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第六十一話:「“歩こう”と言ったのは私なのに、隣にいる彼があたたかすぎて、何も言えなくなった」
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歩こう――そう言ったのは、私だった。
彼がそう仕向けたわけでも、流れでそうなったわけでもない。
私の意志で、彼を誘った。
“ふたりきりの散歩”なんて、
まるで、恋人みたいな響きの行為を。
(自分で言い出したくせに……)
今、隣を歩く彼の温度に、
私はどうしようもなく戸惑っている。
でもそれは、
こわいからじゃない。
うれしくて、どうしていいかわからないだけ。
**
「……今日は、風が気持ちいいですね」
彼がそう言ったとき、
私はようやく、喉の奥から声を絞り出した。
「ええ、秋の終わりの匂いがするわね。
こういう季節、好きよ」
本当は、何を話していたかなんて、ほとんど覚えていない。
彼の声を聞いていた。
彼の足音を聞いていた。
そして何より――
彼の気配を、感じていた。
**
手は、つながなかった。
つなごうともしなかった。
でも、ほんのときどき、
彼の手の甲が、私の指先にふれることがあった。
歩くリズムがほんのわずかにずれると、
指と指がこすれ合う。
そのたびに、
私は心の中で、息を詰めた。
(……ねえ、お願い)
(そのまま、握って)
でも口には出さなかった。
この“ぎりぎりの距離感”が、
たまらなく愛しく思えていたから。
**
公園のベンチに並んで座る。
時間は夕方。
誰もいない静かな広場に、
木々のざわめきと、遠くの子どもたちの声が混ざり合う。
「……ここ、初めてなんです」
彼が言った。
私は小さく笑う。
「当たり前よ。
ここは、私の“秘密の場所”なんだから」
「秘密、だったんですね?」
「ええ。
でも今日、あなたと一緒に来て……
もう秘密じゃなくなってしまったわね」
彼は、何も言わなかった。
ただ、隣でゆっくりと笑っていた。
(なんてやさしい笑い方をするのかしら、この子は)
私は、ふいに思った。
今、彼の手に、私の手を重ねたらどうなるだろう。
重ねて、
握って、
離さなかったら――
彼は、どんな顔をするだろう?
**
勇気が、ほんの少し足りなかった。
でも、気づくと、
私は膝の上に置いた自分の手を、
すこしだけ彼のほうへと滑らせていた。
わずかに空いた指の間に、
彼の手がそっとふれてくる。
たったそれだけのことで、
私の胸は、高鳴っていた。
**
(ああ、だめ……)
(こんなふうに触れられるだけで、
もうどうしていいかわからない)
彼は、何も言わない。
ただ、私の手のそばに手を置いて、
“触れようとしない”ことで、
逆に私の気持ちを、すべて見透かしているようだった。
それが、悔しくて――
そして、うれしかった。
**
「理奈さん」
その声に、私は顔を向ける。
「はい?」
「……“ありがとうございます”って言いたかったんです」
「……なにを?」
「今日、歩こうって言ってくれて。
それだけで、
たぶん一週間分くらい、幸せもらいました」
私は思わず、顔を背けてしまった。
でも、彼の視線から逃げたかったわけじゃない。
あまりにも真っすぐな言葉に、
心がうまく受け止めきれなかっただけ。
**
そのまま、ふたりで黙って空を見上げた。
夕方の空は、まだ明るくて、
でも一部に、少しだけ夜の青が混じっている。
その曖昧さが、
今の私たちに似ていた。
恋人にはなっていない。
でも、もう“想い合っている”だけではない。
ふたりの関係が、
言葉や肩書では表せない何かに、
少しずつ形を変えている。
それを感じて、
私は静かに――少しだけ、手を動かした。
彼の手の上に、自分の指を重ねる。
ほんの一瞬、彼の肩が跳ねたのがわかった。
でも、彼は何も言わなかった。
そして、
指先を、ゆっくりと重ね返してくれた。
**
ああ、私……
また恋をしてしまった。
“歩こう”と誘ったのは、私だったのに。
“手を重ねてきた”のも、私だったのに。
隣にいる彼が、
あたたかすぎて、
優しすぎて、
愛しすぎて――
もう、何も言えなくなってしまった。
彼がそう仕向けたわけでも、流れでそうなったわけでもない。
私の意志で、彼を誘った。
“ふたりきりの散歩”なんて、
まるで、恋人みたいな響きの行為を。
(自分で言い出したくせに……)
今、隣を歩く彼の温度に、
私はどうしようもなく戸惑っている。
でもそれは、
こわいからじゃない。
うれしくて、どうしていいかわからないだけ。
**
「……今日は、風が気持ちいいですね」
彼がそう言ったとき、
私はようやく、喉の奥から声を絞り出した。
「ええ、秋の終わりの匂いがするわね。
こういう季節、好きよ」
本当は、何を話していたかなんて、ほとんど覚えていない。
彼の声を聞いていた。
彼の足音を聞いていた。
そして何より――
彼の気配を、感じていた。
**
手は、つながなかった。
つなごうともしなかった。
でも、ほんのときどき、
彼の手の甲が、私の指先にふれることがあった。
歩くリズムがほんのわずかにずれると、
指と指がこすれ合う。
そのたびに、
私は心の中で、息を詰めた。
(……ねえ、お願い)
(そのまま、握って)
でも口には出さなかった。
この“ぎりぎりの距離感”が、
たまらなく愛しく思えていたから。
**
公園のベンチに並んで座る。
時間は夕方。
誰もいない静かな広場に、
木々のざわめきと、遠くの子どもたちの声が混ざり合う。
「……ここ、初めてなんです」
彼が言った。
私は小さく笑う。
「当たり前よ。
ここは、私の“秘密の場所”なんだから」
「秘密、だったんですね?」
「ええ。
でも今日、あなたと一緒に来て……
もう秘密じゃなくなってしまったわね」
彼は、何も言わなかった。
ただ、隣でゆっくりと笑っていた。
(なんてやさしい笑い方をするのかしら、この子は)
私は、ふいに思った。
今、彼の手に、私の手を重ねたらどうなるだろう。
重ねて、
握って、
離さなかったら――
彼は、どんな顔をするだろう?
**
勇気が、ほんの少し足りなかった。
でも、気づくと、
私は膝の上に置いた自分の手を、
すこしだけ彼のほうへと滑らせていた。
わずかに空いた指の間に、
彼の手がそっとふれてくる。
たったそれだけのことで、
私の胸は、高鳴っていた。
**
(ああ、だめ……)
(こんなふうに触れられるだけで、
もうどうしていいかわからない)
彼は、何も言わない。
ただ、私の手のそばに手を置いて、
“触れようとしない”ことで、
逆に私の気持ちを、すべて見透かしているようだった。
それが、悔しくて――
そして、うれしかった。
**
「理奈さん」
その声に、私は顔を向ける。
「はい?」
「……“ありがとうございます”って言いたかったんです」
「……なにを?」
「今日、歩こうって言ってくれて。
それだけで、
たぶん一週間分くらい、幸せもらいました」
私は思わず、顔を背けてしまった。
でも、彼の視線から逃げたかったわけじゃない。
あまりにも真っすぐな言葉に、
心がうまく受け止めきれなかっただけ。
**
そのまま、ふたりで黙って空を見上げた。
夕方の空は、まだ明るくて、
でも一部に、少しだけ夜の青が混じっている。
その曖昧さが、
今の私たちに似ていた。
恋人にはなっていない。
でも、もう“想い合っている”だけではない。
ふたりの関係が、
言葉や肩書では表せない何かに、
少しずつ形を変えている。
それを感じて、
私は静かに――少しだけ、手を動かした。
彼の手の上に、自分の指を重ねる。
ほんの一瞬、彼の肩が跳ねたのがわかった。
でも、彼は何も言わなかった。
そして、
指先を、ゆっくりと重ね返してくれた。
**
ああ、私……
また恋をしてしまった。
“歩こう”と誘ったのは、私だったのに。
“手を重ねてきた”のも、私だったのに。
隣にいる彼が、
あたたかすぎて、
優しすぎて、
愛しすぎて――
もう、何も言えなくなってしまった。
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