25歳差の恋愛指南、それは人生最大の不覚でした

naomikoryo

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第六十五話:「誰かに抱かれることが“再出発”になるなんて、思ってもみなかった」

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「今夜、少しだけ寄っていってもらえない?」

その一言に、僕は答えるまでに何秒もかかった。

理奈さんは、あくまで自然に、
まるで“コーヒーでもどう?”と言うくらいの口調で言ったけれど。
僕の中では、それがどれほどの意味を持っていたか、
きっと彼女は気づいていない。

でも、
そのまなざしは穏やかで。
言葉の奥に、揺るがない“覚悟”が宿っていた。

僕は、小さく頷いた。

**

理奈さんの部屋は、いつも通りきれいで。
どこか、静謐な空気があった。

「お酒は……少しだけにしておくわ。酔ってると思われたくないから」

そう言って差し出されたワイングラスの中で、
液体がほんのり赤く光っていた。

ソファに座り、
少し離れて、会話をする。

なんてことない話。
原稿のこと。
清美さんや凜華さんの話題。
イベント準備のあれこれ。

けれど、心はずっと、彼女の仕草に引き寄せられていた。

髪を耳にかける指先。
グラスにふれる口元。
ときおり僕の方を見て、小さく笑うその表情。

それらすべてに、
(今夜、この人を抱くのかもしれない)
という現実が、じわじわと重なっていった。

**

「……ねえ、純くん」

名前を呼ばれた瞬間、背筋が伸びた。
理奈さんは、グラスを置いて、僕の目を見た。

「あなたがくれた言葉……“焦らず、ちゃんと触れる”って。あれ、とても嬉しかったの」

「……そう思ってくれたなら、よかったです」

「でもね、今日は、私のほうからお願いしてもいいかしら」

言いながら、
彼女は、静かに手を差し出した。

「抱きしめてほしいの。
ただそれだけでいいから。
今夜だけは、私が“ひとりじゃない”って思えるようにしてほしい」

その言葉に、
僕の中で、何かが崩れる音がした。

彼女はずっと、
強くて、冷静で、
誰にも甘えない人だった。

そんな人が今――
こんなにも素直に、僕を求めてくれている。

それだけで、胸がいっぱいになった。

**

「……失礼します」

そう言って、
彼女の身体に、ゆっくりと腕を回した。

細い肩。
でも、すっと背筋の通ったその姿勢は、
やっぱり理奈さんらしくて。

その背を抱きしめた瞬間、
彼女の手が僕の胸元をぎゅっと掴んだ。

震えていた。
呼吸が浅く、けれど逃げる気配は一切なくて。

(こわいんだろうな)
(でも、それ以上に、“触れてほしい”と思ってくれている)

その確信が、僕を突き動かした。

**

額を、彼女の髪にそっとあずける。

「理奈さん……僕、ちゃんと好きです。
心から、あなたを大事にしたいって思ってます」

彼女は返事をしなかった。

でもその代わりに、
背中にまわしていた僕の腕を、自分の手でふれてくれた。

「……こんなふうに、誰かに触れてもらうの。
本当に、久しぶりなの」

掠れた声で、そう言った。

「でも今夜、私は――
あなたに抱かれることで、“もう一度生きてもいい”って思いたいの」

それはまるで、
長い年月をかけて閉じていた心の扉が、
音もなく開かれる瞬間だった。

**

そのあと、
どちらからともなく、唇が重なった。

今度は、自然だった。
あの夜みたいに、照れや戸惑いではなく、
お互いの呼吸を感じながらの、
“確かな想い”としてのキスだった。

深く、でも激しくはなくて。
ただ、優しく。
お互いを包むように。

**

肌と肌がふれ合うことは、
思っていたよりもずっと、静かな行為だった。

彼女がそっと手を伸ばし、
僕の首筋をなぞったとき、
その指先にこめられた“信頼”が、
何よりも愛しく思えた。

ベッドの中、
僕は何度も彼女の名前を呼んだ。

“理奈さん”と。

彼女もまた、
“純くん”と、少しだけ甘えるような声で呼んでくれた。

それだけで、
もう十分だった。

**

朝、彼女はベッドの中で、
僕の腕の中に顔をうずめたまま、ぽつりと呟いた。

「誰かに抱かれることが、再出発になるなんて……
思ってもみなかったわ」

その言葉が、
どこまでも優しくて、切なくて。
僕はただ、彼女の背中を、もう一度抱きしめた。

(これが、恋の終着点じゃない)
(始まりなんだ)

ようやく本当の意味で、
僕たちは“恋人”になった気がした。
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