30 / 75
第三十話:「“ありがとう”の一言が、どうしても喉を通らなかった」
しおりを挟む
編集部に入った瞬間、空気が違っていた。
というより——
女子社員たちの熱量が妙に高い。
「えっ、マジで?あれが“あの”新田さん?」
「てか顔よく見た?輪郭、めちゃくちゃ整ってた……」
「ロン毛のイメージしかなかったから、ギャップで余計にやばい……!」
朝の会議室前、低めのトーンで交わされているその会話の中心にいる名前。
——“新田さん”。
(……どういうこと?)
少し遅れて理奈が執務室に入ると、
そこにいたのは、前回までとは見違えるようにすっきりと整った新田純の姿だった。
ロン毛はセミロングに切りそろえられ、髪の質感も艶やかで軽やか。
深くかぶっていたフードはもちろん無し。
ぶ厚いレンズのメガネも新調されていて、
今の彼は“若くて、物静かなイケメン”そのものだった。
(……これが、美容院に行ったって言ってた後の)
想像以上の変化だった。
いや、“変貌”と言ってもいい。
ただそれ以上に——
彼に向けられている社内の視線が、理奈の胸をざわつかせた。
**
「……すごいな、今日の新田くん。まるで少女漫画の“覚醒回”よ」
背後からそっと近づいてきたのは、営業の佐久間凛華。
長身で華やかな容姿。
社内でも特に男性社員の人気が高いが、女性からも嫌われていない。
その彼女が、目を輝かせながら理奈の耳元で囁く。
「社長、正直ちょっとびっくりしましたよ。
前は、“ちょっと暗めの子だなー”くらいだったけど、今は……
なんか、今なら私とも合うんじゃないですか?」
ふざけたような口調。
でも、その目は本気だった。
冗談のように聞こえて、
けれど本気で“狙い始めている”。
(やめて)
喉元まで出かかったその言葉を、どうにか飲み込む。
「教育の成果ですかねぇ」
凛華は楽しそうに笑いながら立ち去っていった。
——その後ろ姿が、やけに遠く感じられた。
**
レッスン室に向かう前、清美ともすれ違った。
「社長……あの、今さらですけど……」
「はい?」
「新田さんって、意外と……その、顔が……というか、雰囲気変わってませんか?」
「……そうね。整えたみたいね」
「……なんか、ちょっとかっこよくて、びっくりしてます。最初のころとは別人みたいで」
(わかってる。わかってるから、いちいち言わないで)
でも、それもまた口にはできなかった。
清美も、凛華も。
最初は戸惑っていたくせに、“変わった彼”を素直に評価している。
彼が変わったのは、私との関係の中で少しずつ自信を得たから。
それはたしかに“教育”の成果。
だけど——
(だからって、あの子が他の誰かにときめくなんて)
予想していなかった。
想像していなかった。
いや、本当は——考えたくなかった。
**
レッスンの準備を整え、
編集部の小会議室に入ると、すでに彼が待っていた。
「お疲れさまです」
「……来てくれてありがとう。時間、間に合った?」
「はい。今日はちょっと早めに」
彼の声は以前と同じ。
変わっていない。
変わったのは、彼を囲む“周囲の目”。
そして、私の内側。
彼と机を挟んで向かい合ったとき、
わずかに距離を感じた。
それはたぶん、私が無意識に“離れてしまった”から。
(……だめ)
このままでは、終わってしまう。
でも、終わらせるのは私。
それが“筋”だと、心が言っている。
**
レッスン終盤、原稿の一節について話し合ったあと、
彼がぽつりとつぶやいた。
「……この物語、あと少しで終わりますね」
「あら、意外と早く書き上がったわね」
「社長が導いてくれたおかげです」
(……“ありがとう”)
たったその一言が、どうしても喉を通らなかった。
彼がそう言ってくれることを、
どれだけ待ち望んでいたか。
どれだけ嬉しかったか。
でも、それを受け取ってしまったら、
もうこの関係が“終わり”に近づいている気がして——
私の心が、言葉を拒んだ。
(ありがとうなんて、まだ言いたくない)
(だって、“終わり”にしないでって、思ってしまうから)
**
レッスン後、彼が部屋を出たあと。
私はひとりで椅子に座り続けた。
指輪に触れた指先が、すこしだけ震えていた。
私はまだ、
彼を“育てる側”でいたいのだと思っていた。
でも、本当は——
彼を“誰にも渡したくない”と思っている。
それが、どうしようもない本音だった。
というより——
女子社員たちの熱量が妙に高い。
「えっ、マジで?あれが“あの”新田さん?」
「てか顔よく見た?輪郭、めちゃくちゃ整ってた……」
「ロン毛のイメージしかなかったから、ギャップで余計にやばい……!」
朝の会議室前、低めのトーンで交わされているその会話の中心にいる名前。
——“新田さん”。
(……どういうこと?)
少し遅れて理奈が執務室に入ると、
そこにいたのは、前回までとは見違えるようにすっきりと整った新田純の姿だった。
ロン毛はセミロングに切りそろえられ、髪の質感も艶やかで軽やか。
深くかぶっていたフードはもちろん無し。
ぶ厚いレンズのメガネも新調されていて、
今の彼は“若くて、物静かなイケメン”そのものだった。
(……これが、美容院に行ったって言ってた後の)
想像以上の変化だった。
いや、“変貌”と言ってもいい。
ただそれ以上に——
彼に向けられている社内の視線が、理奈の胸をざわつかせた。
**
「……すごいな、今日の新田くん。まるで少女漫画の“覚醒回”よ」
背後からそっと近づいてきたのは、営業の佐久間凛華。
長身で華やかな容姿。
社内でも特に男性社員の人気が高いが、女性からも嫌われていない。
その彼女が、目を輝かせながら理奈の耳元で囁く。
「社長、正直ちょっとびっくりしましたよ。
前は、“ちょっと暗めの子だなー”くらいだったけど、今は……
なんか、今なら私とも合うんじゃないですか?」
ふざけたような口調。
でも、その目は本気だった。
冗談のように聞こえて、
けれど本気で“狙い始めている”。
(やめて)
喉元まで出かかったその言葉を、どうにか飲み込む。
「教育の成果ですかねぇ」
凛華は楽しそうに笑いながら立ち去っていった。
——その後ろ姿が、やけに遠く感じられた。
**
レッスン室に向かう前、清美ともすれ違った。
「社長……あの、今さらですけど……」
「はい?」
「新田さんって、意外と……その、顔が……というか、雰囲気変わってませんか?」
「……そうね。整えたみたいね」
「……なんか、ちょっとかっこよくて、びっくりしてます。最初のころとは別人みたいで」
(わかってる。わかってるから、いちいち言わないで)
でも、それもまた口にはできなかった。
清美も、凛華も。
最初は戸惑っていたくせに、“変わった彼”を素直に評価している。
彼が変わったのは、私との関係の中で少しずつ自信を得たから。
それはたしかに“教育”の成果。
だけど——
(だからって、あの子が他の誰かにときめくなんて)
予想していなかった。
想像していなかった。
いや、本当は——考えたくなかった。
**
レッスンの準備を整え、
編集部の小会議室に入ると、すでに彼が待っていた。
「お疲れさまです」
「……来てくれてありがとう。時間、間に合った?」
「はい。今日はちょっと早めに」
彼の声は以前と同じ。
変わっていない。
変わったのは、彼を囲む“周囲の目”。
そして、私の内側。
彼と机を挟んで向かい合ったとき、
わずかに距離を感じた。
それはたぶん、私が無意識に“離れてしまった”から。
(……だめ)
このままでは、終わってしまう。
でも、終わらせるのは私。
それが“筋”だと、心が言っている。
**
レッスン終盤、原稿の一節について話し合ったあと、
彼がぽつりとつぶやいた。
「……この物語、あと少しで終わりますね」
「あら、意外と早く書き上がったわね」
「社長が導いてくれたおかげです」
(……“ありがとう”)
たったその一言が、どうしても喉を通らなかった。
彼がそう言ってくれることを、
どれだけ待ち望んでいたか。
どれだけ嬉しかったか。
でも、それを受け取ってしまったら、
もうこの関係が“終わり”に近づいている気がして——
私の心が、言葉を拒んだ。
(ありがとうなんて、まだ言いたくない)
(だって、“終わり”にしないでって、思ってしまうから)
**
レッスン後、彼が部屋を出たあと。
私はひとりで椅子に座り続けた。
指輪に触れた指先が、すこしだけ震えていた。
私はまだ、
彼を“育てる側”でいたいのだと思っていた。
でも、本当は——
彼を“誰にも渡したくない”と思っている。
それが、どうしようもない本音だった。
0
あなたにおすすめの小説
里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります>
政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
紙の上の空
中谷ととこ
ライト文芸
小学六年生の夏、父が突然、兄を連れてきた。
容姿に恵まれて才色兼備、誰もが憧れてしまう女性でありながら、裏表のない竹を割ったような性格の八重嶋碧(31)は、幼い頃からどこにいても注目され、男女問わず人気がある。
欲しいものは何でも手に入りそうな彼女だが、本当に欲しいものは自分のものにはならない。欲しいすら言えない。長い長い片想いは成就する見込みはなく半分腐りかけているのだが、なかなか捨てることができずにいた。
血の繋がりはない、兄の八重嶋公亮(33)は、未婚だがとっくに独立し家を出ている。
公亮の親友で、碧とは幼い頃からの顔見知りでもある、斎木丈太郎(33)は、碧の会社の近くのフレンチ店で料理人をしている。お互いに好き勝手言える気心の知れた仲だが、こちらはこちらで本心は隠したまま碧の動向を見守っていた。
思い出さなければ良かったのに
田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。
大事なことを忘れたまま。
*本編完結済。不定期で番外編を更新中です。
身分差婚~あなたの妻になれないはずだった~
椿蛍
恋愛
「息子と別れていただけないかしら?」
私を脅して、別れを決断させた彼の両親。
彼は高級住宅地『都久山』で王子様と呼ばれる存在。
私とは住む世界が違った……
別れを命じられ、私の恋が終わった。
叶わない身分差の恋だったはずが――
※R-15くらいなので※マークはありません。
※視点切り替えあり。
※2日間は1日3回更新、3日目から1日2回更新となります。
✿ 私は夫のことが好きなのに、彼は私なんかよりずっと若くてきれいでスタイルの良い女が好きらしい
設楽理沙
ライト文芸
累計ポイント110万ポイント超えました。皆さま、ありがとうございます。❀
結婚後、2か月足らずで夫の心変わりを知ることに。
結婚前から他の女性と付き合っていたんだって。
それならそうと、ちゃんと話してくれていれば、結婚なんて
しなかった。
呆れた私はすぐに家を出て自立の道を探すことにした。
それなのに、私と別れたくないなんて信じられない
世迷言を言ってくる夫。
だめだめ、信用できないからね~。
さようなら。
*******.✿..✿.*******
◇|日比野滉星《ひびのこうせい》32才 会社員
◇ 日比野ひまり 32才
◇ 石田唯 29才 滉星の同僚
◇新堂冬也 25才 ひまりの転職先の先輩(鉄道会社)
2025.4.11 完結 25649字
🥕おしどり夫婦として12年間の結婚生活を過ごしてきたが一波乱あり、妻は夫を誰かに譲りたくなるのだった。
設楽理沙
ライト文芸
2026.1.4 73話見直した際、瑛士の台詞《本音/懺悔》を加筆しました。😇
☘ 累計ポイント/ 200万pt 超えました。ありがとうございます。
―― 備忘録 ――
第8回ライト文芸大賞では大賞2位ではじまり2位で終了。 最高 57,392 pt
〃 24h/pt-1位ではじまり2位で終了。 最高 89,034 pt
◇ ◇ ◇ ◇
紳士的でいつだって私や私の両親にやさしくしてくれる
素敵な旦那さま・・だと思ってきたのに。
隠された夫の一面を知った日から、眞奈の苦悩が
始まる。
苦しくて、悲しくてもののすごく惨めで・・
消えてしまいたいと思う眞奈は小さな子供のように
大きな声で泣いた。
泣きながらも、よろけながらも、気がつけば
大地をしっかりと踏みしめていた。
そう、立ち止まってなんていられない。
☆-★-☆-★+☆-★-☆-★+☆-★-☆-★
2025.4.19☑~
サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします
二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位!
※この物語はフィクションです
流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。
当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。
優しい雨が降る夜は
葉月 まい
恋愛
浮世離れした地味子 × 外資系ITコンサルのエリートイケメン
無自覚にモテる地味子に
余裕もなく翻弄されるイケメン
二人の恋は一筋縄ではいかなくて……
雨降る夜に心に届いた
優しい恋の物語
⟡☾·̩͙⋆☔┈┈┈ 登場人物 ┈┈┈ ☔⋆·̩͙☽⟡
風間 美月(24歳)……コミュニティセンター勤務・地味でお堅い性格
雨宮 優吾(28歳)……外資系ITコンサルティング会社勤務のエリートイケメン
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる