16 / 75
第十六話:年齢の壁、自分で作ってない?
しおりを挟む
会社に戻ってすぐ、デスクに置かれた書類に目を通しているはずだったのに、
まるで文字が頭に入ってこなかった。
——それほどまでに、雨の午後は、静かに心に残っていた。
「共に歩く」
「間を楽しむ」
「空気を読む」
今日のレッスンの課題は、たしかにそれだった。
そして、純は間違いなく、それを“ちゃんとやって”いた。
けれど。
(——あの傘を、少しだけ私のほうに傾けてくれたのよね)
思い出すたびに胸がざわつく。
「社長、髪が濡れるとまずいですよね」
そう言って、言葉少なに黙って傘を持ってくれた、あの静かな優しさ。
(……ああいうの、ずるい)
それは大人の余裕でも、男のリードでもない。
何かに慣れているわけでもなく、ただ彼なりに必死に“気を遣って”くれただけ。
けれど、あの瞬間の誠実さが、肌に直接触れるようだった。
**
帰宅して、シャワーを浴びた後。
グラスに白ワインを注ぎながら、リビングのソファに沈み込む。
雨はもう止んでいた。
夜の空に星は見えなかったけれど、東京の街明かりが反射して、ベランダの手すりがうっすら濡れて光っていた。
ふと、思った。
(私……“線”を引いていたのかもしれない)
年齢の線。
経験の線。
立場の線。
それらを超えてしまわないように。
“彼に本気にさせないため”の防波堤として。
(でも……それって、本当に彼のためだった?)
違う。
結局は、自分のためだった。
“怖かった”のだ。
25歳年下の、あんな純粋な青年に、心を動かされてしまうのが。
(……馬鹿みたいね)
口元からため息がこぼれる。
もちろん、恋愛感情なんて、まだ芽生えていない——
そう言い聞かせていた。
でも、“あの傘の角度”ひとつで、こんなにも動揺している。
**
“年齢差”という言葉が、理奈の頭の中で何度も繰り返される。
49歳。
人生の半分を一人で生きてきた。
ビジネスの世界では、それなりの実績と信頼を築いてきた。
会社も、社員も、自分の力で守ってきた。
でも。
恋愛は?
女性としては?
……人としては?
何かを失ったまま、抱えたまま、ただ“立っている”だけのような気がした。
純の傘の下。
あの静かな時間の中、自分が“守られていた”と感じてしまったのは、たぶん——
本当は、ずっと“誰かに守られたかった”からだ。
「……やだ」
グラスを置き、額を手で押さえた。
考えすぎ。
ただの取材協力。
仕事。
教育。
そう繰り返しても、胸の奥の温度は消えなかった。
**
そのままスマホを手に取り、純から届いていたメールをもう一度読み返した。
混乱しているのは、悪いことじゃないと思います。
初めての感情に出会ったとき、人は皆、そうなるものです。
(自分で書いたくせに……)
その言葉が、今の自分にもぴたりとはまっているのが悔しかった。
**
そしてふと、純のプロフィール資料が入ったファイルを手に取った。
——24歳。
——男子校出身。
——文学部。
——恋愛経験なし。
読み慣れたはずの情報なのに、今見直すと、妙に胸に引っかかった。
恋愛経験がないのに、なぜこんなにも“自然に人を気遣える”のか。
それとも、それすら私が“恋愛感情”と錯覚しているだけなのか。
いや——違う。
あの優しさは、経験から生まれたものじゃない。
人としての“根”から来ているものだった。
(……怖いのよ、私は)
無意識に口に出していた。
本当は、彼にとって“初めて”の恋が、自分になってしまったらどうしようって。
あの子の人生の最初のページに、自分が刻まれてしまったら、どうしようって。
だって——私は、もう、終わった女のはずだった。
夫を亡くし、恋からも遠ざかり、社長という肩書だけを守って生きてきた。
そんな私が、“誰かの最初”になんて、なれるわけがない。
でも。
**
(……年齢の壁って、誰が作るのかしら)
自分よ。
全部、自分。
純はそんなこと、何も気にしていない。
彼は、ただ私を“結城理奈”として見ているだけ。
それが、どれほどまっすぐで、怖いことか。
**
深夜、机に向かいながら、ふとペンを取り、メモ帳にこう書いた。
Lesson 4:
「“年齢差”の先にあるものを、見つける」
これが次のテーマだ。
私自身が教えるために、私自身が乗り越えるべき“壁”。
もう、“歳の差”で逃げるのはやめよう。
まるで文字が頭に入ってこなかった。
——それほどまでに、雨の午後は、静かに心に残っていた。
「共に歩く」
「間を楽しむ」
「空気を読む」
今日のレッスンの課題は、たしかにそれだった。
そして、純は間違いなく、それを“ちゃんとやって”いた。
けれど。
(——あの傘を、少しだけ私のほうに傾けてくれたのよね)
思い出すたびに胸がざわつく。
「社長、髪が濡れるとまずいですよね」
そう言って、言葉少なに黙って傘を持ってくれた、あの静かな優しさ。
(……ああいうの、ずるい)
それは大人の余裕でも、男のリードでもない。
何かに慣れているわけでもなく、ただ彼なりに必死に“気を遣って”くれただけ。
けれど、あの瞬間の誠実さが、肌に直接触れるようだった。
**
帰宅して、シャワーを浴びた後。
グラスに白ワインを注ぎながら、リビングのソファに沈み込む。
雨はもう止んでいた。
夜の空に星は見えなかったけれど、東京の街明かりが反射して、ベランダの手すりがうっすら濡れて光っていた。
ふと、思った。
(私……“線”を引いていたのかもしれない)
年齢の線。
経験の線。
立場の線。
それらを超えてしまわないように。
“彼に本気にさせないため”の防波堤として。
(でも……それって、本当に彼のためだった?)
違う。
結局は、自分のためだった。
“怖かった”のだ。
25歳年下の、あんな純粋な青年に、心を動かされてしまうのが。
(……馬鹿みたいね)
口元からため息がこぼれる。
もちろん、恋愛感情なんて、まだ芽生えていない——
そう言い聞かせていた。
でも、“あの傘の角度”ひとつで、こんなにも動揺している。
**
“年齢差”という言葉が、理奈の頭の中で何度も繰り返される。
49歳。
人生の半分を一人で生きてきた。
ビジネスの世界では、それなりの実績と信頼を築いてきた。
会社も、社員も、自分の力で守ってきた。
でも。
恋愛は?
女性としては?
……人としては?
何かを失ったまま、抱えたまま、ただ“立っている”だけのような気がした。
純の傘の下。
あの静かな時間の中、自分が“守られていた”と感じてしまったのは、たぶん——
本当は、ずっと“誰かに守られたかった”からだ。
「……やだ」
グラスを置き、額を手で押さえた。
考えすぎ。
ただの取材協力。
仕事。
教育。
そう繰り返しても、胸の奥の温度は消えなかった。
**
そのままスマホを手に取り、純から届いていたメールをもう一度読み返した。
混乱しているのは、悪いことじゃないと思います。
初めての感情に出会ったとき、人は皆、そうなるものです。
(自分で書いたくせに……)
その言葉が、今の自分にもぴたりとはまっているのが悔しかった。
**
そしてふと、純のプロフィール資料が入ったファイルを手に取った。
——24歳。
——男子校出身。
——文学部。
——恋愛経験なし。
読み慣れたはずの情報なのに、今見直すと、妙に胸に引っかかった。
恋愛経験がないのに、なぜこんなにも“自然に人を気遣える”のか。
それとも、それすら私が“恋愛感情”と錯覚しているだけなのか。
いや——違う。
あの優しさは、経験から生まれたものじゃない。
人としての“根”から来ているものだった。
(……怖いのよ、私は)
無意識に口に出していた。
本当は、彼にとって“初めて”の恋が、自分になってしまったらどうしようって。
あの子の人生の最初のページに、自分が刻まれてしまったら、どうしようって。
だって——私は、もう、終わった女のはずだった。
夫を亡くし、恋からも遠ざかり、社長という肩書だけを守って生きてきた。
そんな私が、“誰かの最初”になんて、なれるわけがない。
でも。
**
(……年齢の壁って、誰が作るのかしら)
自分よ。
全部、自分。
純はそんなこと、何も気にしていない。
彼は、ただ私を“結城理奈”として見ているだけ。
それが、どれほどまっすぐで、怖いことか。
**
深夜、机に向かいながら、ふとペンを取り、メモ帳にこう書いた。
Lesson 4:
「“年齢差”の先にあるものを、見つける」
これが次のテーマだ。
私自身が教えるために、私自身が乗り越えるべき“壁”。
もう、“歳の差”で逃げるのはやめよう。
0
あなたにおすすめの小説
里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります>
政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
紙の上の空
中谷ととこ
ライト文芸
小学六年生の夏、父が突然、兄を連れてきた。
容姿に恵まれて才色兼備、誰もが憧れてしまう女性でありながら、裏表のない竹を割ったような性格の八重嶋碧(31)は、幼い頃からどこにいても注目され、男女問わず人気がある。
欲しいものは何でも手に入りそうな彼女だが、本当に欲しいものは自分のものにはならない。欲しいすら言えない。長い長い片想いは成就する見込みはなく半分腐りかけているのだが、なかなか捨てることができずにいた。
血の繋がりはない、兄の八重嶋公亮(33)は、未婚だがとっくに独立し家を出ている。
公亮の親友で、碧とは幼い頃からの顔見知りでもある、斎木丈太郎(33)は、碧の会社の近くのフレンチ店で料理人をしている。お互いに好き勝手言える気心の知れた仲だが、こちらはこちらで本心は隠したまま碧の動向を見守っていた。
思い出さなければ良かったのに
田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。
大事なことを忘れたまま。
*本編完結済。不定期で番外編を更新中です。
身分差婚~あなたの妻になれないはずだった~
椿蛍
恋愛
「息子と別れていただけないかしら?」
私を脅して、別れを決断させた彼の両親。
彼は高級住宅地『都久山』で王子様と呼ばれる存在。
私とは住む世界が違った……
別れを命じられ、私の恋が終わった。
叶わない身分差の恋だったはずが――
※R-15くらいなので※マークはありません。
※視点切り替えあり。
※2日間は1日3回更新、3日目から1日2回更新となります。
✿ 私は夫のことが好きなのに、彼は私なんかよりずっと若くてきれいでスタイルの良い女が好きらしい
設楽理沙
ライト文芸
累計ポイント110万ポイント超えました。皆さま、ありがとうございます。❀
結婚後、2か月足らずで夫の心変わりを知ることに。
結婚前から他の女性と付き合っていたんだって。
それならそうと、ちゃんと話してくれていれば、結婚なんて
しなかった。
呆れた私はすぐに家を出て自立の道を探すことにした。
それなのに、私と別れたくないなんて信じられない
世迷言を言ってくる夫。
だめだめ、信用できないからね~。
さようなら。
*******.✿..✿.*******
◇|日比野滉星《ひびのこうせい》32才 会社員
◇ 日比野ひまり 32才
◇ 石田唯 29才 滉星の同僚
◇新堂冬也 25才 ひまりの転職先の先輩(鉄道会社)
2025.4.11 完結 25649字
🥕おしどり夫婦として12年間の結婚生活を過ごしてきたが一波乱あり、妻は夫を誰かに譲りたくなるのだった。
設楽理沙
ライト文芸
2026.1.4 73話見直した際、瑛士の台詞《本音/懺悔》を加筆しました。😇
☘ 累計ポイント/ 200万pt 超えました。ありがとうございます。
―― 備忘録 ――
第8回ライト文芸大賞では大賞2位ではじまり2位で終了。 最高 57,392 pt
〃 24h/pt-1位ではじまり2位で終了。 最高 89,034 pt
◇ ◇ ◇ ◇
紳士的でいつだって私や私の両親にやさしくしてくれる
素敵な旦那さま・・だと思ってきたのに。
隠された夫の一面を知った日から、眞奈の苦悩が
始まる。
苦しくて、悲しくてもののすごく惨めで・・
消えてしまいたいと思う眞奈は小さな子供のように
大きな声で泣いた。
泣きながらも、よろけながらも、気がつけば
大地をしっかりと踏みしめていた。
そう、立ち止まってなんていられない。
☆-★-☆-★+☆-★-☆-★+☆-★-☆-★
2025.4.19☑~
サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします
二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位!
※この物語はフィクションです
流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。
当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。
優しい雨が降る夜は
葉月 まい
恋愛
浮世離れした地味子 × 外資系ITコンサルのエリートイケメン
無自覚にモテる地味子に
余裕もなく翻弄されるイケメン
二人の恋は一筋縄ではいかなくて……
雨降る夜に心に届いた
優しい恋の物語
⟡☾·̩͙⋆☔┈┈┈ 登場人物 ┈┈┈ ☔⋆·̩͙☽⟡
風間 美月(24歳)……コミュニティセンター勤務・地味でお堅い性格
雨宮 優吾(28歳)……外資系ITコンサルティング会社勤務のエリートイケメン
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる