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第二十五話:今なら、ほんの少しだけ触れられる気がした
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ずっと、“一線”があると思っていた。
彼女と自分の間には、
越えてはいけない線が引かれていて、
それを踏み越えることは“冒涜”だと思っていた。
年齢差。
立場。
経験値。
そして、彼女が背負っている過去。
だから、僕は“距離を守ること”が誠実だと信じていた。
手を伸ばさないことが、敬意だと信じていた。
——だけど。
あの日、社長の自宅で。
別れ際に彼女がふいに向けた、あの問い。
「ねえ、新田くん。……あなた、“私のこと”どう思ってるの?」
その言葉は、明らかに“線の外側”にあった。
そして僕は、
たぶん、そのときからずっと、
その線がもう曖昧になっていることに、気づいていた。
**
午後、原稿に煮詰まり、ノートPCを閉じてベランダに出た。
冷えた秋の空気が、首元を抜けていく。
(今なら……)
根拠はなかった。
でも、感覚として“届く”と思えた。
彼女の中に、僕の言葉を受け止める準備が、
ほんのわずかだけ、芽生えている気がした。
たとえば、それは
前よりも少しだけ長く続く視線だったり、
声の抑揚だったり、
“あえて避けている話題”の存在だったり。
彼女はきっと、自分の感情を“押さえ込もう”としている。
だからこそ、視線に揺れがある。
それがわかるようになったのは、
……きっと僕の目が、彼女だけを見続けているからだ。
**
(でも、今の僕に、何ができる?)
好きだと、言ってしまえば終わるかもしれない。
彼女はきっと、やんわりと笑って、距離を戻す。
そうなるくらいなら……今はまだ、焦らない方がいい。
“触れる”んじゃなくて、
“届かせる”。
声でも、言葉でもない。
行動で、気配で、目に見えないもので——彼女の心に触れる方法を、探したい。
**
次のレッスンは、週末。
その日、僕は少しだけ違う準備をして彼女のもとを訪ねた。
手土産に、小さな焼き菓子の詰め合わせ。
有名なパティスリーのものではなく、地元の小さな喫茶店で見つけたもの。
「……これ、通りがかりの店で。社長、甘いもの好きだったなと思って」
彼女は、少し驚いた顔をしたあと、
すぐに“仕事のスイッチ”を入れたように微笑んだ。
「ありがとう。でも、こういうのは気を遣わなくていいのよ」
そう言った唇の動きに、ほんの一瞬、戸惑いが見えた。
(……やっぱり、何かが“揺れてる”)
**
レッスンの内容は、文章表現における“間”と“行間”についてだった。
でも、僕の意識はどこかずっと、
彼女の指先や、言葉の選び方や、目の動きに向いていた。
そして、帰り際。
また、あの“玄関の空気”がやってきた。
帰らなければいけない。
でも、帰りたくない。
何かを言いたい。
でも、何も言えない。
そんな沈黙が、空間を支配する。
**
「社長」
靴を履きながら、僕はふと呼んだ。
彼女はドアノブに手をかけたまま、振り返る。
「はい?」
その姿に、はっとする。
照明の光が横顔を照らして、
頬のラインがいつもより柔らかく見えた。
その一瞬に、僕は確信してしまった。
——今なら、少しだけ触れられる。
心に。
想いに。
過去に。
だから、慎重に言葉を選んだ。
「社長って、誰かに“教えない”で、ただ一緒にいられた時間って……今までありましたか?」
彼女の目が、すっと揺れた。
ほんの一瞬、呼吸が止まったように見えた。
「……少しだけでいいから、
僕のそばにいる時間も、“教える”じゃなくて、“いてくれるだけ”でいいんです」
静かに、そう伝えた。
すると、彼女はしばらく黙ってから、こう言った。
「……あなた、本当に……ずるいわね」
その言葉が、
泣きそうなくらい優しかった。
**
その夜。
彼女から短いメッセージが届いた。
“いてくれるだけ”って言葉、ちょっと響いたわ。
今日はありがとう。お菓子、美味しかった。
それだけなのに、
胸の奥に灯りがともったように、温かくなった。
(もう、戻れない)
でも、それでいい。
恋ってきっと、こうして“少しずつ触れていくもの”なんだ。
まだ言葉にはしない。
まだ答えはもらえない。
でも、確かに心が、彼女のほうへ向かっている。
彼女と自分の間には、
越えてはいけない線が引かれていて、
それを踏み越えることは“冒涜”だと思っていた。
年齢差。
立場。
経験値。
そして、彼女が背負っている過去。
だから、僕は“距離を守ること”が誠実だと信じていた。
手を伸ばさないことが、敬意だと信じていた。
——だけど。
あの日、社長の自宅で。
別れ際に彼女がふいに向けた、あの問い。
「ねえ、新田くん。……あなた、“私のこと”どう思ってるの?」
その言葉は、明らかに“線の外側”にあった。
そして僕は、
たぶん、そのときからずっと、
その線がもう曖昧になっていることに、気づいていた。
**
午後、原稿に煮詰まり、ノートPCを閉じてベランダに出た。
冷えた秋の空気が、首元を抜けていく。
(今なら……)
根拠はなかった。
でも、感覚として“届く”と思えた。
彼女の中に、僕の言葉を受け止める準備が、
ほんのわずかだけ、芽生えている気がした。
たとえば、それは
前よりも少しだけ長く続く視線だったり、
声の抑揚だったり、
“あえて避けている話題”の存在だったり。
彼女はきっと、自分の感情を“押さえ込もう”としている。
だからこそ、視線に揺れがある。
それがわかるようになったのは、
……きっと僕の目が、彼女だけを見続けているからだ。
**
(でも、今の僕に、何ができる?)
好きだと、言ってしまえば終わるかもしれない。
彼女はきっと、やんわりと笑って、距離を戻す。
そうなるくらいなら……今はまだ、焦らない方がいい。
“触れる”んじゃなくて、
“届かせる”。
声でも、言葉でもない。
行動で、気配で、目に見えないもので——彼女の心に触れる方法を、探したい。
**
次のレッスンは、週末。
その日、僕は少しだけ違う準備をして彼女のもとを訪ねた。
手土産に、小さな焼き菓子の詰め合わせ。
有名なパティスリーのものではなく、地元の小さな喫茶店で見つけたもの。
「……これ、通りがかりの店で。社長、甘いもの好きだったなと思って」
彼女は、少し驚いた顔をしたあと、
すぐに“仕事のスイッチ”を入れたように微笑んだ。
「ありがとう。でも、こういうのは気を遣わなくていいのよ」
そう言った唇の動きに、ほんの一瞬、戸惑いが見えた。
(……やっぱり、何かが“揺れてる”)
**
レッスンの内容は、文章表現における“間”と“行間”についてだった。
でも、僕の意識はどこかずっと、
彼女の指先や、言葉の選び方や、目の動きに向いていた。
そして、帰り際。
また、あの“玄関の空気”がやってきた。
帰らなければいけない。
でも、帰りたくない。
何かを言いたい。
でも、何も言えない。
そんな沈黙が、空間を支配する。
**
「社長」
靴を履きながら、僕はふと呼んだ。
彼女はドアノブに手をかけたまま、振り返る。
「はい?」
その姿に、はっとする。
照明の光が横顔を照らして、
頬のラインがいつもより柔らかく見えた。
その一瞬に、僕は確信してしまった。
——今なら、少しだけ触れられる。
心に。
想いに。
過去に。
だから、慎重に言葉を選んだ。
「社長って、誰かに“教えない”で、ただ一緒にいられた時間って……今までありましたか?」
彼女の目が、すっと揺れた。
ほんの一瞬、呼吸が止まったように見えた。
「……少しだけでいいから、
僕のそばにいる時間も、“教える”じゃなくて、“いてくれるだけ”でいいんです」
静かに、そう伝えた。
すると、彼女はしばらく黙ってから、こう言った。
「……あなた、本当に……ずるいわね」
その言葉が、
泣きそうなくらい優しかった。
**
その夜。
彼女から短いメッセージが届いた。
“いてくれるだけ”って言葉、ちょっと響いたわ。
今日はありがとう。お菓子、美味しかった。
それだけなのに、
胸の奥に灯りがともったように、温かくなった。
(もう、戻れない)
でも、それでいい。
恋ってきっと、こうして“少しずつ触れていくもの”なんだ。
まだ言葉にはしない。
まだ答えはもらえない。
でも、確かに心が、彼女のほうへ向かっている。
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