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第五十八話:「この人の肌に、少しずつ触れられるようになったら――それだけで、世界が報われる気がした」
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キスをしたあと、
どうしてこんなにも胸が静かなんだろうと、不思議に思った。
鼓動は確かに早かった。
熱も、身体中に回っていた。
けれど、
浮き足立つような高揚や、興奮とは違った。
それは、
もっと深く、
もっと根源的なものだった。
(触れるということは、祈りに似ているのかもしれない)
そう思った。
**
理奈さんの唇は、
あたたかくて、柔らかくて、
少しだけ、震えていた。
でもその震えは拒絶じゃなかった。
“揺れている心”の、正直な鼓動だった。
(この人の肌に、
少しずつ触れられるようになったら――)
それだけで、
この世界が許されたような気がする。
それくらい、
あの一瞬は、僕の中で神聖だった。
**
翌朝、目が覚めたとき、
最初に思い出したのは、彼女の笑顔だった。
あのキスのあと、彼女はこう言った。
「……もう少しだけ、近くにいて」
その声が、
どこまでも優しくて、どこまでも真剣で――
思い出すだけで胸があたたかくなる。
(僕は、守りたいんだ)
恋人として、男として――それ以前に。
ひとりの人間として、
この人を支えたい。
安心させたい。
「隣にいること」が負担ではなく、
希望になりたい。
**
午後から出社予定だったので、
午前中は原稿の修正作業を進めていた。
だけど、どうしても手が止まる。
ふと、彼女の髪を思い出す。
香りを、質感を、
ほんの少しだけ近づいたときに感じたあの気配を。
(……もっと、知りたい)
肌に触れるだけじゃなく、
声の揺れや、呼吸の間合いや、
笑ったときの頬の動き。
彼女の“表情”すべてを、
一つひとつ丁寧に、覚えていきたい。
それが許されるのなら――
いや、許されなくても。
その想いを抱き続ける覚悟だけは、すでに持っている。
**
出社すると、
理奈さんはいつも通りだった。
変わらない立ち居振る舞い。
丁寧な所作。
目線や距離感にも、乱れはなかった。
でも、わかる。
ほんのわずかに、
僕と目が合ったときの瞳の奥に、
“揺れ”ではなく、“許し”のような光が宿っていた。
**
打ち合わせの合間、ふたりきりの休憩時間。
僕は、意を決して口を開いた。
「……理奈さん。昨日のこと、僕は――」
「覚えてるわ。全部」
彼女は静かに言った。
「忘れるようなことじゃないし、
忘れたいとも、思わない」
少し間を置いて、
彼女は椅子の背にもたれながら、柔らかく続けた。
「触れられることが、
こんなにあたたかいものだなんて……
久しぶりに思い出させてもらったのよ」
それだけで、胸がいっぱいになった。
**
「でも」
彼女は続ける。
「私は、ゆっくりじゃないと進めないの。
時間が必要。
あなたのようには、すぐに心が追いつかないのよ」
「……わかってます」
すぐに答えた。
それだけは、もう決めていたから。
「僕は、急ぎません。
急がせるようなこともしません。
ただ、少しずつでも……
理奈さんの“隣”を歩けたら、それで十分です」
彼女の目が、ふっと優しくなる。
「ほんとに、もう……
あなたって、ずるいわ」
笑ったような声だった。
でも、その瞳の奥には、確かに――
何かが“ほどけて”いく光があった。
**
夜。
帰宅してからも、
彼女の声が、温もりが、離れなかった。
この気持ちが“恋”である以上に、
“人生そのもの”になりつつあることに、
自分自身が驚いている。
もっと触れたい。
もっと近づきたい。
でもそれは、
ただの欲望じゃない。
彼女がそれを受け止めてくれる日まで、
僕はずっと、祈るように待ち続ける。
**
この人の肌に、
この人の心に、
この人の未来に。
そっと触れられるようになることが、
僕の“生きる意味”になりはじめている。
どうしてこんなにも胸が静かなんだろうと、不思議に思った。
鼓動は確かに早かった。
熱も、身体中に回っていた。
けれど、
浮き足立つような高揚や、興奮とは違った。
それは、
もっと深く、
もっと根源的なものだった。
(触れるということは、祈りに似ているのかもしれない)
そう思った。
**
理奈さんの唇は、
あたたかくて、柔らかくて、
少しだけ、震えていた。
でもその震えは拒絶じゃなかった。
“揺れている心”の、正直な鼓動だった。
(この人の肌に、
少しずつ触れられるようになったら――)
それだけで、
この世界が許されたような気がする。
それくらい、
あの一瞬は、僕の中で神聖だった。
**
翌朝、目が覚めたとき、
最初に思い出したのは、彼女の笑顔だった。
あのキスのあと、彼女はこう言った。
「……もう少しだけ、近くにいて」
その声が、
どこまでも優しくて、どこまでも真剣で――
思い出すだけで胸があたたかくなる。
(僕は、守りたいんだ)
恋人として、男として――それ以前に。
ひとりの人間として、
この人を支えたい。
安心させたい。
「隣にいること」が負担ではなく、
希望になりたい。
**
午後から出社予定だったので、
午前中は原稿の修正作業を進めていた。
だけど、どうしても手が止まる。
ふと、彼女の髪を思い出す。
香りを、質感を、
ほんの少しだけ近づいたときに感じたあの気配を。
(……もっと、知りたい)
肌に触れるだけじゃなく、
声の揺れや、呼吸の間合いや、
笑ったときの頬の動き。
彼女の“表情”すべてを、
一つひとつ丁寧に、覚えていきたい。
それが許されるのなら――
いや、許されなくても。
その想いを抱き続ける覚悟だけは、すでに持っている。
**
出社すると、
理奈さんはいつも通りだった。
変わらない立ち居振る舞い。
丁寧な所作。
目線や距離感にも、乱れはなかった。
でも、わかる。
ほんのわずかに、
僕と目が合ったときの瞳の奥に、
“揺れ”ではなく、“許し”のような光が宿っていた。
**
打ち合わせの合間、ふたりきりの休憩時間。
僕は、意を決して口を開いた。
「……理奈さん。昨日のこと、僕は――」
「覚えてるわ。全部」
彼女は静かに言った。
「忘れるようなことじゃないし、
忘れたいとも、思わない」
少し間を置いて、
彼女は椅子の背にもたれながら、柔らかく続けた。
「触れられることが、
こんなにあたたかいものだなんて……
久しぶりに思い出させてもらったのよ」
それだけで、胸がいっぱいになった。
**
「でも」
彼女は続ける。
「私は、ゆっくりじゃないと進めないの。
時間が必要。
あなたのようには、すぐに心が追いつかないのよ」
「……わかってます」
すぐに答えた。
それだけは、もう決めていたから。
「僕は、急ぎません。
急がせるようなこともしません。
ただ、少しずつでも……
理奈さんの“隣”を歩けたら、それで十分です」
彼女の目が、ふっと優しくなる。
「ほんとに、もう……
あなたって、ずるいわ」
笑ったような声だった。
でも、その瞳の奥には、確かに――
何かが“ほどけて”いく光があった。
**
夜。
帰宅してからも、
彼女の声が、温もりが、離れなかった。
この気持ちが“恋”である以上に、
“人生そのもの”になりつつあることに、
自分自身が驚いている。
もっと触れたい。
もっと近づきたい。
でもそれは、
ただの欲望じゃない。
彼女がそれを受け止めてくれる日まで、
僕はずっと、祈るように待ち続ける。
**
この人の肌に、
この人の心に、
この人の未来に。
そっと触れられるようになることが、
僕の“生きる意味”になりはじめている。
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