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第十二話:触れてしまった温度
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——これが、私の人生に再びやってくるとは思わなかった。
二度目のレッスンの待ち合わせ場所へ向かう途中、そんなことを考えていた。
今日は午後からオフを取って、少し遠出をする予定だった。
(とはいえ、“恋愛レッスン”と称した付き合い、だけれど)
渋谷から電車を乗り継ぎ、小一時間。
人混みの喧騒が薄れていくにつれて、自分の呼吸がゆっくりと戻ってくるのがわかった。
今日の目的地は、昭和記念公園。
この季節なら、紅葉が始まりかけていて、人も少ない。
若い人たちよりも、家族連れや中高年が多い。
つまり、落ち着いて“会話”ができる場所。
彼には昨日、私からメールで場所を伝えた。
「レッスン②:空気を読む&共に歩く」。
そう、タイトルまでつけて。
自分でも、少し可笑しかった。
まるで、学校の課題みたいだ。
**
駅前で待っていた彼は、前回よりも少しだけ服装に気を遣っていた。
黒いパーカーの代わりに、落ち着いたグレーベージュのコート。
髪もきちんとまとめられていて、眼鏡も――あれ、変えた?
「……少し、雰囲気が違うわね」
「……はい。あの、美容院、行ってみました」
「え?」
「社長に言われたこと、気になってて。知り合いのところ、予約取れたんで」
「……それは、驚いたわ」
(……あら)
見慣れた瓶底メガネじゃない。
縁が細くて、瞳の色がはっきり見える。
ちょっと整えただけで、まるで別人みたい。
……いや、違うわね。もともと、素材が良かっただけ。
ただ、誰にも気づかれなかっただけ。
「似合ってる。眼鏡も、髪型も」
「……ありがとうございます。緊張してますけど」
「いいのよ、緊張してて」
歩き出しながら、ふと気づいた。
(……彼と並んで歩くのが、もう自然になってる)
一歩前を歩くわけでもなく、距離を空けるわけでもない。
彼は、私の速度にぴたりと合わせて歩いてくれる。
公園の入口を抜け、落ち葉が少しずつ積もる小道に入った。
風が吹くたび、枝がカサカサと音を立てて揺れる。
「こういう場所……久しぶりです」
「あなた、いつも部屋の中で小説書いてるのよね?」
「……はい。たまにコンビニ行くくらいで……誰かと、こうして歩くなんて、たぶん学生の時以来です」
「じゃあ、これは貴重な経験ね」
「そうですね」
紅葉の葉がひとつ、彼の肩に落ちた。
それを指先でそっと摘み取ってあげた瞬間、彼が一瞬だけびくりと体をこわばらせた。
「あ、ごめんなさい。……驚かせた?」
「い、いえ、あの……すみません……近い、のに慣れてなくて……」
「……それも、練習していきましょうね」
言いながら、私は笑っていた。
自分でも驚くくらい、穏やかな気持ちだった。
**
ベンチに並んで座って、お茶を飲む。
彼は持参した水筒を手に、真面目な顔でメモ帳を取り出した。
「“共に歩く”って、どういう気持ちで歩けばいいんでしょうか?」
「難しく考えすぎよ。相手に合わせること。ペースも、話す内容も。お互いに気を配ること。それが“共にいる”ってこと」
「……“共にいる”。」
その言葉を繰り返すように呟いた彼の横顔を見て、私は思った。
(本当に……この子は、まっすぐ)
下手で、不器用で、恋愛にはまるで向いていない。
でも、その純度の高い視線に、私は少しずつ“自分”を映されているような気がしていた。
**
帰り道。
駅の近くの、ちいさなベーカリーに立ち寄った。
「夕飯は……まだなんで、何か買って帰ります」
「じゃあ、私も。家にパンがなかったから」
「……あの」
「なに?」
「今日……一緒に歩けて、嬉しかったです」
ふと、彼が言ったその一言に、私はわずかに歩みを止めた。
「……そう」
「“誰かと歩く”のって、こんなに安心するんですね」
心臓が、少しだけ高鳴った。
なんでもない言葉。
でも、彼の声は嘘がなくて。
そしてそれは、たぶん私が……長いこと、欲しかった言葉だったのかもしれない。
「新田くん」
「はい」
「——手を、つないでみる?」
彼が目を見開いた。
「……いま?」
「そう。これは、レッスン。だから、ちゃんと“私を意識して”手をつなぎなさい」
「あ……はい」
彼の手が、恐る恐る伸びてくる。
そして、そっと私の指に触れた。
その指先が、熱を帯びていて。
(……ああ)
手をつないだ瞬間、私は思ってしまった。
(この温度、知ってる……)
優しさでも、安らぎでもなく、“生きている人の体温”。
23年前に失ってから、一度も感じたことのなかった“他人の温度”。
私は、そのぬくもりを知ってしまった。
だから、次の言葉を飲み込んだ。
「……悪くないわね」
そう呟いた声は、たぶん少しだけ震えていた。
私の心の氷が、ひとしずく溶ける音がした。
二度目のレッスンの待ち合わせ場所へ向かう途中、そんなことを考えていた。
今日は午後からオフを取って、少し遠出をする予定だった。
(とはいえ、“恋愛レッスン”と称した付き合い、だけれど)
渋谷から電車を乗り継ぎ、小一時間。
人混みの喧騒が薄れていくにつれて、自分の呼吸がゆっくりと戻ってくるのがわかった。
今日の目的地は、昭和記念公園。
この季節なら、紅葉が始まりかけていて、人も少ない。
若い人たちよりも、家族連れや中高年が多い。
つまり、落ち着いて“会話”ができる場所。
彼には昨日、私からメールで場所を伝えた。
「レッスン②:空気を読む&共に歩く」。
そう、タイトルまでつけて。
自分でも、少し可笑しかった。
まるで、学校の課題みたいだ。
**
駅前で待っていた彼は、前回よりも少しだけ服装に気を遣っていた。
黒いパーカーの代わりに、落ち着いたグレーベージュのコート。
髪もきちんとまとめられていて、眼鏡も――あれ、変えた?
「……少し、雰囲気が違うわね」
「……はい。あの、美容院、行ってみました」
「え?」
「社長に言われたこと、気になってて。知り合いのところ、予約取れたんで」
「……それは、驚いたわ」
(……あら)
見慣れた瓶底メガネじゃない。
縁が細くて、瞳の色がはっきり見える。
ちょっと整えただけで、まるで別人みたい。
……いや、違うわね。もともと、素材が良かっただけ。
ただ、誰にも気づかれなかっただけ。
「似合ってる。眼鏡も、髪型も」
「……ありがとうございます。緊張してますけど」
「いいのよ、緊張してて」
歩き出しながら、ふと気づいた。
(……彼と並んで歩くのが、もう自然になってる)
一歩前を歩くわけでもなく、距離を空けるわけでもない。
彼は、私の速度にぴたりと合わせて歩いてくれる。
公園の入口を抜け、落ち葉が少しずつ積もる小道に入った。
風が吹くたび、枝がカサカサと音を立てて揺れる。
「こういう場所……久しぶりです」
「あなた、いつも部屋の中で小説書いてるのよね?」
「……はい。たまにコンビニ行くくらいで……誰かと、こうして歩くなんて、たぶん学生の時以来です」
「じゃあ、これは貴重な経験ね」
「そうですね」
紅葉の葉がひとつ、彼の肩に落ちた。
それを指先でそっと摘み取ってあげた瞬間、彼が一瞬だけびくりと体をこわばらせた。
「あ、ごめんなさい。……驚かせた?」
「い、いえ、あの……すみません……近い、のに慣れてなくて……」
「……それも、練習していきましょうね」
言いながら、私は笑っていた。
自分でも驚くくらい、穏やかな気持ちだった。
**
ベンチに並んで座って、お茶を飲む。
彼は持参した水筒を手に、真面目な顔でメモ帳を取り出した。
「“共に歩く”って、どういう気持ちで歩けばいいんでしょうか?」
「難しく考えすぎよ。相手に合わせること。ペースも、話す内容も。お互いに気を配ること。それが“共にいる”ってこと」
「……“共にいる”。」
その言葉を繰り返すように呟いた彼の横顔を見て、私は思った。
(本当に……この子は、まっすぐ)
下手で、不器用で、恋愛にはまるで向いていない。
でも、その純度の高い視線に、私は少しずつ“自分”を映されているような気がしていた。
**
帰り道。
駅の近くの、ちいさなベーカリーに立ち寄った。
「夕飯は……まだなんで、何か買って帰ります」
「じゃあ、私も。家にパンがなかったから」
「……あの」
「なに?」
「今日……一緒に歩けて、嬉しかったです」
ふと、彼が言ったその一言に、私はわずかに歩みを止めた。
「……そう」
「“誰かと歩く”のって、こんなに安心するんですね」
心臓が、少しだけ高鳴った。
なんでもない言葉。
でも、彼の声は嘘がなくて。
そしてそれは、たぶん私が……長いこと、欲しかった言葉だったのかもしれない。
「新田くん」
「はい」
「——手を、つないでみる?」
彼が目を見開いた。
「……いま?」
「そう。これは、レッスン。だから、ちゃんと“私を意識して”手をつなぎなさい」
「あ……はい」
彼の手が、恐る恐る伸びてくる。
そして、そっと私の指に触れた。
その指先が、熱を帯びていて。
(……ああ)
手をつないだ瞬間、私は思ってしまった。
(この温度、知ってる……)
優しさでも、安らぎでもなく、“生きている人の体温”。
23年前に失ってから、一度も感じたことのなかった“他人の温度”。
私は、そのぬくもりを知ってしまった。
だから、次の言葉を飲み込んだ。
「……悪くないわね」
そう呟いた声は、たぶん少しだけ震えていた。
私の心の氷が、ひとしずく溶ける音がした。
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