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第二十一話:恋って、いったいどこから始まるんですか
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(……あれ?)
会ってすぐ、違和感があった。
理奈社長の声の調子でもない。
服装でも、仕草でもない。
たぶん、“空気”だった。
ほんの少しだけ、空気が冷たい。
これまで感じたことのない、わずかな“距離”。
目を逸らされたわけじゃない。
優しさが消えたわけでもない。
でも、彼女の目が、心の奥まで届かないところにいるような気がした。
……そう、“壁”があるような。
**
「今日のレッスンは?」
いつも通りの、落ち着いた口調。
応接スペースで差し出された紅茶は、香り高く、温度もちょうどよかった。
「“立ち居振る舞い”。
付き合っている相手と、外で会った時の振る舞いを想定してやってみましょうか」
「はい……」
「待ち合わせから、カフェに入るところまで。
私を“彼女”だと思って、スムーズにエスコートしてみて」
(……うん、やっぱり“距離”がある)
視線は合うのに、温度が届かない。
言葉は優しいのに、触れられない。
前回、美術館で彼女の目を見て話した時——
いや、“彼女を見た”あの日は、確かにもっと近かった。
まるで、その後ろ姿ごと、自分に手を伸ばしてくれるような距離だった。
でも今日の理奈さんは、“役割”に戻っていた。
“教育者”として、完璧に、綺麗に。
(……どうして?)
レッスン中、僕は上手く話せなかった。
カフェで椅子を引くタイミング、
メニューを勧める言葉、
会話の切り出し方。
全部、ぎこちなくなっていた。
「緊張してる?」
「……少し、だけです」
「でも、表情は崩さないように。
恋人との外出は、あなたにとって“安心”なはずだから」
わかってる。
わかってるけど……“恋人”の演技が、今日はうまくできない。
なぜなら、
本当は今、“不安”でしかないから。
**
(社長は、僕を避けようとしてる……?)
そんな疑念が、ふとよぎる。
もしかして、前回のあれが、踏み込みすぎた?
「社長といると、言葉がいらない」なんて、
感情が見えすぎてた?
だとしたら……それって、
もう“レッスンの枠”を越えてたってことなんじゃないか。
でも、だったら。
(……僕が感じていたものって、やっぱり“恋”だったのかな)
その言葉を、初めて頭の中で“明確に”置いてみた。
恋。
それは、書くための道具だったはずだった。
誰かに教えてもらう感情。
理解するべき対象。
でも、今は——
僕の胸の中にあるこのザワザワとした焦りも、
視線が合わないだけで喉の奥が詰まるようなこの苦しさも、
彼女の声が少しだけ低く聞こえるだけで心臓がひやりとするこの感覚も……
全部、“恋”ってやつじゃないのか?
**
レッスンを終えて、駅まで送ってもらう道すがら。
今日の帰り道も、社長はいつも通りだった。
でもその“いつも通り”が、どこか遠く感じて。
どうしても、何か一言、聞きたくて、口を開いた。
「……僕、最近、わからなくなるんです」
「何が?」
「……“恋”って、どこから始まるのか。
誰かを意識するだけでも、それは恋なんですか?」
理奈さんの足が、ふと止まった。
横断歩道の前。赤信号。
少しの沈黙のあと、彼女は言った。
「……それは、自分の中でしか答えの出ない問いよ」
「でも……」
「新田くん、あなたが今そうやって苦しんでることも、
その問いを口に出す勇気を持ったことも——
それ自体が、もう“始まり”なんじゃないかしら」
赤信号が青に変わる。
彼女は小さく笑って、歩き出した。
**
その笑顔を見て、僕はもう確信してしまった。
恋は、もう始まっている。
しかも、それは僕だけじゃなく——
たぶん、彼女の中でも。
でも、彼女はそれをきっと認めない。
それが“正しい距離”だと、思い込んでいるから。
それでも、僕はもう戻れない。
“書くため”じゃなく、“生きるため”に、この恋に向き合わなければいけない。
なぜなら、
僕はもう、彼女の声が届かないだけで、
こんなにも苦しくなる人間になってしまったから。
会ってすぐ、違和感があった。
理奈社長の声の調子でもない。
服装でも、仕草でもない。
たぶん、“空気”だった。
ほんの少しだけ、空気が冷たい。
これまで感じたことのない、わずかな“距離”。
目を逸らされたわけじゃない。
優しさが消えたわけでもない。
でも、彼女の目が、心の奥まで届かないところにいるような気がした。
……そう、“壁”があるような。
**
「今日のレッスンは?」
いつも通りの、落ち着いた口調。
応接スペースで差し出された紅茶は、香り高く、温度もちょうどよかった。
「“立ち居振る舞い”。
付き合っている相手と、外で会った時の振る舞いを想定してやってみましょうか」
「はい……」
「待ち合わせから、カフェに入るところまで。
私を“彼女”だと思って、スムーズにエスコートしてみて」
(……うん、やっぱり“距離”がある)
視線は合うのに、温度が届かない。
言葉は優しいのに、触れられない。
前回、美術館で彼女の目を見て話した時——
いや、“彼女を見た”あの日は、確かにもっと近かった。
まるで、その後ろ姿ごと、自分に手を伸ばしてくれるような距離だった。
でも今日の理奈さんは、“役割”に戻っていた。
“教育者”として、完璧に、綺麗に。
(……どうして?)
レッスン中、僕は上手く話せなかった。
カフェで椅子を引くタイミング、
メニューを勧める言葉、
会話の切り出し方。
全部、ぎこちなくなっていた。
「緊張してる?」
「……少し、だけです」
「でも、表情は崩さないように。
恋人との外出は、あなたにとって“安心”なはずだから」
わかってる。
わかってるけど……“恋人”の演技が、今日はうまくできない。
なぜなら、
本当は今、“不安”でしかないから。
**
(社長は、僕を避けようとしてる……?)
そんな疑念が、ふとよぎる。
もしかして、前回のあれが、踏み込みすぎた?
「社長といると、言葉がいらない」なんて、
感情が見えすぎてた?
だとしたら……それって、
もう“レッスンの枠”を越えてたってことなんじゃないか。
でも、だったら。
(……僕が感じていたものって、やっぱり“恋”だったのかな)
その言葉を、初めて頭の中で“明確に”置いてみた。
恋。
それは、書くための道具だったはずだった。
誰かに教えてもらう感情。
理解するべき対象。
でも、今は——
僕の胸の中にあるこのザワザワとした焦りも、
視線が合わないだけで喉の奥が詰まるようなこの苦しさも、
彼女の声が少しだけ低く聞こえるだけで心臓がひやりとするこの感覚も……
全部、“恋”ってやつじゃないのか?
**
レッスンを終えて、駅まで送ってもらう道すがら。
今日の帰り道も、社長はいつも通りだった。
でもその“いつも通り”が、どこか遠く感じて。
どうしても、何か一言、聞きたくて、口を開いた。
「……僕、最近、わからなくなるんです」
「何が?」
「……“恋”って、どこから始まるのか。
誰かを意識するだけでも、それは恋なんですか?」
理奈さんの足が、ふと止まった。
横断歩道の前。赤信号。
少しの沈黙のあと、彼女は言った。
「……それは、自分の中でしか答えの出ない問いよ」
「でも……」
「新田くん、あなたが今そうやって苦しんでることも、
その問いを口に出す勇気を持ったことも——
それ自体が、もう“始まり”なんじゃないかしら」
赤信号が青に変わる。
彼女は小さく笑って、歩き出した。
**
その笑顔を見て、僕はもう確信してしまった。
恋は、もう始まっている。
しかも、それは僕だけじゃなく——
たぶん、彼女の中でも。
でも、彼女はそれをきっと認めない。
それが“正しい距離”だと、思い込んでいるから。
それでも、僕はもう戻れない。
“書くため”じゃなく、“生きるため”に、この恋に向き合わなければいけない。
なぜなら、
僕はもう、彼女の声が届かないだけで、
こんなにも苦しくなる人間になってしまったから。
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