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第四十話:「“あなたの家に行こうとした彼女がいる”というだけで、胸が張り裂けそうになるのはなぜ」
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「昨日、佐久間さん、新田くんの家に行ったらしいですよー。原稿の確認とか言って」
昼休み、スタッフルームでの会話。
たまたま通りがかったときに耳にした、その一言が、
胸に杭のように刺さった。
歩く足が止まりそうになる。
けれど何事もなかった顔で、通り過ぎる。
(そう……行ったのね)
心の中で何度も繰り返す。
“行った”という事実だけが、
自分の中で想像より遥かに大きな波紋を生んでいた。
**
その日一日、仕事が手につかなかった。
会議中も書類を読むふりをして、
気づけば視線はページを滑っているだけ。
部下の声が上滑りして、
数字も言葉も、心に入ってこない。
(別に……あの子は自由よ。誰が来ようと、迎えようと。
私が口を出すことじゃない)
(私は、あの子の何?)
自問して、答えられなかった。
想いを告げられた。
けれど、“待って”としか返せなかった。
それ以上、何も言っていない。
それなのに――
彼の部屋に“誰か”が入るだけで、
自分の中の何かが音を立てて崩れていく。
(……情けない)
自分でもわかっている。
49歳。会社の社長。
世間的には“分別のある大人”であるはずの自分が、
こんなにも取り乱すなんて。
でも、止められなかった。
**
夜。
帰宅後、いつものように部屋着に着替え、
リビングでスマホを見つめる。
彼からのメッセージは、なかった。
(来ない……当然よね。きっと、何もなかった。
彼ならきちんと断れる)
信じてる。
でも、それでも――
「何もなかった」ことを確かめたい、という気持ちが消えない。
(そんなの、最低だわ。……私、なにしてるの)
彼は、あの子は――
今も変わらず私の気持ちを待っている。
自分から伝えておいて、返事を保留されても、
責めもせず、ただ黙って待ってくれている。
それが、どれほど残酷なことか。
その姿勢が、どれほど私を追い詰めているか。
(こんなにも……愛されているのに)
なのに。
どうして、私は。
**
指輪を外す。
音もなく、薬指からそれを抜いた。
小さなリングが、掌の中にひとつ。
23年間、肌の一部のように存在していたもの。
(……あなたは、もう許してくれるわよね)
夫の顔が思い浮かぶ。
何年も前に、優しい笑顔のまま別れてしまった人。
あなたのことを、今でも大切に想ってる。
でも、それとは別の感情が、
こんなにも大きく私を支配してしまっている。
(私は、新田くんを――好きになってしまったの)
**
深夜、思い切ってスマートフォンを開いた。
メッセージアプリを立ち上げて、
彼とのやり取りを遡る。
そして、新しい文面を打ち始める。
『お仕事、進んでいますか?』
指が止まる。
この言い方ではまるで他人行儀すぎる。
書いては消し、また打ち直す。
『……昨日、佐久間さんが伺ったと聞きました』
それだけ書いたところで、手が震えた。
(こんな言い方……まるで、嫉妬してるみたい)
でも、それ以上にもう、止められなかった。
正直になりたい。
この想いを、やっと伝えたくなっている。
もう、嘘をついていたくない。
そう思って、さらに続ける。
『あなたが誰と会っていても、何をしていても、
私には口を出す資格なんてないのはわかってる。
でも……どうしようもなく、胸が苦しくなりました。』
『あなたを“待たせている”のに、
誰かに近づかれることが、こんなに怖いなんて……』
最後に一言だけ。
『……私、ずるいですね』
送信ボタンを押した瞬間、
指が震えたまま、膝の上に置いた手のひらに汗がにじんでいた。
けれど――
もう、止まらなかった。
**
1分後、返信が届く。
『ずるくなんかありません。
僕は、あなたがそのままの気持ちを言ってくれることが、いちばん嬉しいです。』
その優しい言葉に、
ぽた、と涙がこぼれた。
もう、泣かないと思っていたのに。
(……ありがとう)
心の中でそっと呟いて、
私はテーブルの上のリングケースを、そっと閉じた。
昼休み、スタッフルームでの会話。
たまたま通りがかったときに耳にした、その一言が、
胸に杭のように刺さった。
歩く足が止まりそうになる。
けれど何事もなかった顔で、通り過ぎる。
(そう……行ったのね)
心の中で何度も繰り返す。
“行った”という事実だけが、
自分の中で想像より遥かに大きな波紋を生んでいた。
**
その日一日、仕事が手につかなかった。
会議中も書類を読むふりをして、
気づけば視線はページを滑っているだけ。
部下の声が上滑りして、
数字も言葉も、心に入ってこない。
(別に……あの子は自由よ。誰が来ようと、迎えようと。
私が口を出すことじゃない)
(私は、あの子の何?)
自問して、答えられなかった。
想いを告げられた。
けれど、“待って”としか返せなかった。
それ以上、何も言っていない。
それなのに――
彼の部屋に“誰か”が入るだけで、
自分の中の何かが音を立てて崩れていく。
(……情けない)
自分でもわかっている。
49歳。会社の社長。
世間的には“分別のある大人”であるはずの自分が、
こんなにも取り乱すなんて。
でも、止められなかった。
**
夜。
帰宅後、いつものように部屋着に着替え、
リビングでスマホを見つめる。
彼からのメッセージは、なかった。
(来ない……当然よね。きっと、何もなかった。
彼ならきちんと断れる)
信じてる。
でも、それでも――
「何もなかった」ことを確かめたい、という気持ちが消えない。
(そんなの、最低だわ。……私、なにしてるの)
彼は、あの子は――
今も変わらず私の気持ちを待っている。
自分から伝えておいて、返事を保留されても、
責めもせず、ただ黙って待ってくれている。
それが、どれほど残酷なことか。
その姿勢が、どれほど私を追い詰めているか。
(こんなにも……愛されているのに)
なのに。
どうして、私は。
**
指輪を外す。
音もなく、薬指からそれを抜いた。
小さなリングが、掌の中にひとつ。
23年間、肌の一部のように存在していたもの。
(……あなたは、もう許してくれるわよね)
夫の顔が思い浮かぶ。
何年も前に、優しい笑顔のまま別れてしまった人。
あなたのことを、今でも大切に想ってる。
でも、それとは別の感情が、
こんなにも大きく私を支配してしまっている。
(私は、新田くんを――好きになってしまったの)
**
深夜、思い切ってスマートフォンを開いた。
メッセージアプリを立ち上げて、
彼とのやり取りを遡る。
そして、新しい文面を打ち始める。
『お仕事、進んでいますか?』
指が止まる。
この言い方ではまるで他人行儀すぎる。
書いては消し、また打ち直す。
『……昨日、佐久間さんが伺ったと聞きました』
それだけ書いたところで、手が震えた。
(こんな言い方……まるで、嫉妬してるみたい)
でも、それ以上にもう、止められなかった。
正直になりたい。
この想いを、やっと伝えたくなっている。
もう、嘘をついていたくない。
そう思って、さらに続ける。
『あなたが誰と会っていても、何をしていても、
私には口を出す資格なんてないのはわかってる。
でも……どうしようもなく、胸が苦しくなりました。』
『あなたを“待たせている”のに、
誰かに近づかれることが、こんなに怖いなんて……』
最後に一言だけ。
『……私、ずるいですね』
送信ボタンを押した瞬間、
指が震えたまま、膝の上に置いた手のひらに汗がにじんでいた。
けれど――
もう、止まらなかった。
**
1分後、返信が届く。
『ずるくなんかありません。
僕は、あなたがそのままの気持ちを言ってくれることが、いちばん嬉しいです。』
その優しい言葉に、
ぽた、と涙がこぼれた。
もう、泣かないと思っていたのに。
(……ありがとう)
心の中でそっと呟いて、
私はテーブルの上のリングケースを、そっと閉じた。
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