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第三十一話:「“社長にふさわしい男”って、誰の基準なんだろう」
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「新田さん、今日も来てるの?」
「わぁ……マジで、毎回来てほしいわ」
「ほんと絵になるわね……営業のイラストに描いてもらいたいくらい」
会議室の扉を開ける前に聞こえてきた、女性たちのひそひそ声。
その会話の主語が自分であることは、すぐにわかった。
……慣れていない。
いや、慣れたくない。
少しだけ変えた外見。
きっかけは、少し前に理奈さんに勧められた美容室だった。
更に髪を整え、眼鏡を新調しただけで、
こんなに周囲の反応が変わるとは、正直、思っていなかった。
今、自分は“見られている”。
そのことに気づいてしまったら、
胸がざわざわして落ち着かなくなる。
**
週に数度、執筆終盤の確認や会議のためにオフィスへ通っている。
仕上げるべき原稿は、もう最終章に差し掛かっていた。
“恋を知らない青年が、年上の女性に導かれながら、初めて本物の恋を知っていく”物語。
この物語の主人公が、自分自身とどこまで重なっているのか、
もう正直、線引きができなくなっていた。
だけど——それでもいいと思っている。
**
会議室に入ると、先に来ていたのは佐久間凛華。
「わ、来た来た。今日もばっちりキマってますね~。
あれ? もしかして私のために? なんちゃって」
軽い口調と、冗談めいた目線。
でも、その“軽さの下にある本気”には、気づいている。
「いえ……今日も普通に来ただけです」
できるだけ目を合わせないように返すと、
凛華はふっと笑って、唇をとがらせた。
「そういうとこ、相変わらずかわいいわよね。
逃げ方が素直すぎて、逆に好感度高いっていうか」
軽口に聞こえる。
でも、明らかに“狙い始めてる”温度を帯びている。
(どうしようもない違和感……)
**
しばらくして、清美も入ってきた。
「あ……こんにちは、新田さん」
「こんにちは」
いつものように静かな挨拶。
でもその後の彼女の動きが、前とは明らかに違っていた。
コーヒーの紙コップを二つ持ってきていて、
一つを「よかったら」と差し出してくる。
「ブラック、でしたよね? 間違ってたらすみません」
「……ありがとうございます」
静かに受け取る。
彼女の視線が、少しだけ長く自分を見つめていたことに気づく。
以前は、彼女のほうが“距離を取りたがっていた”はずなのに。
(みんな……変わった)
もしかしたら、僕が変わったのかもしれない。
でも、そうやって向けられる“好意”を、
嬉しいと感じられない自分がいる。
むしろ——どこか居心地が悪い。
**
理由は、わかっている。
今の自分は、
“理奈さんに見せたくて変わった姿”だからだ。
彼女のひと言で髪を整え、
彼女の言葉を受け止めたくて、言葉を磨いてきた。
自分の中にある恋心は、
あの人だけに向けて、育ってきたもの。
誰かに褒められるためじゃない。
誰かに“似合う”と言われるためでもない。
彼女に“認められたかった”。
彼女に“見てもらいたかった”。
**
原稿のやりとりが終わって、休憩時間。
理奈さんはまだ来ていない。
凛華が、ふいに近づいてくる。
「ねえ、新田さんって、理奈社長のこと……まだ“先生”って思ってる?」
問いかけの奥に、確かな探りがある。
「……“先生”じゃなくて、ずっと“導いてくれた人”だと思ってます」
「ふーん。じゃあ、もう対等?」
「……いえ」
彼女とは、今でも“越えられない線”がある。
でも、その線があるからこそ、目指せる。
それが、自分にとっての理奈さん。
**
「ね、正直な話、今のあなたなら——」
「……理奈社長にも、ふさわしいんじゃない?」
凛華が言った。
冗談のような、でも含みのある、妙に落ち着いた声で。
(……ふさわしい?)
その言葉が、胸に引っかかった。
“理奈社長にふさわしい男”。
そうなりたくて、自分はここまで来たのか。
いや、違う。
誰かの基準で“ふさわしい”かどうかなんて、関係ない。
僕が彼女に“好きだ”と言える自信は、
そんな“周囲の評価”ではなく、
彼女の目を、正面から見られるかどうかだけ。
**
そのとき、ドアが開いた。
「お待たせ」
理奈さんが、凛とした気配を連れて入ってくる。
変わらず、美しくて、静かで、強い。
だけど今日の彼女の目は、
ほんのわずかに“焦り”の色を帯びていた気がした。
僕を見たとき。
凛華や清美と話しているところを見たとき。
(……わかってるんだ)
彼女は、気づいている。
僕が“見られる存在”になってきたことに。
そしてそれが、
彼女の中の何かを揺らしていることに。
**
だけど。
僕の目に映っているのは、
相変わらず“彼女だけ”だ。
他の誰でもない。
この物語の終章も、
この恋の行き先も、
すべて、彼女を見つめて書いている。
だから今、僕は思う。
“ふさわしい男”なんて言葉はいらない。
——ただ、彼女の目に、まっすぐ映る存在でありたい。
「わぁ……マジで、毎回来てほしいわ」
「ほんと絵になるわね……営業のイラストに描いてもらいたいくらい」
会議室の扉を開ける前に聞こえてきた、女性たちのひそひそ声。
その会話の主語が自分であることは、すぐにわかった。
……慣れていない。
いや、慣れたくない。
少しだけ変えた外見。
きっかけは、少し前に理奈さんに勧められた美容室だった。
更に髪を整え、眼鏡を新調しただけで、
こんなに周囲の反応が変わるとは、正直、思っていなかった。
今、自分は“見られている”。
そのことに気づいてしまったら、
胸がざわざわして落ち着かなくなる。
**
週に数度、執筆終盤の確認や会議のためにオフィスへ通っている。
仕上げるべき原稿は、もう最終章に差し掛かっていた。
“恋を知らない青年が、年上の女性に導かれながら、初めて本物の恋を知っていく”物語。
この物語の主人公が、自分自身とどこまで重なっているのか、
もう正直、線引きができなくなっていた。
だけど——それでもいいと思っている。
**
会議室に入ると、先に来ていたのは佐久間凛華。
「わ、来た来た。今日もばっちりキマってますね~。
あれ? もしかして私のために? なんちゃって」
軽い口調と、冗談めいた目線。
でも、その“軽さの下にある本気”には、気づいている。
「いえ……今日も普通に来ただけです」
できるだけ目を合わせないように返すと、
凛華はふっと笑って、唇をとがらせた。
「そういうとこ、相変わらずかわいいわよね。
逃げ方が素直すぎて、逆に好感度高いっていうか」
軽口に聞こえる。
でも、明らかに“狙い始めてる”温度を帯びている。
(どうしようもない違和感……)
**
しばらくして、清美も入ってきた。
「あ……こんにちは、新田さん」
「こんにちは」
いつものように静かな挨拶。
でもその後の彼女の動きが、前とは明らかに違っていた。
コーヒーの紙コップを二つ持ってきていて、
一つを「よかったら」と差し出してくる。
「ブラック、でしたよね? 間違ってたらすみません」
「……ありがとうございます」
静かに受け取る。
彼女の視線が、少しだけ長く自分を見つめていたことに気づく。
以前は、彼女のほうが“距離を取りたがっていた”はずなのに。
(みんな……変わった)
もしかしたら、僕が変わったのかもしれない。
でも、そうやって向けられる“好意”を、
嬉しいと感じられない自分がいる。
むしろ——どこか居心地が悪い。
**
理由は、わかっている。
今の自分は、
“理奈さんに見せたくて変わった姿”だからだ。
彼女のひと言で髪を整え、
彼女の言葉を受け止めたくて、言葉を磨いてきた。
自分の中にある恋心は、
あの人だけに向けて、育ってきたもの。
誰かに褒められるためじゃない。
誰かに“似合う”と言われるためでもない。
彼女に“認められたかった”。
彼女に“見てもらいたかった”。
**
原稿のやりとりが終わって、休憩時間。
理奈さんはまだ来ていない。
凛華が、ふいに近づいてくる。
「ねえ、新田さんって、理奈社長のこと……まだ“先生”って思ってる?」
問いかけの奥に、確かな探りがある。
「……“先生”じゃなくて、ずっと“導いてくれた人”だと思ってます」
「ふーん。じゃあ、もう対等?」
「……いえ」
彼女とは、今でも“越えられない線”がある。
でも、その線があるからこそ、目指せる。
それが、自分にとっての理奈さん。
**
「ね、正直な話、今のあなたなら——」
「……理奈社長にも、ふさわしいんじゃない?」
凛華が言った。
冗談のような、でも含みのある、妙に落ち着いた声で。
(……ふさわしい?)
その言葉が、胸に引っかかった。
“理奈社長にふさわしい男”。
そうなりたくて、自分はここまで来たのか。
いや、違う。
誰かの基準で“ふさわしい”かどうかなんて、関係ない。
僕が彼女に“好きだ”と言える自信は、
そんな“周囲の評価”ではなく、
彼女の目を、正面から見られるかどうかだけ。
**
そのとき、ドアが開いた。
「お待たせ」
理奈さんが、凛とした気配を連れて入ってくる。
変わらず、美しくて、静かで、強い。
だけど今日の彼女の目は、
ほんのわずかに“焦り”の色を帯びていた気がした。
僕を見たとき。
凛華や清美と話しているところを見たとき。
(……わかってるんだ)
彼女は、気づいている。
僕が“見られる存在”になってきたことに。
そしてそれが、
彼女の中の何かを揺らしていることに。
**
だけど。
僕の目に映っているのは、
相変わらず“彼女だけ”だ。
他の誰でもない。
この物語の終章も、
この恋の行き先も、
すべて、彼女を見つめて書いている。
だから今、僕は思う。
“ふさわしい男”なんて言葉はいらない。
——ただ、彼女の目に、まっすぐ映る存在でありたい。
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