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第十四話:メールを読んだ夜、心が少しだけ痛んだ
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そのメールが届いたのは、夜の9時過ぎだった。
ソファの肘掛けに体を預けながら、読みかけの原稿に赤を入れていた時。
MacBookの隣に伏せていたスマートフォンが、ひとつ振動した。
差出人:新田純
件名:「今日のこと」
(……もう?)
レッスンを終えて、まだ半日も経っていない。
理奈は少しだけ驚きながら、指先で画面を開いた。
スクロールせずとも一気に視界に入る程度の、短い文章だった。
でも——たったそれだけの言葉が、胸の奥に沈み込んだ。
正直に言うと、今、ものすごく混乱しています。
今日の“手をつないだこと”が、ずっと頭から離れません。
彼らしい。
誠実で、回りくどくて、不器用で……でも、真っ直ぐ。
読み終わった後、理奈は少しだけ天井を仰いだ。
静かだった。
都心の夜にしては不思議なほど、音がない。
窓を閉め切った部屋の中、時計の秒針の音すら遠く感じる。
胸の奥が、じんわりと痛んでいた。
(……どうして?)
その問いに、すぐ答えは出なかった。
彼の言葉に心を打たれたわけでも、責任を感じたわけでもない。
——ただ、痛かった。
純のメールには、“気持ち”があった。
そしてそれは、“誰か”に対して真剣になった証拠だ。
彼がようやく、自分の感情をつかみかけている。
それは、社長としては嬉しいはずだった。
教育係としても、一定の達成感がある。
なのに。
(なぜ、私は“複雑”なのかしら)
**
カップに注いだカモミールティーが、湯気を揺らす。
理奈はダイニングの椅子に座り直し、あらためてスマホの画面を見つめた。
——“あれは確実に“言葉よりも強い何か”でした”
その一文が、離れない。
あの時、手をつなぐことを提案したのは、自分だった。
「レッスン」として。
「取材」として。
「経験」として。
(それだけのはずだったのに)
彼の手が触れた瞬間、自分の方が動揺していた。
手のひらが、思ったよりも大きくて、体温が高くて——
あの瞬間、忘れていた何かを、確かに思い出した。
人の手に触れるということ。
肌が触れ合うことで、心がほどけてしまうということ。
そして何より——自分がもう長いこと、“誰かに触れられていなかった”という事実。
(……私の方が、混乱してるのよね)
苦笑が漏れる。
若い子に恋をされて戸惑う年上の女。
そんな構図が頭に浮かんで、思わず目を閉じた。
違う。
これは恋じゃない。
私は彼に教えているだけ。
育てているだけ。
導いているだけ。
(それだけ、のはずなのに)
彼の素直な言葉が、自分の中のどこかにまっすぐ届いてしまう。
それが、少しだけ——怖かった。
**
返信を書くまでに、30分ほどかかった。
何を書いても、少しずつ自分の“感情”が混じってしまう気がして、何度も書き直した。
そしてようやく、送信したのはこんな文面だった。
件名:Re: 今日のこと
純くんへ
メール、読ませてもらいました。
混乱しているのは、悪いことじゃないと思います。
初めての感情に出会ったとき、人は皆、そうなるものです。
あなたが“何か”を感じたのなら、まずはそれを否定しないこと。
それが“嬉しさ”でも“怖さ”でも、それはあなたの正直な反応だから。
書きたいことがあるなら、書いてください。
小説は“答え”じゃなく、“問い”から生まれるものですから。
理奈
送信を押したあと、画面を伏せた。
心が、ざわついていた。
言葉のひとつひとつに、自分の温度が乗ってしまっているのがわかる。
本当はもっと淡々と、事務的に返せばよかった。
でも、それができなかった。
(……私は、教師には向かないのかもね)
自嘲気味に笑いながら、窓の外を見上げた。
星は見えなかった。
東京の空は、いつだって明るすぎる。
でも、心の奥にある暗がりには、
ほんの少し、光が差し込み始めていた。
ソファの肘掛けに体を預けながら、読みかけの原稿に赤を入れていた時。
MacBookの隣に伏せていたスマートフォンが、ひとつ振動した。
差出人:新田純
件名:「今日のこと」
(……もう?)
レッスンを終えて、まだ半日も経っていない。
理奈は少しだけ驚きながら、指先で画面を開いた。
スクロールせずとも一気に視界に入る程度の、短い文章だった。
でも——たったそれだけの言葉が、胸の奥に沈み込んだ。
正直に言うと、今、ものすごく混乱しています。
今日の“手をつないだこと”が、ずっと頭から離れません。
彼らしい。
誠実で、回りくどくて、不器用で……でも、真っ直ぐ。
読み終わった後、理奈は少しだけ天井を仰いだ。
静かだった。
都心の夜にしては不思議なほど、音がない。
窓を閉め切った部屋の中、時計の秒針の音すら遠く感じる。
胸の奥が、じんわりと痛んでいた。
(……どうして?)
その問いに、すぐ答えは出なかった。
彼の言葉に心を打たれたわけでも、責任を感じたわけでもない。
——ただ、痛かった。
純のメールには、“気持ち”があった。
そしてそれは、“誰か”に対して真剣になった証拠だ。
彼がようやく、自分の感情をつかみかけている。
それは、社長としては嬉しいはずだった。
教育係としても、一定の達成感がある。
なのに。
(なぜ、私は“複雑”なのかしら)
**
カップに注いだカモミールティーが、湯気を揺らす。
理奈はダイニングの椅子に座り直し、あらためてスマホの画面を見つめた。
——“あれは確実に“言葉よりも強い何か”でした”
その一文が、離れない。
あの時、手をつなぐことを提案したのは、自分だった。
「レッスン」として。
「取材」として。
「経験」として。
(それだけのはずだったのに)
彼の手が触れた瞬間、自分の方が動揺していた。
手のひらが、思ったよりも大きくて、体温が高くて——
あの瞬間、忘れていた何かを、確かに思い出した。
人の手に触れるということ。
肌が触れ合うことで、心がほどけてしまうということ。
そして何より——自分がもう長いこと、“誰かに触れられていなかった”という事実。
(……私の方が、混乱してるのよね)
苦笑が漏れる。
若い子に恋をされて戸惑う年上の女。
そんな構図が頭に浮かんで、思わず目を閉じた。
違う。
これは恋じゃない。
私は彼に教えているだけ。
育てているだけ。
導いているだけ。
(それだけ、のはずなのに)
彼の素直な言葉が、自分の中のどこかにまっすぐ届いてしまう。
それが、少しだけ——怖かった。
**
返信を書くまでに、30分ほどかかった。
何を書いても、少しずつ自分の“感情”が混じってしまう気がして、何度も書き直した。
そしてようやく、送信したのはこんな文面だった。
件名:Re: 今日のこと
純くんへ
メール、読ませてもらいました。
混乱しているのは、悪いことじゃないと思います。
初めての感情に出会ったとき、人は皆、そうなるものです。
あなたが“何か”を感じたのなら、まずはそれを否定しないこと。
それが“嬉しさ”でも“怖さ”でも、それはあなたの正直な反応だから。
書きたいことがあるなら、書いてください。
小説は“答え”じゃなく、“問い”から生まれるものですから。
理奈
送信を押したあと、画面を伏せた。
心が、ざわついていた。
言葉のひとつひとつに、自分の温度が乗ってしまっているのがわかる。
本当はもっと淡々と、事務的に返せばよかった。
でも、それができなかった。
(……私は、教師には向かないのかもね)
自嘲気味に笑いながら、窓の外を見上げた。
星は見えなかった。
東京の空は、いつだって明るすぎる。
でも、心の奥にある暗がりには、
ほんの少し、光が差し込み始めていた。
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