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第三十六話:「私はあなたを拒めない。けれど、受け入れることもできない」
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「……ありがとう。そう言ってくれて」
それが、私の口からやっと出てきた、精一杯の言葉だった。
“ありがとう”としか言えなかった。
でも、本当は――
「うれしい」も、「信じられない」も、「どうしたらいいの」も、
全部喉の奥に詰まって、言葉にならなかった。
言えば、全部崩れてしまいそうだった。
**
オフィスからの帰り道。
タクシーには乗らず、歩いて帰ることにした。
10月の夜風は肌に優しくて、
でもその優しさが、今は逆に胸に沁みた。
あの子の告白の声が、何度もリフレインする。
(「理奈さん。……僕は、あなたが好きです」)
その言葉の一音一音が、
まだ耳の奥に残っている。
はっきりと、まっすぐで、何の揺らぎもなかった。
**
彼のまなざしは、
何ひとつ責めてこなかった。
ただ、「伝えたい」という強い意思だけを持って、
私の目をまっすぐに見ていた。
逃げられなかった。
何も言えなかった。
ただただ、涙が出そうになるのを堪えることに必死だった。
**
(……なぜ、言ってくれたの)
ほんの少し前まで、あの子は“少年”だった。
ぎこちなくて、遠慮がちで、
女性と目を合わせるのも不器用で。
でも今は、
ちゃんと一人の“男性”として私に向き合おうとしている。
その変化は――
誰よりも、私が一番近くで見てきたはずなのに。
(気づいてた。きっと、ずっと前から)
でも、見ないふりをしてた。
“教育”という名のもとに、
“社長”という肩書のもとに、
あの子との距離を正当化していた。
でも本当は、
近づきたくて仕方なかった。
誰よりも、触れていたかった。
それを今、告白という形で彼が“言葉”にしてしまった。
もう、ごまかせない。
**
家に帰って、リビングの灯りもつけずにソファに座る。
バッグもコートも下ろさないまま、
ただ、指輪に触れた。
左手の薬指にある、この指輪。
結婚して20年以上。
ずっとこの指輪をしてきた。
一度も外さなかった。
この指輪をつけていれば、
自分の中で“気持ちに線を引ける”気がしていた。
でも今――
この指輪が、少し重く感じた。
重くて、痛くて、
何かを止めている枷のようだった。
(でも……外せない)
これを外してしまったら、
自分が夫との過去を裏切ってしまう気がする。
でも、外さなければ――
あの子との“今”を選べない。
**
私は、何を守ろうとしているんだろう。
自分のプライド?
夫との記憶?
年齢差?
会社の立場?
それとも、
“傷つくのが怖い自分”?
25歳も年下の彼が、私のことを本気で好きになるなんて、
本当なら信じられるはずがない。
でも、あのまなざしは……
あの言葉は……
嘘じゃなかった。
(……苦しい)
誰かを好きになるって、
こんなに胸をかきむしられるようなことだったっけ。
最後に恋をしたのは、もう20年以上前。
結婚して、夫を失って、
その後は仕事にすべてを捧げてきた。
泣くほどの恋なんて、もう一生ないと思ってた。
でも今――
私は、あの子のひと言で、
こんなにも揺れて、泣いて、
どうしていいかわからなくなっている。
**
拒めない。
でも、受け入れることもできない。
私はずっと、
“選ばれる側”でいることに慣れていた。
でも今は――
“自分が選ばなきゃいけない”立場にいる。
その重さが怖い。
もし受け入れてしまったら、
この恋が本当になってしまう。
でも、拒んだら――
私は一生、
誰かに“愛された”記憶を最後にできないまま、終わってしまう。
**
しばらくして、スマートフォンを手に取る。
純からの追撃メッセージはなかった。
それが、少しだけ救いだった。
でも、少しだけ寂しかった。
メッセージアプリの画面を開いたまま、
文字を打つ。
『少しだけ、考える時間をください』
その一文を書いて、送信ボタンを押す。
ほんの数秒後、
「了解です」とだけ、彼から返ってきた。
その冷静な一言に、
涙が、またあふれてきた。
**
私を困らせないように。
追い詰めないように。
ちゃんと待ってくれるその優しさが、
今はただ、つらかった。
(……好きになって、ごめんなさい)
心の中でそう呟きながら、
私は今夜も、指輪を外せないまま、
長い夜の闇に、そっと目を閉じた。
それが、私の口からやっと出てきた、精一杯の言葉だった。
“ありがとう”としか言えなかった。
でも、本当は――
「うれしい」も、「信じられない」も、「どうしたらいいの」も、
全部喉の奥に詰まって、言葉にならなかった。
言えば、全部崩れてしまいそうだった。
**
オフィスからの帰り道。
タクシーには乗らず、歩いて帰ることにした。
10月の夜風は肌に優しくて、
でもその優しさが、今は逆に胸に沁みた。
あの子の告白の声が、何度もリフレインする。
(「理奈さん。……僕は、あなたが好きです」)
その言葉の一音一音が、
まだ耳の奥に残っている。
はっきりと、まっすぐで、何の揺らぎもなかった。
**
彼のまなざしは、
何ひとつ責めてこなかった。
ただ、「伝えたい」という強い意思だけを持って、
私の目をまっすぐに見ていた。
逃げられなかった。
何も言えなかった。
ただただ、涙が出そうになるのを堪えることに必死だった。
**
(……なぜ、言ってくれたの)
ほんの少し前まで、あの子は“少年”だった。
ぎこちなくて、遠慮がちで、
女性と目を合わせるのも不器用で。
でも今は、
ちゃんと一人の“男性”として私に向き合おうとしている。
その変化は――
誰よりも、私が一番近くで見てきたはずなのに。
(気づいてた。きっと、ずっと前から)
でも、見ないふりをしてた。
“教育”という名のもとに、
“社長”という肩書のもとに、
あの子との距離を正当化していた。
でも本当は、
近づきたくて仕方なかった。
誰よりも、触れていたかった。
それを今、告白という形で彼が“言葉”にしてしまった。
もう、ごまかせない。
**
家に帰って、リビングの灯りもつけずにソファに座る。
バッグもコートも下ろさないまま、
ただ、指輪に触れた。
左手の薬指にある、この指輪。
結婚して20年以上。
ずっとこの指輪をしてきた。
一度も外さなかった。
この指輪をつけていれば、
自分の中で“気持ちに線を引ける”気がしていた。
でも今――
この指輪が、少し重く感じた。
重くて、痛くて、
何かを止めている枷のようだった。
(でも……外せない)
これを外してしまったら、
自分が夫との過去を裏切ってしまう気がする。
でも、外さなければ――
あの子との“今”を選べない。
**
私は、何を守ろうとしているんだろう。
自分のプライド?
夫との記憶?
年齢差?
会社の立場?
それとも、
“傷つくのが怖い自分”?
25歳も年下の彼が、私のことを本気で好きになるなんて、
本当なら信じられるはずがない。
でも、あのまなざしは……
あの言葉は……
嘘じゃなかった。
(……苦しい)
誰かを好きになるって、
こんなに胸をかきむしられるようなことだったっけ。
最後に恋をしたのは、もう20年以上前。
結婚して、夫を失って、
その後は仕事にすべてを捧げてきた。
泣くほどの恋なんて、もう一生ないと思ってた。
でも今――
私は、あの子のひと言で、
こんなにも揺れて、泣いて、
どうしていいかわからなくなっている。
**
拒めない。
でも、受け入れることもできない。
私はずっと、
“選ばれる側”でいることに慣れていた。
でも今は――
“自分が選ばなきゃいけない”立場にいる。
その重さが怖い。
もし受け入れてしまったら、
この恋が本当になってしまう。
でも、拒んだら――
私は一生、
誰かに“愛された”記憶を最後にできないまま、終わってしまう。
**
しばらくして、スマートフォンを手に取る。
純からの追撃メッセージはなかった。
それが、少しだけ救いだった。
でも、少しだけ寂しかった。
メッセージアプリの画面を開いたまま、
文字を打つ。
『少しだけ、考える時間をください』
その一文を書いて、送信ボタンを押す。
ほんの数秒後、
「了解です」とだけ、彼から返ってきた。
その冷静な一言に、
涙が、またあふれてきた。
**
私を困らせないように。
追い詰めないように。
ちゃんと待ってくれるその優しさが、
今はただ、つらかった。
(……好きになって、ごめんなさい)
心の中でそう呟きながら、
私は今夜も、指輪を外せないまま、
長い夜の闇に、そっと目を閉じた。
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