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第二十話:気持ちが育つ音を、聞いてしまった
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——本当は、冗談みたいな“レッスン”のつもりだった。
恋愛未経験の若い作家志望の青年に、
ほんの少し“リアル”を知ってもらうための、軽い擬似恋愛。
実体験をフィクションに落とし込むための、素材集め。
“私”はあくまで、先生であり、教育者であり、“相手”じゃなかった。
それなのに。
(……これは、もう“他人の成長”を見る顔ではいられない)
**
純が言った言葉は、何気ない一文だった。
「社長といると、言葉がいらなくなる時があります」
「喋らなくても、そばにいられる感じがして……それが、すごく、心地いいです」
あの瞬間、私はきちんと“理奈”として彼の言葉を聞いてしまった。
そして、胸の奥にふっと、小さな音が鳴った。
まるで、地中で根が伸びるときの音。
見えないところで、小さな種が芽吹いて、伸びて、広がっていくような——
そんな“恋が育ちはじめる音”。
……そして、それは明らかに、“私の中”で起きていた。
**
帰宅して、部屋の明かりをつけたとき。
指輪がカランと音を立てた。
机の上に置いてあったマグカップに、ぶつかっただけ。
けれど、その音がやけに鋭くて、私を現実に引き戻した。
(だめよ、理奈)
手を止めて、両手で顔を覆う。
(何をしてるの。あなた、49歳よ)
若い子にこんなふうに揺れてどうするの。
彼はまだ24歳。
作家としても、人間としても、ようやく旅を始めたばかり。
私が与えるべきは、“疑似恋愛”じゃなく、“安全な成長”。
それなのに——
(私の方が、“恋”に触れてしまっている)
**
純の視線は、まっすぐだった。
媚びない。
怖がらない。
そして、まだ誰にも染められていない眼差し。
それが、時々すごく、眩しくて苦しい。
私にとって、男の目はずっと“測る”ものだった。
欲望の目か。
利用の目か。
それとも興味の目か。
純の目は、そのどれでもなかった。
ただ、目の前の“私”を、そのまま見ていた。
正確に。
丁寧に。
たぶん、どこまでも真面目に。
そして、言葉を尽くして伝えようとしていた。
(どうして、あんなふうに言えるのかしら……)
“喋らなくても、そばにいられる感じがして”
あれは、恋人たちが最後にたどり着く境地。
言葉も、駆け引きも超えたところにある、静かな信頼。
それを、たった数回のレッスンで感じ取ってしまうなんて。
それを“心地いい”なんて表現できるなんて。
(あの子、本当に恋したことがないのかしら)
……私に?
違う。
そんなはず、ない。
でも、“その一歩手前”には確実に、彼の感情が立っている気がした。
**
ソファに座って、グラスに注いだ赤ワインを揺らしながら、窓の外を見る。
ネオンの滲むガラス越しに映った自分は、思ったよりもずっと静かだった。
もっと動揺しているかと思っていた。
もっと、自分に苛立っているかと思っていた。
でも——どこか、ほんの少しだけ嬉しかった。
(そうよ、誰かの“心の中”に入ることは、悪いことじゃない)
たとえそれが、二度と戻らないものだとしても。
私の年齢が、彼にとって非現実だったとしても。
ほんの一瞬でも、誰かの言葉の中に、自分が“居場所”を見つけることができたのなら。
それは、悪いことじゃない。
**
それでも。
それでも、私は“線”を引かなければならない。
あの子は、きっと私以上に繊細で、真面目で、まっすぐで。
だからこそ、この感情を“恋”と間違えさせてはいけない。
それは、私の責任だ。
私は教師であり、手本であり、“終わった恋”を抱えた大人だ。
だから、次のレッスンでは、また少しだけ冷たくなろうと思った。
ほんの少し距離を置いて。
ほんの少し温度を落として。
彼が、正しい方向に進めるように。
私が、間違った場所に立ってしまわないように。
そう、決めたはずだったのに——
**
ベッドに入る前、スマートフォンのメモ帳に、ぽつりと書き残していた。
「“心地いい”って言葉に、
どうしてこんなに救われてしまうんだろう」
その一文が、
自分の胸の奥にあった“欠けたままの場所”を、まるで映し出している気がした。
——この気持ちが、
“恋”にならなければいいと願いながら、
けれどどこかで、もうその種が芽吹いてしまったことを、
私は、きっと知ってしまっている。
恋愛未経験の若い作家志望の青年に、
ほんの少し“リアル”を知ってもらうための、軽い擬似恋愛。
実体験をフィクションに落とし込むための、素材集め。
“私”はあくまで、先生であり、教育者であり、“相手”じゃなかった。
それなのに。
(……これは、もう“他人の成長”を見る顔ではいられない)
**
純が言った言葉は、何気ない一文だった。
「社長といると、言葉がいらなくなる時があります」
「喋らなくても、そばにいられる感じがして……それが、すごく、心地いいです」
あの瞬間、私はきちんと“理奈”として彼の言葉を聞いてしまった。
そして、胸の奥にふっと、小さな音が鳴った。
まるで、地中で根が伸びるときの音。
見えないところで、小さな種が芽吹いて、伸びて、広がっていくような——
そんな“恋が育ちはじめる音”。
……そして、それは明らかに、“私の中”で起きていた。
**
帰宅して、部屋の明かりをつけたとき。
指輪がカランと音を立てた。
机の上に置いてあったマグカップに、ぶつかっただけ。
けれど、その音がやけに鋭くて、私を現実に引き戻した。
(だめよ、理奈)
手を止めて、両手で顔を覆う。
(何をしてるの。あなた、49歳よ)
若い子にこんなふうに揺れてどうするの。
彼はまだ24歳。
作家としても、人間としても、ようやく旅を始めたばかり。
私が与えるべきは、“疑似恋愛”じゃなく、“安全な成長”。
それなのに——
(私の方が、“恋”に触れてしまっている)
**
純の視線は、まっすぐだった。
媚びない。
怖がらない。
そして、まだ誰にも染められていない眼差し。
それが、時々すごく、眩しくて苦しい。
私にとって、男の目はずっと“測る”ものだった。
欲望の目か。
利用の目か。
それとも興味の目か。
純の目は、そのどれでもなかった。
ただ、目の前の“私”を、そのまま見ていた。
正確に。
丁寧に。
たぶん、どこまでも真面目に。
そして、言葉を尽くして伝えようとしていた。
(どうして、あんなふうに言えるのかしら……)
“喋らなくても、そばにいられる感じがして”
あれは、恋人たちが最後にたどり着く境地。
言葉も、駆け引きも超えたところにある、静かな信頼。
それを、たった数回のレッスンで感じ取ってしまうなんて。
それを“心地いい”なんて表現できるなんて。
(あの子、本当に恋したことがないのかしら)
……私に?
違う。
そんなはず、ない。
でも、“その一歩手前”には確実に、彼の感情が立っている気がした。
**
ソファに座って、グラスに注いだ赤ワインを揺らしながら、窓の外を見る。
ネオンの滲むガラス越しに映った自分は、思ったよりもずっと静かだった。
もっと動揺しているかと思っていた。
もっと、自分に苛立っているかと思っていた。
でも——どこか、ほんの少しだけ嬉しかった。
(そうよ、誰かの“心の中”に入ることは、悪いことじゃない)
たとえそれが、二度と戻らないものだとしても。
私の年齢が、彼にとって非現実だったとしても。
ほんの一瞬でも、誰かの言葉の中に、自分が“居場所”を見つけることができたのなら。
それは、悪いことじゃない。
**
それでも。
それでも、私は“線”を引かなければならない。
あの子は、きっと私以上に繊細で、真面目で、まっすぐで。
だからこそ、この感情を“恋”と間違えさせてはいけない。
それは、私の責任だ。
私は教師であり、手本であり、“終わった恋”を抱えた大人だ。
だから、次のレッスンでは、また少しだけ冷たくなろうと思った。
ほんの少し距離を置いて。
ほんの少し温度を落として。
彼が、正しい方向に進めるように。
私が、間違った場所に立ってしまわないように。
そう、決めたはずだったのに——
**
ベッドに入る前、スマートフォンのメモ帳に、ぽつりと書き残していた。
「“心地いい”って言葉に、
どうしてこんなに救われてしまうんだろう」
その一文が、
自分の胸の奥にあった“欠けたままの場所”を、まるで映し出している気がした。
——この気持ちが、
“恋”にならなければいいと願いながら、
けれどどこかで、もうその種が芽吹いてしまったことを、
私は、きっと知ってしまっている。
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