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第十七話:教える、だけのつもりだった
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「じゃあ、次のレッスン、金曜日の午後に時間取れる?」
結城理奈社長からのメッセージは、いつも通り短く、端的だった。
けれど、どこか“余白”を感じた。
一瞬で即答した。
はい、空けておきます。
前回のレッスンから、まだ数日しか経っていない。
それなのに、次の約束をもらえたことに、心のどこかがふっと温かくなる。
(……変だな)
ほんの少し前まで、彼女の前に立つたびに、緊張してばかりだった。
なのに、最近は会うのが楽しみになっている。
“教育を受ける側”なのに、どこか“誰かに会いに行く”ような気持ちになっていた。
待ち合わせは、池袋のサンシャイン通り裏にある、静かな美術館だった。
テーマは「恋愛と絵画」。
展示されているのは、国内外の古典画家たちによる男女の肖像画や恋愛を描いた作品たち。
「今日のテーマは“空間を共有する”よ」
美術館の入口でそう言った彼女は、ベージュのニットにシンプルなグレーのロングスカート。
前回の雨の日よりも少し柔らかい雰囲気で、どこか“女性らしさ”が滲んでいた。
(……社長って、こんな服も着るんだ)
少し驚いて、でも見惚れてしまう。
けれど、彼女は相変わらず一歩も隙を見せない。
歩きながらも表情は穏やかで、目線は常に展示の先に向いている。
**
「恋愛ってね、最終的には“言葉よりも空間”だと思うの」
「……空間?」
「言葉は最初だけ。“好き”とか、“嫌い”とか、そういう感情の確認に必要なもの。
でも一緒に時間を過ごすと、言葉は減っていく。
そのときに“沈黙が苦じゃない相手”って、すごく大事なのよ」
彼女の言葉はいつも、少し先を歩いている。
大人の女性らしい経験値。
冷静さと、ほんの少しの寂しさをまとっている。
「新田くんは、同世代の子とちゃんと付き合えるようにならなきゃね」
——その言葉が、突然落ちてきた。
僕は足を止めて、彼女の横顔を見た。
「……同世代、ですか?」
「ええ。あなたはまだ若い。これからたくさん恋をして、失敗して、経験を積んでいくもの。
だから、“こういう大人の女性”じゃなくて、同じような目線で会話できる人を見つけなさい。
そのとき、ちゃんとリードできるように、私は“教育”しているの」
……それは、そうなのかもしれない。
いや、きっと“正解”なのだ。
僕は24歳で、彼女は49歳。
同じ世代ではない。
彼女が言っているのは、正論だ。
だけど、どうしてだろう。
(……じゃあ、僕が今、社長に会いたいと思う気持ちは、間違ってるのか?)
その問いが、喉元まで上がってくるのを、なんとか飲み込んだ。
**
美術館を出た後、近くのカフェに入った。
今日は混み合っていて、二人掛けの小さな席に並んで座ることになった。
いつもより近い距離。
膝が少しだけ触れる。
けれど、彼女はまったく動じない。
優雅にカップを持ち、コーヒーに口をつける。
(……これが“年齢の余裕”なのかな)
自分が子どもに思えてくる。
この距離でこんなに緊張しているのに、彼女は何も変わらない。
だけど、ふと気づいた。
その右手——指に光る銀の指輪。
それを、彼女がふと触れるように、親指で撫でた瞬間。
僕は、何も言えなくなった。
**
帰り道、彼女は改札の前で立ち止まった。
「今日のレッスン、お疲れさま。少しずつ、慣れてきたわね」
「……ありがとうございます」
「次回はもう少し、“相手の目を見る練習”を増やしましょうか」
「……はい」
でも、本当は目を見て言えなかった。
“社長のことを、もっと知りたいんです”なんて、
“誰かと並んで歩くなら、今は社長がいい”なんて。
そう思ってしまう自分を、うまく隠すことしかできなかった。
**
夜、自室でノートを開いた。
今日のレッスンの記録を残すページの下に、
思わずこんなふうに書いてしまった。
「教育されてる側なのに、
気づけば自分のほうが、何かを求めている気がする」
そして、次の一行。
「“同世代の恋”ができるようにって言われたけれど、
今、一番会いたいのは“彼女”だということに、
気づいてしまったのは、いけないことですか?」
その問いに、答えてくれる人は誰もいなかった。
結城理奈社長からのメッセージは、いつも通り短く、端的だった。
けれど、どこか“余白”を感じた。
一瞬で即答した。
はい、空けておきます。
前回のレッスンから、まだ数日しか経っていない。
それなのに、次の約束をもらえたことに、心のどこかがふっと温かくなる。
(……変だな)
ほんの少し前まで、彼女の前に立つたびに、緊張してばかりだった。
なのに、最近は会うのが楽しみになっている。
“教育を受ける側”なのに、どこか“誰かに会いに行く”ような気持ちになっていた。
待ち合わせは、池袋のサンシャイン通り裏にある、静かな美術館だった。
テーマは「恋愛と絵画」。
展示されているのは、国内外の古典画家たちによる男女の肖像画や恋愛を描いた作品たち。
「今日のテーマは“空間を共有する”よ」
美術館の入口でそう言った彼女は、ベージュのニットにシンプルなグレーのロングスカート。
前回の雨の日よりも少し柔らかい雰囲気で、どこか“女性らしさ”が滲んでいた。
(……社長って、こんな服も着るんだ)
少し驚いて、でも見惚れてしまう。
けれど、彼女は相変わらず一歩も隙を見せない。
歩きながらも表情は穏やかで、目線は常に展示の先に向いている。
**
「恋愛ってね、最終的には“言葉よりも空間”だと思うの」
「……空間?」
「言葉は最初だけ。“好き”とか、“嫌い”とか、そういう感情の確認に必要なもの。
でも一緒に時間を過ごすと、言葉は減っていく。
そのときに“沈黙が苦じゃない相手”って、すごく大事なのよ」
彼女の言葉はいつも、少し先を歩いている。
大人の女性らしい経験値。
冷静さと、ほんの少しの寂しさをまとっている。
「新田くんは、同世代の子とちゃんと付き合えるようにならなきゃね」
——その言葉が、突然落ちてきた。
僕は足を止めて、彼女の横顔を見た。
「……同世代、ですか?」
「ええ。あなたはまだ若い。これからたくさん恋をして、失敗して、経験を積んでいくもの。
だから、“こういう大人の女性”じゃなくて、同じような目線で会話できる人を見つけなさい。
そのとき、ちゃんとリードできるように、私は“教育”しているの」
……それは、そうなのかもしれない。
いや、きっと“正解”なのだ。
僕は24歳で、彼女は49歳。
同じ世代ではない。
彼女が言っているのは、正論だ。
だけど、どうしてだろう。
(……じゃあ、僕が今、社長に会いたいと思う気持ちは、間違ってるのか?)
その問いが、喉元まで上がってくるのを、なんとか飲み込んだ。
**
美術館を出た後、近くのカフェに入った。
今日は混み合っていて、二人掛けの小さな席に並んで座ることになった。
いつもより近い距離。
膝が少しだけ触れる。
けれど、彼女はまったく動じない。
優雅にカップを持ち、コーヒーに口をつける。
(……これが“年齢の余裕”なのかな)
自分が子どもに思えてくる。
この距離でこんなに緊張しているのに、彼女は何も変わらない。
だけど、ふと気づいた。
その右手——指に光る銀の指輪。
それを、彼女がふと触れるように、親指で撫でた瞬間。
僕は、何も言えなくなった。
**
帰り道、彼女は改札の前で立ち止まった。
「今日のレッスン、お疲れさま。少しずつ、慣れてきたわね」
「……ありがとうございます」
「次回はもう少し、“相手の目を見る練習”を増やしましょうか」
「……はい」
でも、本当は目を見て言えなかった。
“社長のことを、もっと知りたいんです”なんて、
“誰かと並んで歩くなら、今は社長がいい”なんて。
そう思ってしまう自分を、うまく隠すことしかできなかった。
**
夜、自室でノートを開いた。
今日のレッスンの記録を残すページの下に、
思わずこんなふうに書いてしまった。
「教育されてる側なのに、
気づけば自分のほうが、何かを求めている気がする」
そして、次の一行。
「“同世代の恋”ができるようにって言われたけれど、
今、一番会いたいのは“彼女”だということに、
気づいてしまったのは、いけないことですか?」
その問いに、答えてくれる人は誰もいなかった。
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