途切れると、すぐ黙っちゃうから」
「……すみません」
「謝らなくていいの。練習するために、私と会ってるんでしょう?」
「……はい」
「じゃあ、まずは、私にひとつ“質問”して」
「……質問、ですか?」
「なんでもいいわ。“今日はどんな服装ですか?”とか、“最近ハマってることは?”とか……一問一答じゃなく、そこから話を広げるの。さ、どうぞ」
彼はしばらく考えてから、おそるおそる口を開いた。
「……社長の、好きな映画は、何ですか?」
「……ふふ、そう来たのね。いいわ。好きな映画……いくつかあるけど、“めぐり逢えたら”かしら」
「……ラブストーリー、ですね?」
「ええ。古いけど、好きなの。何度観ても泣けるのよ」
「……どういうところが?」
「“待つことの強さ”かしら。あの映画って、恋愛を美しく見せるけど、実はすごく孤独な話なのよ」
彼は、ノートにメモを取っている。
「……それは、社長が、今も“誰かを待っている”って意味ですか?」
その一言に、私は少しだけ目を細めた。
「……さあ、それはどうかしらね」
彼の質問は、時々ドキリとする。
本人は無自覚かもしれないけれど、妙に核心を突いてくる時がある。
(……あれから23年。私は、待っているのかしら)
誰を。何を。
わからないけれど、空白のままになっている場所が、確かに自分の中にはあった。
**
ランチを終えた後、私は彼を近くの古本屋に誘った。
「デートって、目的地があっても“間”があるものなの。どこかに寄ったり、何気ない話をしたり。そういう“寄り道”を知るのも、大事よ」
彼はうなずきながら、棚に並んだ文庫本に目を走らせていた。
「……社長」
「なに?」
「……こうやって、誰かと時間を過ごすのって、変な感じですね。緊張するけど、なんか……あったかいです」
「……あら、それは“恋の始まり”かしら?」
そう冗談めかして言ったら、彼はあわてて首を振った。
「ち、違います。そういう意味じゃなくて……その、なんというか……その……」
私は笑った。
その反応が、あまりに青くて、まだどこか子どもで。
でも、真剣で。
だからこそ、私は言葉を選んだ。
「大丈夫。そう簡単に“恋”にはならないわ。でも、誰かと一緒にいて“心が動く”こと、それが恋の原型かもしれない。だから、今感じてることを大事にして」
「……はい」
**
帰り道。
私は彼に聞いた。
「今日の感想は?」
「……正直、緊張しっぱなしでした。でも……」
「でも?」
「社長と一緒だと、“勉強”じゃなくて、何か……“物語”にいるみたいで」
私は歩きながら、ふっと笑った。
「作家らしい感想ね。でも、悪くないわ」
彼の歩幅は、私より少し大きかったけれど、今はちゃんと合わせてくれている。
私たちの影が、夕陽の中で重なっていた。
これは、あくまで“恋愛レッスン”。
疑似恋愛の、取材のための関係。
——そう、言い聞かせているのに。
心のどこかで、かすかに“嬉しい”と思ってしまった自分がいる。
(ダメよ、理奈。これは仕事。これは……)
だけど、あの子の素直な言葉が、ほんの少しずつ、心の中の“凍っていた部分”に触れているのを感じていた。
カフェの入口で、そう話す彼は、相変わらずの瓶底メガネに黒のフードパーカー。
それでも、ロン毛の一部はゴムでまとめられていて、少し“マシ”になっている。
私は、そんな彼を見て、心の中でそっと息をついた。
(最初は、視線すら合わせられなかったのに……)
一歩ずつ。ほんの少しずつ。
けれど確かに、彼の態度には変化があった。
とはいえ——
「新田くん、家から出るのはあまり好きじゃないのよね?」
「はい……基本的に、在宅で作業しています」
「じゃあ、こうして会うだけで、かなり貴重な体験なわけね」
「……ええ、“社長命令”ですから」
くすりと笑った彼の表情は、わずかに柔らかかった。
秋の風が吹き抜けるテラス席。
午前11時、予約していたこのカフェは私のお気に入りの一つだった。
若者向けではないけれど、静かで落ち着いていて、周囲の視線を気にせず話ができる。
店員がやってきて、二人分のランチセットを置いていく。
私はコーヒー、彼は紅茶を頼んでいた。
「さて、今日は“初回レッスン”よ。教えるって言っても、私は教師でもカウンセラーでもないから……ある程度、自分から動いてもらうわよ?」
「……はい。わかってます」
彼は、テーブルに置いたノートを開いた。
(……本当に、真面目ね)
小さな文字で、すでに何行もびっしりと書かれている。
「今日のテーマは、“会話を続ける”よ。あなた、会話が途切れると、すぐ黙っちゃうから」
「……すみません」
「謝らなくていいの。練習するために、私と会ってるんでしょう?」
「……はい」
「じゃあ、まずは、私にひとつ“質問”して」
「……質問、ですか?」
「なんでもいいわ。“今日はどんな服装ですか?”とか、“最近ハマってることは?”とか……一問一答じゃなく、そこから話を広げるの。さ、どうぞ」
彼はしばらく考えてから、おそるおそる口を開いた。
「……社長の、好きな映画は、何ですか?」
「……ふふ、そう来たのね。いいわ。好きな映画……いくつかあるけど、“めぐり逢えたら”かしら」
「……ラブストーリー、ですね?」
「ええ。古いけど、好きなの。何度観ても泣けるのよ」
「……どういうところが?」
「“待つことの強さ”かしら。あの映画って、恋愛を美しく見せるけど、実はすごく孤独な話なのよ」
彼は、ノートにメモを取っている。
「……それは、社長が、今も“誰かを待っている”って意味ですか?」
その一言に、私は少しだけ目を細めた。
「……さあ、それはどうかしらね」
彼の質問は、時々ドキリとする。
本人は無自覚かもしれないけれど、妙に核心を突いてくる時がある。
(……あれから23年。私は、待っているのかしら)
誰を。何を。
わからないけれど、空白のままになっている場所が、確かに自分の中にはあった。
**
ランチを終えた後、私は彼を近くの古本屋に誘った。
「デートって、目的地があっても“間”があるものなの。どこかに寄ったり、何気ない話をしたり。そういう“寄り道”を知るのも、大事よ」
彼はうなずきながら、棚に並んだ文庫本に目を走らせていた。
「……社長」
「なに?」
「……こうやって、誰かと時間を過ごすのって、変な感じですね。緊張するけど、なんか……あったかいです」
「……あら、それは“恋の始まり”かしら?」
そう冗談めかして言ったら、彼はあわてて首を振った。
「ち、違います。そういう意味じゃなくて……その、なんというか……その……」
私は笑った。
その反応が、あまりに青くて、まだどこか子どもで。
でも、真剣で。
だからこそ、私は言葉を選んだ。
「大丈夫。そう簡単に“恋”にはならないわ。でも、誰かと一緒にいて“心が動く”こと、それが恋の原型かもしれない。だから、今感じてることを大事にして」
「……はい」
**
帰り道。
私は彼に聞いた。
「今日の感想は?」
「……正直、緊張しっぱなしでした。でも……」
「でも?」
「社長と一緒だと、“勉強”じゃなくて、何か……“物語”にいるみたいで」
私は歩きながら、ふっと笑った。
「作家らしい感想ね。でも、悪くないわ」
彼の歩幅は、私より少し大きかったけれど、今はちゃんと合わせてくれている。
私たちの影が、夕陽の中で重なっていた。
これは、あくまで“恋愛レッスン”。
疑似恋愛の、取材のための関係。
——そう、言い聞かせているのに。
心のどこかで、かすかに“嬉しい”と思ってしまった自分がいる。
(ダメよ、理奈。これは仕事。これは……)
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